剣客商売九 待ち伏せ [#地から2字上げ]池波正太郎   目次  待ち伏せ  小さな茄子二つ  或る日の小兵衛  秘密  討たれ庄三郎  冬木立  剣の命脈   解説 常磐新平     待ち伏せ  夜の闇《やみ》が、まるで冬のような冷気を含んでいた。  時刻は、五ツ半(午後九時)ごろであったろう。  いまにも雨が落ちてきそうな暗夜であった。  いま、秋山大治郎《あきやまだいじろう》は、本所《ほんじょ》の竪川《たてかわ》と深川の小名木《おなぎ》川をむすぶ六間堀《ろっけんぼり》川の南端にかかる猿子《さるこ》橋へさしかかった。  借り受けてきた提灯《ちょうちん》を右手に持ち、長さ五|間《けん》、巾《はば》二間の猿子橋の中程まで来た大治郎の足が、ぴたり[#「ぴたり」に傍点]と止まった。  橋の向うの西たもとは、右が幕府《こうぎ》の御籾蔵《おもみぐら》。左は深川・元町の町家だが、いずれも表戸を閉《た》て切っている。  この道を行けば、間もなく大川《おおかわ》(隅田《すみだ》川)へ突き当る。 (はて……?)  前方の闇の底に、何やら蠢《うごめ》くもの[#「もの」に傍点]の気配が大治郎に感じられた。 (だれかが、隠れている……)  隠れている者が、蠢いた。  それは、 (私がやって来るのを見たから……)  ではないのか。 (私を、だれかが待ち伏せている……)  のではないか。  もとより秋山大治郎は〔剣客《けんかく》〕である。  そして、剣客としての過去にも現在にも、自分《おのれ》の生死《しょうじ》がかかっている。  血を見ることを好まぬ大治郎でも、他の剣客の怨恨《えんこん》と憎悪《ぞうお》を、 「好むと好まざるとにかかわらず……」  我が身に背負っているはずだ。  また、何かが蠢いた。  しずかに左手で大刀の鯉口《こいぐち》を切り、大治郎は、前方に蠢くものへ向って一歩、二歩とすすみはじめた。  そのとき、突如、後方から疾風のように迫って来た黒い影が、 「たあっ!!」  大治郎の頭上へ刃《やいば》を打ち込んだ。  ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と、大治郎の躰《からだ》が変った。  曲者《くせもの》の一刀は凄《すさ》まじい刃風《はかぜ》と共に、大治郎の面《おもて》をかすめた。  腰を引いて飛び退《しさ》った大治郎が、右手の提灯を相手へ投げつけた。  曲者は提灯を刀で払いのけざま、 「親の敵《かたき》……」  と、大治郎の胴を薙《な》ぎ払ってきた。  颯《さっ》と、猿子橋の東詰《ひがしづめ》まで後退した大治郎が抜き合せ、 「何者だ?」  声をかけたとき、橋の西詰に蠢いていた者が抜刀して橋上へあらわれた。  曲者が、二人になった。 「卑怯者《ひきょうもの》。名乗れ!!」  大治郎が、叱咤《しった》した。  すると……。  二人の曲者が、はっ[#「はっ」に傍点]としたように顔を見合せ、じりじりと後退しはじめたではないか。 「名乗れ、名乗らぬか」  大治郎は、ふたたび橋上へすすみつつ叫んだ。  闇夜のことゆえ、定かではないが、一人は若く、一人は老いて見えた。  二人とも顔を隠してはいない。 「私は秋山大治郎と申す者だ。何の恨みあって斬《き》りかかった?」  二人は、橋の西詰まで後退し、それから身を返して走り去った。  走り去るというよりも、逃げ去ったといったほうがよいだろう。  橋上に立ったまま、大治郎は刀にぬぐい[#「ぬぐい」に傍点]をかけ、鞘《さや》へおさめた。 (後ろから斬りつけてきた若者が、私を、親の敵といった。たしかに、そういった……)  どうも、わからぬ。 (人ちがいか……)  ならば何故《なぜ》、あの二人は、人ちがいをしたのであろうか。 (わからぬ……?)  人ちがいをしたというのなら、するだけの理由があるはずだ。  それとも、大治郎の姿かたちが、 (だれかに似ていたのだろうか?)  あの二人は、大治郎の声を聞いて逃げた。大治郎の声で、 (過《あやま》ちをさとったらしい……)  のである。  では、やはり、躰つきが似ていたことになるではないか。  しかも、偶然に出合って斬りつけてきたのではない。  あきらかに、あの二人は大治郎を待ち伏せていた。  そして……。  以後は、秋山大治郎が浅草の橋場《はしば》の外れにある我が家へ帰り着くまで、尾行して来る者はなく、闇の中にも異常の気配が全く感じられなかった。      一  つぎの日。  妻の三冬《みふゆ》が、朝餉《あさげ》の膳《ぜん》に向い合って坐《すわ》ったとき、 「あの……」  何やらいうことがあるのに、ためらっている素振りを見せたが、大治郎は「う……」と、生返事を洩《も》らしたのみで、あらぬ方へ目を据《す》えたまま、味もわからぬ様子で箸《はし》をうごかしている。  いうべきことをためらうのも三冬らしくないことだが、この朝の大治郎もまた、いつもの彼ではなかった。 (何やら、おもいつめておいでのことがあるらしい……)  と、三冬は看《み》た。  看たが、しかし、 「いかがなされましたか?」  問いかけるような三冬ではない。  昨夜おそく帰って来た夫は、ほとんど口もきかず、臥床《ふしど》へ入ってからも、よく眠れなかったようだ。  もし、夫が自分にいうべきことがあるなら、問わずとも、いってくれるはずなのである。それを口に出さぬのは、それだけのわけ[#「わけ」に傍点]があるのだから、むだ[#「むだ」に傍点]な問いかけをしてもはじまらぬ。  女ながら、きびしい武術の修行をしてきている三冬だけに、日常の暮しの中にも、余計な言動が自然に省かれてしまうのだ。  朝餉をすませてから、三冬は、大治郎を家に残し、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の小兵衛《こへえ》の隠宅へ出かけて行った。  このところ、毎日のように隠宅へおもむき、おはる[#「おはる」に傍点]の教えを受けて、三冬は大治郎の袴《はかま》を縫いつつあった。  この日、田沼《たぬま》屋敷での稽古《けいこ》は休みであったが、道場で飯田粂太郎《いいだくめたろう》と笹野《ささの》新五郎が熱心に稽古を始めても、大治郎は居間からうごかなかった。  こんなことも、めずらしい。 「粂太郎殿。先生は、どうなされたのだ?」 「わかりませぬ」 「何やら、凝《じっ》と考え込んでおられるようだが……」 「はあ……」  この二人もまた、三冬同様に、問いかけることをせぬ。  昼近くなって、大治郎が道場へあらわれ、 「粂太郎。ちょっと出かける。三冬は八ツ(午後二時)ごろにもどって来よう。それまでは、此処《ここ》にいてくれ」 「はい。お帰りは?」  と、粂太郎が問うのへ、 「わからぬ」  ただ一言のこたえを残し、大治郎は塗笠《ぬりがさ》を手にして何処《どこ》かへ出て行った。 「どうも……妙だな。妙だぞ、今日の先生は……」  と、笹野新五郎。 「はあ……」 「御新造《ごしんぞ》と喧嘩《けんか》でもなされたものか……?」 「いえ、私は早くまいりましたが、そのような様子でもありませぬでした」 「ふうむ……」  稽古をやめ、二人は汗をぬぐい、昼の弁当をつかいはじめた。  昨夜の天候だと、今日はおそらく雨になるだろうと、だれもがおもっていたのに、昼すぎから薄日がさしはじめた。  もっとも、昨夜は、大治郎が寝についてから、いっときは激しい雨になったのだが……。 「なあ、粂太郎殿……」 「はあ?」 「来年のいまごろは、この道場もにぎやかになるぞ」 「門人が増えるということですか?」 「増えることは増えるのだが、門人ではない」 「何が増えます?」 「小さいのが一人……いや、一人と決めてもいかぬ。二人、一度に増えることもないではない」 「何です、それは?」 「まだ、気がつかぬのか……」 「わかりません」 「ま、そうだろうな。肝心の先生がおわかりになっていないのだから……」 「何です、いったい……」 「さて、男が増えるか、女が増えるか……」  新五郎がこういったので、飯田粂太郎も、さすがにわかったらしい。 「ほ、本当ですか?」 「うむ。間ちがいない」 「先生のお子が、生まれるのですね?」 「うむ」 「三冬様が、そう、おっしゃったのですか?」 「ばかな。先生にもまだ打ち明けておられぬのに、何で、おれに……」 「でも、よくわかりましたね?」 「おぬしとはちがうよ。うふ、ふふ……」  六百石の旗本の子に生まれながら、継母が生んだ弟に父の跡をつがせ、みずから家を出て一介の剣客となった笹野新五郎だけに、人を看る目も、どこかちがっている。 「それにしても、今日の先生は気がかりな……」 「はあ……」  弁当を食べ終っても、新五郎と粂太郎は、稽古をする気力をうしなっていた。  そのころ……。  秋山大治郎は、両国橋を東へわたり、竪川の一ツ目橋をすぎ、御舟蔵《おふなぐら》に沿った道を、昨夜、二人の侍に斬《き》りかけられた猿子橋へ向って歩んでいた。  塗笠は手に持ったままで、わざと自分の顔をさらしつつ、ゆっくりと大治郎は歩を運んでいる。  あの二人が、自分を待ち伏せていたというなら、自分があの場所を通ることを予測していたにちがいない。あるいは尾行し、前後からはさみ[#「はさみ」に傍点]討とうとした。  それはつまり、大治郎に似た男を何処かで見かけ、これを二人が、ひそかに見張っていたことになる。それなのに見間ちがえたのは、暗夜だったからだ。すると日が暮れる前に、二人はその男[#「その男」に傍点]を見かけたことになる。若い侍が「親の敵《かたき》……」と呼びかけた男をである。 (すると……その男は、夜に入ってから外へ出て来た。いや、その男に似た私が外へ出て来たのを、二人は見間ちがえた……)  ことになるではないか。  では、昨夜、大治郎がいた同じ場所に、その男がいたことになる。  ここまで考えた大治郎が、もはや、 (捨ててはおけぬ……)  気もちになったのは、当然であったろう。  昨日は、田沼屋敷の稽古日であった。  稽古を終えたのち、まだ、あたりが明るいうちに、大治郎は深川へやって来た。  それからのことは、よくおぼえている。  そこで大治郎は、昨日の自分の行動を、さかのぼってみることにしたのだ。 (そのほかに、いまのところ、手段《てだて》がない……)  からである。      二  深川の北部……小名木《おなぎ》川の北岸の猿江町《さるえちょう》に、千二百石の旗本・若林金之助の屋敷がある。  当主の金之助|元泰《もとやす》は、現在、公儀の御役にも就いていないが、若林家は代々・裕福な家柄《いえがら》だそうな。  若林家の、いまは隠居をして〔春斎《しゅんさい》〕と名乗っている先代と、大治郎の父・秋山小兵衛との因縁《いんねん》は、 「浅からぬもの……」  があるといってよい。  小兵衛が、恩師・辻平右衛門《つじへいえもん》と別れ、四谷《よつや》の仲町《なかまち》に道場をひらいたとき、若林春斎は、 「できるだけのことは、してさしあげよう」  申し出てくれて、物心ともに、小兵衛はなみなみ[#「なみなみ」に傍点]ならぬ庇護《ひご》をこうむった。  小兵衛は、いまも、その恩を忘れず、年に何度か、猿江町の若林屋敷を訪問し、七十をこえた隠居の春斎の機嫌《きげん》をうかがうことにしている。  若林春斎が何故、秋山小兵衛を気に入ってくれたかというと、むかし、辻平右衛門の代りに、小兵衛が猿江町まで来ては、春斎に剣術の稽古《けいこ》をつけたからだ。  当時は〔金之助〕を名乗り、四十そこそこの年齢だった春斎は、熱心に稽古をしたし、 「剣の筋も、よかった……」  そうである。 「わしが後楯《うしろだて》になり、おぬしの父御《ててご》を江戸随一の剣客にしてみせようとおもうてな」  と、若林春斎は、大治郎に語ったことがある。  ところが当時の小兵衛は、大道場を構え、多勢の門人をあつめて威勢をほこるつもりなど少しもなく、若林春斎がいろいろと奔走してくれ、しかるべき大名家へ接近させるように計らっても、小兵衛は一向に気乗りせず、 「私は、このままが気楽でようござる」  と、数少ない門人たちを相手に、みずからの修行に打ち込むばかりであった。 「あの折に、わしの申すことを聞けば、いまごろは大治郎殿も、父御の跡をつぎ、江戸で指折りの大道場の主《あるじ》となっていたものを……」  昨日も春斎は、屋敷へあらわれた大治郎に、そういったものだ。  春斎は、二年ほど前に病んでから、立居も不自由となり、老体は日に日におとろえるばかりらしい。  少年のころの大治郎が、父の道場で見た若林春斎の面影《おもかげ》は、堂々たる体躯《たいく》の、威厳にみちたものであった。  その春斎が、いまは、老い果てて、小さく細い躰《からだ》になってしまい、顔つきも、 「童子のごとく、あどけない……」  ものに変ってしまった。  かつては御使番《おつかいばん》、御目付《おめつけ》、小普請組《こぶしんぐみ》支配などの役職を歴任し、幕府での羽振りもよかった春斎だが、隠居となって十年余になるいまは、訪問の客もすくない。  屋敷の奥庭にのぞむ場所へ、三間つづきの立派な隠居所を建て、春斎は、若い侍女たちに傅《かしず》かれて、余生を送っている。  こうした老人にとって、こころにかなった者の訪問が、何よりも、 「よろこばしい……」  ことは、いうまでもないことであろう。  大治郎も江戸へ帰って来ると、すぐに、若林春斎の許《もと》へ挨拶《あいさつ》に出向いたものだが、 「おお、帰って来たか。若き日の小兵衛殿そのまま[#「そのまま」に傍点]じゃ」  と、春斎は大いによろこんでくれた。  秋山|父子《おやこ》は、容貌《ようぼう》もそれほどに似てはいないし、躰つきなら、子のほうが親の二倍は大きく見える。  しかし、そこはなんといっても血を分けた父子ゆえ、若林春斎の目から見ると、 「どこか、似ているのであろうよ」  と、小兵衛が大治郎にいったものだ。  春斎は、大治郎が自分の剣術の師の息《そく》というので、決して呼び捨てにしたりはせぬ。  近ごろは春斎、はなし相手がほしくなると、使いの者を大治郎宅へさし向け、いろいろと贈物を届けたりして、 「近々《ちかぢか》に、お越しをねがいたい」  と、いってよこす。  そこで大治郎が訪れると、 「近ごろの、世間の様子はいかがじゃ?」  身を乗り出してくるのであった。  そうしたはなし[#「はなし」に傍点]なら、父の小兵衛のほうが打ってつけだとおもうのだが、春斎にいわせると、 「年寄りどうしで語り合《お》うていると、たがいに気が滅入《めい》ってくる……」  のだそうな。  昨日も大治郎は、夕暮れ前に若林屋敷へ入り、春斎の〔はなし相手〕をつとめ、結構な酒肴《しゅこう》でもてなされ、夜も遅くなってから辞去したのである。  剣の道にも通じ、幕府の能吏として諸役をつとめてきた若林春斎だけに、大治郎のほうも、この隠居の豊富な体験を聞くことがたのしくもあり、また、ため[#「ため」に傍点]にもなった。  このごろでは、むしろ、春斎からの呼び出しを待たずに、若林邸へおもむくようになってきている。  大治郎は、二人に斬《き》りつけられた猿子《さるこ》橋の上に佇《たたず》み、しばらく沈思していたが、やがて、昨夜の道筋を東へ歩みはじめた。  この道は、やがて藤堂和泉守《とうどういずみのかみ》・下屋敷に突き当り、そこから右へ折れ曲がって、小名木川の河岸《かし》道となる。すぐに、小名木川と横川が十字に合う地点へ出る。  横川へ架かる猿江橋をわたると、河岸道の左側に、若林屋敷の長屋門が見えた。  若林家の当主・金之助元泰は、二十年ほど前に、養子に来た人物で、前に御使番をつとめたこともあり、 「まことに、温厚な人物……」  だというが、秋山大治郎は、ほとんど、その顔を見たことがない。  金之助の実家は、神田《かんだ》の駿河台《するがだい》に屋敷がある千二百石の旗本・三嶋弾正《みしまだんじょう》(金之助の実兄)であった。 (さて、どうするか……?)  大治郎は、いったん、若林屋敷の門前を通りすぎた。 (御隠居様に、お尋《たず》ねするまでもないこと……)  であるから、顔見知りの門番を呼び出して、 「御当家に、私と同じような躰つきの人《じん》が、昨夜お見えになったか?」  と、尋《き》いてみるつもりで、此処《ここ》まで来たのだ。  だが、それも何か、ためらわれる。  門番の口から、大治郎の質問が若林家の人びとの耳へつたわることも予期しておかなくてはなるまい。そうなれば、若林春斎の耳へも入る。春斎は何とおもうであろう。  はっきりと事情がつかめぬまま、このような探りを入れることは、 (御隠居様へ、無礼にあたる)  大治郎は思い直しつつも、尚《なお》、立ち去りかねた。  どう考えても、昨夜の二人は、自分が若林屋敷を出たところを見定めて、襲撃を決行したとしかおもえぬ。  自分によく似た、その男は、 (おそらく、私と前後して、この御屋敷へ入ったのではないか……それを見た二人が、夜に入って出て来るのを待ちかまえていた……)  これが、秋山大治郎の推理であった。  空は、すっかり晴れあがっていた。  小名木川の川面《かわも》に、秋の午後の日射《ひざ》しが光っている。  ぼんやりと佇む大治郎の目の前を、荷舟が二つ、ゆっくりと擦《す》れちがって行った。  冬鳥が群れをなして、空を渡るのをながめていた大治郎は、 (これは、やはり、父上に相談をしてみるがもっともよい)  おもいさだめた。  さもなくば、すべてを忘れ去ってしまうことだ。  ともかくも、今日は、若林屋敷への探りを断念することにして、大治郎は身を返し、いま来た道を引き返そうとしたのだが、 (や……?)  その足は、ぴたり[#「ぴたり」に傍点]と止まり、本能的に塗笠《ぬりがさ》で顔を隠していた。  いましも、若林家の脇門《わきもん》が開いて、道へあらわれた男を見たからであった。  背丈も躰つきも大治郎によく似た侍である。総髪《そうがみ》も大治郎そのままだが、年齢《とし》のころは四十前後で、顔貌《がんぼう》は全く似ていない。  手にした編笠《あみがさ》をかぶりつつ、あたりを見まわした鋭い視線が、ぴたり[#「ぴたり」に傍点]と大治郎へ止まった。  いまさら、身を引くこともならず、大治郎もゆっくりと塗笠の緒《お》をむすびながら、其処《そこ》に立っていた。  侍は編笠をかぶったのちも、大治郎を注視している。  その身構えには、一分《いちぶ》の隙《すき》もなかった。 (これだ。この男をねらって、昨夜の二人は襲いかかったのだ……)  大治郎は直感した。  川面のどこかで、荷舟の船頭が唄《うた》う舟唄が聞こえている。  およそ五間をへだてて、笠をかぶった二人の間に、息づまるような緊迫があった。  それも、時間にしたら一瞬のことであったやも知れぬ。  ふっ[#「ふっ」に傍点]と、侍は大治郎へ背を向け、歩み出した。 (あの侍は、若林屋敷に一夜をすごしたのだろうか……?)  このことである。  さして急ぎもせぬ足取りで、編笠の侍が猿江橋へかかるのを見まもりつつ、大治郎はうごけなかった。  とっさに尾行することを考えたが、相手はこちら[#「こちら」に傍点]の存在に気づいている。しかも油断も隙もない相手だ。おそらく大治郎が尾行をしても成功しまい。  侍は一度も振り向かず、猿江橋をわたり、遠ざかって行く。      三  前方を行く編笠の侍の後を、秋山大治郎は、 「尾《つ》けるともなく……」  尾けているかたち[#「かたち」に傍点]になった。  強《し》いていうなら、大治郎も同じ道を帰らねばならなかったといえよう。もっとも、ここで、あの侍を見失ったら、不可解の事情を解明することが面倒になる。  そこで、別れがたく……というよりも、離れがたいおもいがしたのだ。  侍は一度も振り向かず、小笠原《おがさわら》・太田両家の下屋敷にはさまれた道を左へ曲がった。  左へ行けば、すぐに、小名木川へ架かる高橋《たかばし》へ出る。 (あ……もう、これでは仕方がない……)  大治郎は、そうおもった。  この道を左へ行けば、自分の帰り途《みち》ではなくなる。それでも尚《なお》、侍の後を行くとすれば、これは、あきらかに〔尾行〕となってしまう。  あきらめて、大治郎は足を速めた。  左側の太田屋敷の塀《へい》が尽きるところまで行ったとき、 「もし……」  低く声をかけて、編笠の侍がいきなり、大治郎の目の前へあらわれたものである。  はっ[#「はっ」に傍点]としたが、侍の躰《からだ》から殺気がふき出していない。 「お手前《てまえ》、拙者に何ぞ、御用でもおありなのか?」  落ちつきはらった声音《こわね》で、侍が問いかけてきたとき、咄嗟《とっさ》に大治郎の肚《はら》が決まった。 「あるといえばある、無いといえば無いようなものですが……」 「ほう……」  二人とも、笠を除《と》らぬままであった。  笠の内から、大治郎はあたりを見まわした。  前方に高橋が見え、左側は太田屋敷の塀がまわっており、右側は常盤町《ときわちょう》の町屋《まちや》だ。  その一角に、〔清月庵《せいげつあん》〕という蕎麦《そば》屋がある。 「申しあげたいことがござる」 「ふむ……」 「路傍での立ちばなしも如何《いかが》かとおもわれます」  と、塗笠を除って顔を見せた大治郎が、 「よろしければ、あれにて……」  清月庵の方を指し示した。  うなずいた侍が、これは笠を除らぬまま、大治郎の後について清月庵へ入った。  小体《こてい》な店だが、いかにも清げなかまえで、二階に小座敷があるという。  大治郎は、先へ立ち、二階へあがって行った。  侍は、清月庵へ入って笠を除ったわけだが、髭《ひげ》の剃《そ》りあとが青々とした、いかにも剣客《けんかく》らしい顔だちで、身なりもととのっており、 (この人《じん》も、若林家の御隠居様がお目をかけられている剣客なのか……?)  大治郎は、そうおもった。  取《と》り敢《あ》えず、酒をたのみ、酒がくるまで、二人は無言で、たがいに相手を探り合っていたようだ。  酒がきた。  小女《こおんな》が去ると、大治郎が、 「先《ま》ず……」  侍の盃《さかずき》へ酌《しゃく》をした。 「昨夜は、一時《いっとき》の間でしたが、ひどく降りましたな」 「さよう……」 「あのときの雨を、若林様御屋敷で、お聞きなされたか?」  侍は、こたえぬ。 「私は昨夜、若林様の御隠居様の許《もと》へ、まいっていたのです」 「………?」  侍が口へ運びかけた盃の手をとめ、不審げに、大治郎を見た。 「名乗り遅れました。秋山大治郎と申します」 「そこもとが……」  と、盃を膳《ぜん》の上へ置き、侍の態度が、急に変った。おそらく、若林|春斎《しゅんさい》と秋山|父子《おやこ》の関係を知っているにちがいない。 「佐々木周蔵と申す」  侍は両手を膝《ひざ》に置き、正しく名乗った。 「うけたまわりました」 「ところで、秋山大治郎殿が何故、拙者の後を尾けられます? いや、その前に、御屋敷から拙者が出てまいるのを待ち受けておられたようだが……」 「いささかの嘘《うそ》いつわりもなく、申しあげます。先ず、お聞き下さい」  大治郎は、昨夜からの顛末《てんまつ》を包み隠さず、佐々木周蔵へ語った。  佐々木は、眉毛《まゆげ》一筋うごかさず、あくまでも真摯《しんし》な態度をくずさずに聞き入っている。  しかも、語る大治郎の目に、自分の目を合わせ、いささかもたじろがぬ。  聞き終えてのち、佐々木が、 「貴公へ斬《き》りかかった二人のうち、一人は若者と申されたな?」 「さよう」 「面体《めんてい》は?」 「暗夜でござる。しか[#「しか」に傍点]とはわかり申さなんだ」 「なるほど……」 「佐々木殿には、このことを、何とおもわれます?」 「さようさ……」  佐々木周蔵は、膳の上の盃を手に取り、冷えた酒をのみほすと、 「まさに、その二人は、貴公を拙者と見間ちがえたものとおもわれます」  いくらか言葉をあらため、 「まことにもって、御迷惑をおかけいたした」  深く、頭を垂れたものである。 「いや……」  大治郎は、いつになく、狼狽《ろうばい》をした。  狼狽することはないのだが、あまりにも佐々木の態度が率直であったからだ。  これまで、怪しげな秘密めいたものが自分の胸に沈んでいただけに、 「意表をつかれた……」  と、いってもよい。 「佐々木殿。では……?」 「さよう」  佐々木が、はっきりとうなずいた。 「あの若者は、親の敵《かたき》と叫び、私に斬りつけてまいったのです」 「なれば、おそらく、拙者を親の敵としてつけ[#「つけ」に傍点]狙《ねら》っておる者でありましょう」  ここにいたって秋山大治郎は、あまりにいさぎよい佐々木周蔵を、むしろ茫然《ぼうぜん》と見つめた。 「敵もちの身……」  ならば、そのことを隠して隠して隠しぬかなくてはならぬはずであった。  昨夜のように、いつ、どこで、相手に襲撃されるやも知れぬからだ。  また、武家の敵討ちとなれば、一も二もなく、敵を討つ側が〔正義〕となる。討たれる方は逃げて逃げて逃げまわり、もしも相手と出合ったときは、相手に味方する〔正義〕の倫理へ立ち向わねばならない。  それは、つまり、世間を敵にまわすことにもなるのだ。  そのような危険を背負った身でありながら、佐々木は大治郎へ、淡々として自分が〔敵もち〕であることを打ち明けたのである。  大治郎が戸惑ったのも、当然といえよう。返す言葉もない。 「秋山殿……」 「は……?」 「これよりは二度と、御迷惑のかからぬようにいたしたく存ずる」 「………?」  この佐々木の言葉も、また、解《げ》しかねる。 「では、これにて……」  腰をあげかけた佐々木周蔵へ、大治郎がおもいきって問いかけてみた。 「佐々木殿は、若林様と、どのような関《かか》わり合いがあるのでしょうか?」  このとき、はじめて、佐々木のふとい[#「ふとい」に傍点]眉毛がうごいたようだ。  しかし、眉の下の切長《きれなが》の両眼《りょうめ》は澄み切っている。 「さて……」  いいさして、すぐに佐々木はためいき[#「ためいき」に傍点]を吐《は》いた。  けれども、口もとへ微笑が浮いて出た。 「秋山殿。そのことなれば、若林の御隠居様へ、お尋ねなさるがよろしかろう」  こういって、佐々木周蔵は階下へ去った。  さして間を置かずに、大治郎も下りて行ったのだが、早くも佐々木が、この店の勘定をすませ、外へ出て行くところであった。  大治郎が外へ出て見ると、佐々木は高橋の上へさしかかっていた。  と……。 「若先生。こんなところで何をしていなさる?」  うしろから声をかけられて、大治郎が振り向くと、そこに、いまも深川の洲崎弁天《すさきべんてん》の橋のたもとで鰻《うなぎ》の辻売《つじう》りをしている又六が、例のごとく洗いざらしの盲縞《めくらじま》の筒袖《つつそで》の裾《すそ》を端折《はしょ》った姿で立っていた。 「お……又六か。どこへ行く?」 「大《おお》先生と若先生のところへ泥鰌《どじょう》をとどけて来ましたよ」 「そうか。それは、すまぬ……」 「どうしなすったね、若先生……」 「う……」  振り向いて、海辺大工《うみべだいく》町の道を歩んでいる佐々木の後姿を見た大治郎の脳裡《のうり》へ閃《ひらめ》いたものがある。 「又六、たのむ」  大治郎が又六の腕をつかみ、高橋のたもとまで行き、 「向うに、編笠をかぶった侍が行く。見えるか?」 「はい。見えます」 「後を尾けてもらいたい」 「悪い奴《やつ》かね?」 「そうではないが、私が尾けてはまずいのだ」 「わかりました」  又六は、のみこみが早い。  早くも、高橋へかかりつつ、 「行先をつきとめたら、すぐに知らせます」 「又六。私は、お前の家《うち》で待っている。そのほうがよい」 「わかりました」  いつの間にか、日がかたむきはじめていた。  道行く人びとの足取りが、忙《せわ》しげになっている。  大治郎は、あたりに目をくばった。  昨夜の二人は、佐々木が昨日、若林屋敷へ入ったところを、 (見とどけているにちがいない……)  のである。  そして、大治郎を佐々木と見間ちがえたことに気づいたのだから、当然、引きつづいて若林屋敷を見張っているものとおもわねばならない。  となれば、今日の、これまでの大治郎と佐々木の行動も、 (見張られていたやも知れぬ……)  大治郎は、このことに、はじめておもいあたった。      四  鰻売《うなぎう》りの又六は、深川・島田町の裏長屋に、老母のおみね[#「おみね」に傍点]と二人きりで暮している。  おみねは秋山父子を、すでに見知っていたから、又六が帰るまで、 「待たせていただきたい」  という大治郎に、先《ま》ず、冷酒《ひやざけ》を湯のみ茶碗《ぢゃわん》へいれて出した。ちかごろは又六も、いささか酒の味をおぼえたとみえる。  それから、おみねは夕餉《ゆうげ》の仕度にかかり、たちまちに大治郎へ膳《ぜん》を出した。  その仕度が、あまりに早かったので、大治郎は遠慮をする間とてなかった。  いまが旬《しゅん》の浅蜊《あさり》の剥身《むきみ》と葱《ねぎ》の五分切を、薄味の出汁《だし》もたっぷりと煮て、これを土鍋《どなべ》ごと持ち出して来たおみねは、汁もろともに炊《た》きたての飯へかけて、大治郎へ出した。  深川の人びとは、これを「ぶっかけ[#「ぶっかけ」に傍点]」などとよぶ。  それに大根の浅漬《あさづけ》のみの食膳であったが、大治郎は舌を鳴らさんばかりに四杯も食べてしまった。  食べ終えてから、はじめて気づき、 「や……これは……」  赤面したけれども、もう追いつくものではない。  おもえば、朝食べたきり、いままで何一つ口へ入れていなかったのだ。  おみねは、さも、うれしげに給仕をしてくれた。  又六が帰って来たのは、それから間もなくのことであった。意外に早い。  それもそのはずで、佐々木周蔵の家は、此処《ここ》から、 「目と鼻の先……」  といってもよい大和町《やまとちょう》だったそうな。  このあたりは、いうところの〔木場《きば》〕と隣り合せだけに、堀川《ほりかわ》が縦横にめぐってい、夜の闇《やみ》の中にも木の香がたちこめている。  大和町は、長門《ながと》の国|萩《はぎ》三十六万九千石・松平(毛利)家の広大な下屋敷と堀川をへだてて西側にあたる。  その裏道の、亀久町《かめひさちょう》と向い合った細道に面した小さな家へ、佐々木周蔵が入って行くのを、又六は見とどけて来た。 「となりが、浜屋という釣《つり》道具屋なんです。へえ、あそこはもう、毎日のように通っているところなんで……」 「ありがとう、又六。おかげで助かった」 「これでいいんですか、若先生」  又六の家を出るとき、此処へ入る前から紙に包んでおいた一|朱《しゅ》(小粒銀)を、 「これで、お母《っか》さんに甘いものでも買ってあげてくれ」  と、素早く又六の手へつかませ、 「また、手つだってもらうやも知れぬ」  いうや、大治郎は走り去った。  夜空に、星が輝いていた。  このあたりへ来ると、江戸湾の汐《しお》の香がただよっている。  入舟町《いりふねちょう》から汐見橋をわたり、迂回《うかい》して堀川の対岸へ出た秋山大治郎は、目ざす佐々木周蔵の家を見出《みいだ》した。  道に面して、竹屋根の小さな門がついており、両側に竹が植え込まれた通路の向うに、灯《あか》りがわずかに洩《も》れている。  古びた小さな家だが、その造りから見て、以前は何処《どこ》ぞの商家の隠居所だったのであろうか。 (ここに、住んでいるのか……)  住んでいたら、どうする。 (どうしようもない……)  ことではないか。  この上、自分がうごきまわるのは、余計なことだとおもった。  何となく、気がぬけたようになり、ぼんやりとした足取りで、大治郎は橋場《はしば》の家へ帰った。 「父上が、大治郎は近ごろ、どうしている。すこしも顔を見せぬが……と、いうておられました」  と、三冬にいわれて、 「うむ……そうだな。明日、田沼様の帰りに立ち寄ってみよう」 「そうなされませ」 「三冬どのも、私が行くまで、鐘《かね》ヶ淵《ふち》で待っていたらいかがだ?」 「かまいませぬか?」 「よいとも。夕餉でもよばれて、いっしょに帰ればよい」 「はい」  昨夜の夫とはちがう、と、三冬はおもった。  おもいあぐねていた事が解決したような夫の面《おも》もちであった。  だが、今夜も、ともすれば、 (何やら、物おもわしげな……?)  夫でないこともない。  翌日。  秋山大治郎は、田沼屋敷への稽古《けいこ》に出かけて行き、飯田粂太郎《いいだくめたろう》と笹野《ささの》新五郎が道場へ来るや、三冬は二人に留守をたのみ、鐘ヶ淵へおもむいた。大治郎の袴《はかま》は、もう二、三日で仕上がるはずであった。  稽古を終えた大治郎が、父・小兵衛の隠宅へあらわれたのは七ツ(午後四時)ごろであったろう。 「おお、まいったな」  小兵衛はよろこんで、すぐさま、おはる[#「おはる」に傍点]へ酒の仕度をいいつけた。  酒を酌《く》みかわしながら、大治郎が、 「父上。一昨日、猿江町《さるえちょう》の御隠居様の、おはなし相手をしてまいりました」 「ほ、そうか。御元気にしておられたかえ?」 「はい」 「それは何より。わしも近いうちに御顔を見て来ようか……」 「父上……」 「何じゃ?」 「若林様と関わり合いのある人《じん》で、佐々木周蔵という侍……いや、剣客《けんかく》とおもえましたが、御存知でしょうか?」 「佐々木、周蔵……」  いいさして、小兵衛が盃《さかずき》を置き、 「お前、佐々木がことを、御隠居様からうかがったのかえ?」 「では、御存知なので?」 「耳にしている。十五年ほど前のことじゃ。そのころ、佐々木周蔵は春斎《しゅんさい》様の御家来でな」 「さようでしたか……」 「ところが、こやつ、見かけによらぬ悪い奴《やつ》だったらしい」 「悪い奴……?」 「同じ家来の柳田|某《なんとやら》の妻を、手ごめにいたしたのじゃ」  大治郎は、声もなかった。 「そしてな、その妻は汚《けが》された我が身を恥じて、砂村の海へ身を投げ、ついで柳田某も世をはかなみ、御屋敷内の長屋で、くび[#「くび」に傍点]を括《くく》って死んだそうな。それと知るや、佐々木周蔵は密《ひそ》かに御屋敷を脱《ぬ》け出し、行方知れずになったという」 「…………」 「これ、どうした? 何か、あったのか?」 「父上。その柳田夫婦に、男の子がおりましたか?」 「さ、そこまでは知らぬ。御隠居様も、まだ、そのころは御役に就いておられ、まことに多忙でな。わしも年に二度か三度、お目にかかったのみだし、くわしいことは、ようわからぬ。それにしても大治郎。何かあったな? どうだ、わしに聞かせてくれぬか、うむ……?」 「はあ……」  おはると三冬が、台所で夕餉の仕度をととのえている、その物音が絶えるまでの間に、大治郎はすべてを父に語った。  聞き終えたとき、秋山小兵衛の老顔が、きびしく引きしまって見えた。  小兵衛は、むしろ冷然として、 「捨てておけ。忘れることじゃ」 「それは、また……?」 「くわしい事情《こと》は、わしも知らぬが、これは、われらが関わり合うことではないような気がする」 「は……」 「忘れろ。よいな?」 「はい。もとより、そのつもりでおりましたが……」 「それでよい。それがよい」  四人そろっての夕餉のとき、小兵衛は、いつものように、たのしげであった。  夕餉が終ってから、大治郎と三冬は、おはるの舟に送られて大川《おおかわ》をわたった。  おはるの舟が大川の闇に溶けこむまで見送っていた大治郎が、 「三冬どの。先へ、帰ってくれぬか」 「何ぞ……?」 「帰ってからはなす。いささか、気がかりなことがあって……」 「はい」  例によって、三冬は多くを問わなかった。 「では、行ってまいる」 「お気をつけられて……」 「うむ」  三冬の手から提灯《ちょうちん》を受け取り、大治郎は深川へ向った。  だが、遅かった。  大治郎の予感は、まさに適中したのである。      五  浅草の橋場から、深川・大和町の佐々木周蔵宅までは、およそ二里ほどある。  秋山大治郎が本所《ほんじょ》から深川へ入り、仙台堀《せんだいぼり》に沿った道を東へ急ぎ、大和町の近くまで来たとき、五ツ半(午後九時)をまわっていたろう。  西平野町と東平野町の、町屋《まちや》と町屋の間に、材木置場があって、その前を通りすぎようとした大治郎が、 (や……?)  材木の蔭《かげ》に、人の呻《うめ》き声を聞いた。  提灯《ちょうちん》を差しつけて見ると、そこに、人が倒れている……いや、材木に寄りかかり、微《かす》かに呻いていたのである。  これが、佐々木周蔵であった。 「あっ……」  走り寄って抱き起し、 「佐々木殿……佐々木殿、しっかりなさい」  耳へ口を寄せて大治郎が呼びかけた。  だが、こたえはない。  すでに、佐々木は虫の息といってよかった。  佐々木の顔面から胸元へかけて、おびただしい血汐《ちしお》がながれ出している。 「佐々木殿。佐々……」  大治郎の腕の中で、佐々木周蔵が息絶えた。  佐々木の両刀は腰にあったが、鞘《さや》をはなれた形跡はない。 (これほどの男が、抜き合せることもなく斬《き》り殺された……)  のであった。  わからぬ。 (覚悟の上で、斬られた……)  のであろうか。  斬ったのは、おそらく、佐々木を両親の敵《かたき》としてつけ[#「つけ」に傍点]狙《ねら》っているあの二人[#「あの二人」に傍点]にちがいない。  そのうちの一人は、柳田某の息子と看《み》てよいのではないか……。  佐々木周蔵の遺体を背負った大治郎が道へ出て、あたりを見まわした。  町屋は、いずれも戸を閉ざしていたし、道を通る人の気配もなかった。  川巾《かわはば》二十間の仙台堀に架かる亀久《かめひさ》橋をわたり、佐々木の家までは、ごくわずかな道のりなのである。  佐々木は一人暮しをしているとのみおもっていた大治郎だが、佐々木宅の前まで来て見ると、門内の家の雨戸の隙間《すきま》から灯火が洩《も》れている。  ともかくも遺体を道端へ捨ててはおけぬので、佐々木の浪宅へ担《かつ》ぎ込み、安置してやりたいとおもったわけだが、 (佐々木殿には、家族がいたのか……)  おもいがけぬことであった。  そもそも、秋山大治郎が明日を待てずに駆けつけて来たのは、先《ま》ず、父・小兵衛から聞いた佐々木周蔵の汚行と、我が目にたしかめた佐々木の印象とが、どうしても、 (一つにならぬ……)  からであった。  同じ若林家に奉公をしている同僚の妻女を犯し、脱走して行方を暗《くら》ますような人物には到底おもえぬ。もっとも、父の小兵衛にいわせると、人間という生きものは、当人がおもいもおよばぬ別の顔を潜ませているものだそうな。  けれども、大治郎が見た佐々木周蔵の双眸《そうぼう》は澄みきっていた。  そして、佐々木は大治郎に、 「これよりは二度と、迷惑をかけぬつもり……」  と、いった。  これは、どのような意味合いをもっていたのか、それをたしかめたかったといえぬこともない。  竹屋根の小さな門を押すと、わけもなく開《ひら》いた。  古びた玄関へ大治郎が近づいて行くと、その足音に気づいたものか、玄関の戸が内側から開き、人影が外へ走り出て来た。  その人は、女であった。  女は、立ちすくんだ。 「佐々木周蔵殿のお内儀とお見うけします」 「は……」 「私は、秋山大治郎と申す者です。佐々木殿の亡骸《なきがら》を運んで来ました」  口の中で、女は微かに声をたてたが、さほど、動顛《どうてん》したようにも見えぬ。  しっかりとした足取りで先へ立ち、大治郎と佐々木の遺体を迎え入れたのである。  この女を、秋山小兵衛が見たら、どのような顔をしたことであろう。  大治郎は知らぬが、小兵衛は、むかし、この女が若林屋敷の侍女だったのを見忘れはすまい。  名を、おりく[#「おりく」に傍点]といった。  まだ、四十前の年齢であろうが、女にしては背丈が高く、彫りの深い顔だちで、眉《まゆ》が濃かった。  おりくは、佐々木の遺体を奥の間へ横たえるや、先ず、佐々木の血に汚れている大治郎の着替えを持ち運んで来た。これは佐々木が身につけていた衣類なのだろうが、折目も正しく手入れをされてい、袴《はかま》もそえてある。 (いま、この期《とき》に……)  これだけの配慮ができる女というのは、当今、めずらしいのではないか。 「秋山さま。お召し替え下さいませ」 「は……」 「あちらに、湯の用意をいたしました。汚れをお清め下さいますよう」 「恐れいりました」  おりくは、秋山大治郎のことを、佐々木周蔵から聞きおよんでいたらしい。それに小兵衛のことは、若林家に奉公をしていたころ、顔を見知っていたはずだ。  それにしても、このときのおりくの冷静きわまる言動には、のちのち、大治郎が、 「あれほどの女《ひと》を、見たことはない」  と、述懐したほどのものであった。  おりくは、いま、佐々木周蔵の妻になっている。  佐々木の遺体を清め、安置したのちも、大治郎は帰ろうとしなかった。  頭部、頸部《けいぶ》、胸、腹と、四ヶ所におよぶ深傷《ふかで》を負いつつ、ほとんど抵抗もしなかったとおもわれる遺体の前で、大治郎はおりくに、この始末の要因を問わずにはいられなかった。 「……亡《な》き周蔵に叱《しか》られるやも知れませぬが……なれど、私……佐々木周蔵の妻として、あなたさまのみへ申しあげまする。いえ、聞いていただきとうございます」  おりくの声は、わずかにふるえていたが、乱れもなく語りはじめた。  おりくが語り終えたとき、夜が明けた。  大治郎が、おりくに見送られて佐々木宅を辞去し、大和町の道へ出たとき、家の中へ入ったとおもわれるおりくの号泣が耳へ入った。  それは、門の彼方《かなた》の家の中から、外の道へ洩れ聞こえるほどの、烈《はげ》しいものだったのである。      六  いったん、橋場《はしば》の我が家へ帰った秋山大治郎が衣服をあらため、深川・猿江町の若林屋敷へあらわれたのは、この日の午後であった。 「おお、大治郎殿か。このように間近く見ゆるとはおもわなんだわ。ようまいった、ようまいった。ところで今日は、何ぞ、おもしろいはなしでも聞かせてくれるのかな……?」  と、若林|春斎《しゅんさい》は、大よろこびで大治郎を迎えた。 「さて、御隠居様にとって、おもしろいはなしか、どうか……」  こたえた大治郎の沈痛な面持《おももち》を、春斎は訝《いぶか》しげにながめやって、 「はて……?」 「御隠居様……」 「何じゃ、な……?」 「佐々木周蔵殿は、昨夜、柳田甚之助《じんのすけ》殿の一子《いっし》、茂太郎《しげたろう》殿に討ち取られましてございます。いや、討たれてやったと申すべきかと存じます」  一気に、大治郎はいった。  若林春斎の老顔が、火鉢《ひばち》の灰のような色に変った。 「佐々木殿は、御隠居様が柳田殿の妻女になされた仕打ちを我が身に引き受け、敵《かたき》持ちの身になったそうでございますな」  いいつつ、大治郎は懐中から五十両の金包みを出し、春斎の前へ置き、 「この金子《きんす》を御隠居様へお返ししてくれるようにと、佐々木殿の御家内よりたのまれました。先日、佐々木殿は御隠居様より、この金子をいただき、おりく[#「おりく」に傍点]どのへわたし、それとなく今生《こんじょう》の別れを告げたらしくおもわれます。身に四ヶ所の深傷を受けながら、あれほどの人《じん》が手向いもせずに討たれました」  春斎は脇息《きょうそく》にもたれ、上眼《うわめ》づかいに凝《じっ》と大治郎を見つめている。気味の悪い眼の色であった。  主人の春斎に陵辱《りょうじょく》された柳田甚之助の妻は、屋敷を出て、そのまま、砂村の海へ身を投じた。  しかし、夫へ遺書を残してあった。  これを見た柳田は驚愕《きょうがく》して、深夜、主人の居間へ侵入し、若林春斎に真偽を正した。  このとき、春斎は、柳田へ躍りかかって絞殺した。  千二百石の〔殿さま〕ながら、武術に鍛えられた若林春斎の腕力は強く、病身の柳田甚之助は悲鳴もあげぬまま、たちまちに締め殺されてしまったらしい。  その後で、春斎はひそかに佐々木周蔵を呼びよせ、柳田の死体を土蔵の中へ運び込ませ、くび[#「くび」に傍点]を括《くく》って自殺した体《てい》に見せかけたのだ。秋山小兵衛の耳には、柳田が自分の長屋で自殺したように聞こえていたが、本当は土蔵の中で死体が発見されたのだと、おりくは大治郎へ語った。  そのとき、柳田夫婦の子の茂太郎は十歳の少年で、折しも、母の実家《さと》に滞留をしていた。その実家というのは、本郷三丁目に住む町医者・田嶋長元《たじまちょうげん》方であった。  柳田夫婦は、茂太郎にとっては祖父にあたる田嶋長元の許《もと》で修業をさせ、行く行くは医者にさせるつもりだったそうだから、長元方へ滞留することがめずらしくなかったのであろう。  ところで……。  これだけの事件になると、いかに千二百石の旗本であっても、事を隠し終《おお》せることはできない。  そこで、佐々木周蔵が主人・春斎の汚行を一身に引き受け、屋敷を脱《ぬ》け出し、行方知れずとなった。  つづいて、侍女のおりくも出奔した。  屋敷内で、佐々木の無実を知っていたのはおりくのみである。何故《なぜ》ならば、すでに佐々木とおりくとは、 「徒《ただ》ならぬ……」  関係になっていたからである。  その後、柳田茂太郎は田嶋長元の許へ引き取られたが、父母の敵が佐々木周蔵と知って、おそらく、相応に剣術の修行をしたのであろうし、祖父の長元も、これを助けたにちがいない。  ただし、田嶋長元は六年ほど前に病歿《びょうぼつ》している。 「私どもは、人目を忍びつつ、諸国をながれまわり、三年ほど前に、ようやく江戸へ帰ってまいりました」  と、おりくは大治郎へ語った。  柳田茂太郎が佐々木周蔵を見かけたのは、それ以後のことで、おそらく、それも最近のことではなかったか……。  茂太郎の助太刀《すけだち》をした、いま一人の男について、おりくは、こういった。 「それは、茂太郎どのの叔父御《おじご》ではございますまいか……?」  となれば、茂太郎の亡母の実弟であり、田嶋長元の息子ということになる。 「御隠居様。先夜、私が当御屋敷からの帰り途《みち》に、おそらく柳田茂太郎殿とおもわれる人《じん》に斬《き》りつけられました。私を佐々木殿と見間ちがえたものとおもわれます。翌日、私は佐々木周蔵殿を見かけ、その人柄《ひとがら》をしか[#「しか」に傍点]とたしかめたのでございます」  しずかにいう秋山大治郎から目を逸《そ》らした若林春斎が、 「帰れ」  乾いた声でいった。 「その折、佐々木殿は、二度と他人に迷惑はかけぬつもりだと申されました」 「帰れ」 「佐々木殿は、下総《しもうさ》・関宿《せきやど》の浪人だったそうでございますな。それを御隠居様に拾いあげられたのを恩に着て、身がわりとなられた……おもえば義理の堅い人ながら、気の毒に存ぜられます」 「下《さが》れ」 「申しあげることは、すべて申しあげました。では、これにて……」  一礼して廊下へ出た大治郎へ、若林春斎がこういってよこした。 「おのれの父・小兵衛が、わしから受けたる恩義を忘れるなよ。よいか」      七  この日。  大治郎からの報告を、無言のまま聞き取った秋山小兵衛は、何とおもったか、 「佐々木の浪宅へ案内せよ」  と、大治郎の先導で深川へ駆けつけた。  のちに、大治郎が三冬へ語ったところによれば、 「駆けつけるのが一足遅ければ、おりく[#「おりく」に傍点]どのは、夫の遺体の前で自害をして果てていたろう。さすがに父上だ」  ということだ。  秋山|父子《おやこ》は、佐々木周蔵の遺体を葬《ほうむ》り、後始末をすませたのち、小兵衛がおもいついて、おりくの身柄を親友の町医・小川宗哲《おがわそうてつ》の許《もと》へあずけることにした。長らく宗哲宅にいて、まめまめしくはたらいていた老女中が、この夏に亡《な》くなったこととて、 「たれぞ、しっかりとした女《ひと》はおらぬかな……」  と、宗哲老が困っていたのを、おもい出したからであった。 「それにしても、父上……」  と、或《あ》る日、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅を訪れた秋山大治郎が、 「若林の御隠居様が、あのような所行《しょぎょう》をなさっていようとは、おもいもよらぬことでした」 「わしもさ……」 「父上も?」 「うむ……二十何年も、あの御隠居の人柄が好きで……いや、いまも好きなことに変りはない。受けた恩義も忘れてはおらぬが、なれど大治郎、お前が余計なことをしてくれたおかげで、こうなったからには、もう、御隠居にお目にかかれなくなってしまったわえ」 「やはり、余計な事だったのでしょうか?」 「いや、いまのは冗談じゃよ」 「父上。御隠居様は、いったい、どのようなお方だったのでしょう?」 「わしとお前が見た御隠居の二つの顔の、どちらの方も本当の御隠居の顔じゃ。人間《ひと》という生きものは、みな、それさ。わしなぞ、十も二十も違う顔をもっているぞ。うふ、ふふ……」  笑った小兵衛が、 「ときに、大治郎」 「はい?」 「お前の顔は、まだ一つじゃな」 「はあ……?」 「なればよ、肝心のことに、まだ気づいておらぬのじゃ」 「それは、何のことでしょうか?」 「まだまだ、修行が足らぬなあ。別の顔を、もっと、いくつも持つようになれ。あは、はは……」 「父上……」 「怒るな。ま、怒るなよ」 「いったい、私が何に気づいておらぬといわれるのです?」 「ばかもの」 「は……?」 「おのが女房の腹へ耳をあててみろ」  呆気《あっけ》にとられた大治郎だが、さすがに、ここまできてわからぬはずもない。 「父上。そ、それは、まことですか?」 「名付親は、わしだそうな。三冬が決めているぞ」  奮然として大治郎が、 「三冬どのは、何故早く、私にいわぬのだ」  畳を蹴《け》って立ちあがり、父へ挨拶《あいさつ》もせずに庭へ飛び下り、駆け去った。  台所から、おはる[#「おはる」に傍点]があらわれ、 「あれまあ、若先生。気が狂ったのじゃないかね」 「そうだろう、きっと……」 「自分の子が生まれると知ったら、男なんてもなあ、みんな、あんなになるものかねえ」 「らしいな……」 「先生は、若先生が生まれるとき、どうだったのかね?」 「わしか……さて、忘れてしまったわい。ときに、おはる」 「あい?」 「どうじゃ、わしの子を生みたくないかえ?」 「生むためには、それだけのことをしてくんなさらなくては、生まれませんよう」 「あ、そうか……」 「このごろ、ほんとに、御無沙汰《ごぶさた》だものねえ、先生」 「そうだった、かな……」 「そうですよう……」 「ではひとつ、今夜は御無沙汰のおわびに罷《まか》り出ようかのう」      ○  ところで、これよりのち、半年ほどの間に、秋山大治郎は三度、刺客《しかく》の襲撃を受けた。  いずれも、相手は覆面をしてい、人数も五、六人というところだったが、油断も隙《すき》もない大治郎につけ[#「つけ」に傍点]入ることができなかった。  大治郎は、刺客どもを殺さなかった。  あるいは峰打ちに倒し、あるいは手足の一つも切り放し、追い散らした。  そして、このことを、大治郎は父に打ち明けなかった。  三冬にも、洩《も》らさなかった。 (だれが、刺客どもを私にさしむけたのか……)  それは、おぼろげながら、推測ができるようなおもいがした。  むしろ、 (来るなら来い)  であった。  彼らの襲撃に備えることを、剣客としての大治郎は自分の〔修行〕としたのである。  むろん、四谷《よつや》の弥七《やしち》へも語らず、したがって町奉行所へも届け出なかった。  そして、翌年の春もすぎようとするころ、若林春斎が病死したことを、秋山父子は小耳にはさんだ。  春斎の死後、刺客どもの襲撃は、ぴたり[#「ぴたり」に傍点]と熄《や》んだ。  そのころ、小川宗哲の身のまわりの世話に、忙しく立ちはたらくおりく[#「おりく」に傍点]にも、生気《せいき》がよみがえったようである。     小さな茄子《なす》二つ (ああ……久しぶりに江戸へ出て来たのだから、秋山先生をお訪ねし、御無沙汰《ごぶさた》のお詫《わ》びをしたいのだが……)  けれども、夜道をかけて行けば、新宿《にいじゅく》までは三里弱の行程だし、遅くも四ツ半(午後十一時)までには帰れよう。 (早く、この金を見せ、義弟《おとうと》を安心させてやりたい)  と、落合孫六は、おもい直した。  いま、孫六の腹には百両の大金が巻きつけられてある。  先年の〔雷神《らいじん》〕事件の折に、恩師・秋山|小兵衛《こへえ》から、 「月に一度は江戸へ出て来て、せがれの道場へ泊り込み、お前の剣術を鍛え直してもらえ。よいか、よいな」  と、念を押されて、 「はい。かならず……」  誓ったにもかかわらず、おのれの怠けごころに打ち克《か》てず、新宿にある藁《わら》屋根の、自分の小さな道場で近辺の農家の若者たちなどを相手に稽古《けいこ》をつけながら、惰性的な日々を送っている落合孫六であった。  孫六が住んでいる新宿は、武蔵《むさし》の国・葛飾《かつしか》郡(いまは東京都葛飾区)の宿駅である。  新宿は、孫六の亡妻よね[#「よね」に傍点]の故郷で、よねの弟が〔上総屋清兵衛《かずさやせいべえ》〕といって、布海苔《ふのり》屋をいとなんでいる。  今日、落合孫六が江戸へ出て来たのは、義弟・清兵衛の代理として、金百両を借り受けるためであった。  この前も、上総屋清兵衛は女と博奕《ばくち》に夢中となって、身代《しんだい》をつぶしかけ、このため孫六はなれ合い[#「なれ合い」に傍点](八百長《やおちょう》)試合までしたものだ。  そのときは、どうやら苦境を切りぬけ、商売もうまく行っているように見えたのだが、ちかごろの上総屋清兵衛は、またしても、打つ買うの道楽をはじめるようになったらしい。  今日も、清兵衛自身が金を借りに来るはずだったところ、昨夜から急に腹が痛み出したとかで、 「ぜひとも、義兄《あに》さまが行って、お金を受け取って来てもらいたい」  判を、あずけてよこした。  孫六は、 (またか……)  苦い顔をしたが、無下《むげ》にことわることもできぬ。  義弟の清兵衛には病身の妻おさと[#「おさと」に傍点]や、二人のむすめがいて、上のお光《みつ》という娘《こ》は十八歳になる。何人かの奉公人も抱えている清兵衛のことをおもえば、商売のための借金を代って受け取りに行くことなど、わけもないことではあった。 「はなし[#「はなし」に傍点]は、ちゃん[#「ちゃん」に傍点]とすんでいるのですから、この、小川屋|亀蔵《かめぞう》という人の手紙を向うさまへ見せた上で、お金を受け取って来て下さればいいのです」  清兵衛が、そういうままにしただけのことだ。  金を貸してくれたのは、根岸の里に住む住吉桂山《すみよしけいざん》という絵師で、午後になってあらわれた落合孫六を、 「よう、まいられた」  酒肴《しゅこう》を出したりして、ねんごろにもてなしてくれたので、孫六もよい心持となり、これまで口にしたこともない上等の酒にほろ[#「ほろ」に傍点]酔いとなり、日が暮れたのに気づき、あわてて桂山宅を辞去したのである。 (いや、実に、よいお人だ。それにしても清兵衛は、あのようなお人と何処《どこ》で知り合《お》うたのだろう……?)  六十がらみの老人で、頭がつるつる[#「つるつる」に傍点]に禿《は》げあがった住吉桂山は肥体を贅沢《ぜいたく》な衣裳《いしょう》に包み、美しい女中ふたりに傅《かしず》かれ、門構えの風雅な家に住んでいた。  落合孫六は、いま、根岸川|辺《べ》りの小道を北へ向っている。  あたりは、雑木林と田地ばかりで、夜の闇《やみ》が冷え冷えとしていたが、提灯《ちょうちん》に道を照らしつつ、急ぎ足に歩む孫六の小肥《こぶと》りの躰《からだ》は汗ばむほどであった。  秋山小兵衛が、 「まるで、二日酔いの古狸《ふるだぬき》を見たような面《つら》……」  と評した孫六は、もう、四十を三つか四つ超えているはずだが、そこは若いころ、秋山道場で鍛えただけに、夜道のひとり歩き[#「ひとり歩き」に傍点]も怖くはない。  例によって、垢《あか》じみた汗くさい着物によれよれ[#「よれよれ」に傍点]の袴《はかま》をつけている落合孫六が根岸川へ架けられた橋をわたり、道を東へ転じた。  この道をすすむと、下谷《したや》・金杉の通りへ出る。  この通りは千住大橋《せんじゅおおはし》を経て、日光・奥州《おうしゅう》の両街道へ通じる道筋ゆえ、夜に入っても灯火が絶えぬ。  しかし、まだ六ツ半(午後七時)ごろだったし、夏ならば提灯なしで歩むことができる時刻であった。  だが、秋も暮れようとしている季節《とき》だし、金杉の通りへ出るまでは、ほとんど人家の灯も見えぬ。 「もし、もし……」  橋をわたりきった落合孫六へ、背後から呼びかける声がした。  振り向いて見ると、百姓姿の男が提灯を持ち、橋をわたって来て、 「金杉の通りへ出るには、この道を行けばようござりやすかね?」  問いかけてきたので、孫六が、 「おう、わしも同じ道だ。いっしょに来なさい」  こたえて、躰の向きをもどした。  その瞬間であった。  何やら得体の知れぬ物が、闇の中から唸《うな》りを生じて孫六へ飛びかかってきた。  同時に、孫六の両足が強烈な打撃を受け、 「あっ……」  さすがの孫六も前のめり[#「のめり」に傍点]に倒れ、両手をつき、 「な、何奴《なにやつ》だ……?」  叫んで、身を起そうとしたのが、孫六の最後の記憶といってよい。  ずーん[#「ずーん」に傍点]と脳天がしびれ、たちまちに、落合孫六は気をうしなって倒れ伏した。  孫六が気づいたのは、それから半刻《はんとき》(一時間)ほど後になってからだ。  孫六が腹に巻きつけていた百両の大金は、跡形《あとかた》もなく消え失《う》せていた。  あたりには人の気配もない。  孫六は、愕然《がくぜん》となった。      一 「不覚者め。それで、このわしの門人といえるか!!」  と、秋山小兵衛は、目の前にうなだれている落合孫六を一喝《いっかつ》した。  その声は、台所で聞いていたおはる[#「おはる」に傍点]にいわせると、 「障子の桟《さん》が、ふるえた……」  かのように烈《はげ》しかったが、小兵衛の両眼《りょうめ》には微《かす》かに笑みがただよっている。  けれども孫六は顔《おもて》を伏せたまま、慄《おのの》いていたので、それにはまったく気づかぬ。 「なればこそ、あれほどに、月に一度は大治郎の道場へ泊りこみ、修行をし[#「し」に傍点]直せというたのじゃ。そのわしの言葉もきかず、怠けほうだいに打ち絶えておきながら、いざ、このような苦境に陥ると自分一人《おのれいちにん》の分別もつかず、のこのこ[#「のこのこ」に傍点]と泣きついて来るとは何たることじゃ。それでもわしの門人か。いやさ、それでも一廉《ひとかど》の剣客《けんかく》か!!」  いやもう、落合孫六は、さんざんの体《てい》たらく[#「たらく」に傍点]であった。 「先生。もう、いいじゃありませんかよう」  と、台所から顔をのぞかせ、取りなそうとしたおはるまでも、 「うるさい。引っ込んでおれ!!」  小兵衛の大喝をくらった。  落合孫六が、畳の上へひれ[#「ひれ」に傍点]伏して、泣きじゃくりはじめた。  中年男の孫六が、まるで七つ八つの子供のように泣き出したのである。  落合孫六は、もと、播州竜野《ばんしゅうたつの》五万千余石・脇坂淡路守《わきざかあわじのかみ》の江戸藩邸で足軽奉公をしていたのだが、四谷《よつや》にあった秋山小兵衛道場へ通って修行をするうち、堅苦しい武家奉公が嫌《いや》になってきて、 「たとえ食うに困っても、剣の道一筋に生きたい」  と、決意し、主家を退身してしまった。  このときも、小兵衛から「前もって、何故、わしに相談をせぬのか」と、ひどく叱《しか》りつけられたものだが、孫六としては、師に相談をしたところで、きっと押しとどめられるにちがいない。師の言葉に従わぬときは申すまでもなく、破門をいいわたされるのだが、それよりも無断で退身を決行したほうがよいと、おもいつめていたのである。  子はなかったし、そこは気楽で、孫六は妻のよね[#「よね」に傍点]の故郷の新宿へおもむき、当時はまだ健在だった妻の父に、ずいぶんと世話になった。  そのことをおもえばこそ、妻も義父も亡《な》くなった今日まで、孫六は義弟の上総屋清兵衛《かずさやせいべえ》の身を心配もし、ちから[#「ちから」に傍点]にもなっているのだ。  剣客としての落合孫六の腕前は、さほどにひどい[#「ひどい」に傍点]ものでもない。  新宿の道場へ帰れば「先生、先生」と慕う若者たちを熱心に教えているし、たまさかに通りかかった旅の剣客が、 「一手の御指南を……」  と、試合を挑《いど》んできても、これまでに落合孫六は一度も負《ひ》けをとったことがない。  それほどの男が小兵衛の前へ出ると、すっかり、子供にかえってしまう。 (甘ったれめ。こうしたところがなければ、孫六の剣術も、いま一つ上へ突きぬけられるのじゃが……)  小兵衛は舌打ちをして、立ちあがった。 「せ、先生。おゆるしを……おゆるしを……」 「ばか」 「は、はい。まったく……」 「おのれで、おのれのばか[#「ばか」に傍点]をみとめているのじゃから世話はないわえ」  小兵衛は、すっ[#「すっ」に傍点]と奥の部屋へ入ってしまった。 (まったく、先生のおっしゃるとおりだ。何で、おれは此処《ここ》へ来たのだろう。先生へ愚痴をこぼし、おのれの失敗《しくじり》を語ったところで、何になるというのだ。ああ、まったく……おれというやつは、何という、なさけないやつなのか……)  落合孫六は、悄然《しょうぜん》となって、襖《ふすま》の向うへ、 「先生。まことにもって、夜中《やちゅう》、おさわがせいたし、恐れ入りました。孫六、肝に銘じましてございます」  辛うじて声をかけた。  返事はない。 「これより、修行のし[#「し」に傍点]直しをいたします」  こういって、孫六が腰をあげたとき、 「待て」  と、小兵衛が奥からあらわれた。  孫六は、またも平伏した。  その頭の近くへ、小兵衛が何か置いて、 「持って行け」 「は……?」  見ると、小判が百両、紫色の袱紗《ふくさ》の上に並べられてあるではないか。 「せ、先生……」  このような大金を、即座に老師が出してくれようとは、孫六の、おもいおよばぬことであった。  孫六は、強奪された金を、小兵衛から借りようとおもったのではない。こうした場合、どうしたらよいかを指示してもらいたかった。それによって、惑乱しきった自分の行動を決定したいとおもったのだ。 「その金はな、わしのものではない。さるお人が亡くなられた折に、わしへあずけた遺金の内から、お前に貸してやるのじゃ。かならず返せよ。よいか」 「は、はい……」 「お前が使う金ならば、用立てはせぬぞ。なれど、お前には義弟《おとうと》の代人としての責任《せめ》があるゆえ、貸してやるのじゃ。いまは知らず、かつては目をかけてやった門人が、かような不始末をしでかしたのでは、わしも、お前の義弟とやらに顔向けができぬわえ」  小兵衛が出してやった百両は、かの金貸し幸右衛門《こうえもん》が、 「御面倒ながら、なにとぞ、いかようにも御処分下されたく……」  と、したためた遺書と共に遺《のこ》した千五百両のうちから、孫六へ出してやったものである。 「せ、先生。これを、あの……」 「義弟に持って行ってやれ」 「かまいませぬので?」 「よけいな台詞《せりふ》が多いぞ。かまわぬから出したのじゃ」 「は……まことにもって、かたじけなく……」 「礼をいうなら、亡き浅野幸右衛門殿へ申せ」  落合孫六は感涙にむせびつつ、 「よかったねえ、落合さん」  と、身仕度を手つだうおはるへ、 「助かりました。助かりました」  両手を合わせた。  このようなことを小兵衛にしたら、またぞろ、叱りつけられる。 「孫六……」 「は……?」 「帰るのは、夜が明けてからにせよ」 「いえ、あの……」 「そうしろと申しておるのじゃ」 「は、はいっ」 「ま、坐《すわ》れ。坐って、今夜のありさま[#「ありさま」に傍点]をくわしくはなしてみるがいい。はじめから、ゆっくりとはなせ。お前が新宿を出て来たところから、その何とやらいう絵師の家で馳走《ちそう》になったときのことも、な」  こういって、小兵衛はおはるに酒を命じた。  急に、雨が軒《のき》を叩《たた》いてきた。  翌朝は、からり[#「からり」に傍点]と晴れた。  落合孫六は百両の小判を抱き、飛ぶように新宿へ帰って行ったが、秋山小兵衛から、 「金を義弟へわたしたなら、すぐに、引き返して来いよ」  と、いわれた。  さらに小兵衛は、一つ二つ、あること[#「あること」に傍点]を上総屋清兵衛から聞き取ってくるようにといいふくめ、 「昨夜の事はだまっているがよい。遅くなったので、夜道は物騒ゆえ、わしのところへ泊ったとでも申しておけ」  と、念を入れた。 「昨夜は古狸《ふるだぬき》さん、たん[#「たん」に傍点]と泣いたねえ、先生」 「いい年齢《とし》をしてのう」 「二日酔いどころじゃなかったよう」 「まったくじゃ。あんなに剽軽《ひょうきん》な面をしているゆえ、孫六は他人《ひと》に甘く見られるのじゃ。損な男よ」 「でも、いまどき、あんないい人[#「いい人」に傍点]、めずらしいよう」 「うむ……」  小兵衛は熱い茶をのみながら、晩秋の朝の日ざしが次第にみちてくる庭先を凝《じっ》と見つめた。  どこかで、しきりに鵙《もず》が鳴いている。  おはるが、庭へ出した筵《むしろ》の上で、裏手から椀《も》ぎ取ってきた渋柿《しぶがき》の皮をむきはじめた。これを吊《つる》しておくと、やがて柿の色が黒くなり、甘味が出てくるのだ。 (さて……孫六を襲うたやつは、だれか……?)  たしかに相手は、落合孫六のふところに大金が在ることを知っていて、待ち伏せていたのである。  孫六の背後から声をかけた百姓姿の男というのも、 (まさに怪しい)  と、小兵衛は看《み》ている。  孫六を襲った者は、おそらく二人以上なのではあるまいか。  彼らは、孫六が、絵師・住吉桂山《すみよしけいざん》の家へおもむき、金百両を借り出したことを探知していたにちがいない。  それでなければ、埃《ほこり》くさい、垢《あか》じみた風体《ふうてい》の孫六を奇襲するはずがない。それが証拠に、孫六は殺害されてはいなかった。  殺すのが目的ではなく、金を奪うためにしたことなのだ。  では、新宿に住む悪人どもの仕わざであろうか。  上総屋清兵衛と親しくしているだれかが、借金の一件を聞き出したものか……。 (いずれにせよ、捨ててはおけぬ)  このことであった。  それにしても、 (闇《やみ》の中から、何やら唸《うな》りを生じて、孫六の両足を撃ったという……それは何であろう?)  孫六の感覚としては、人が飛び出して来て打ちかかったように、 「到底、おもわれませぬ」  とのことだ。  それならば、これに対応できるだけの鍛練を、孫六は積んでいるはずであった。 (武器じゃな。何やら見当もつかぬ武器を、孫六の足へ投げつけてきた……)  ようにも、考えられる。  いずれにせよ、孫六が両足に受けた衝撃は、相当に強烈であったらしい。  落合孫六が、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ引き返して来たのは、昼すぎである。 「どうじゃ、お前の義弟は昨夜《ゆうべ》、心配で眠れなかったのではないか?」 「そのとおりでございます」 「お前もお前じゃが、上総屋清兵衛というのも、道楽者で困ったやつじゃな」 「はい。なれど人柄《ひとがら》は、まことによいのでございますが……」 「それ、そのことよ。それはそっくり、お前に当てはまる」 「は……いえ……」 「人がよいというのにも、いろいろある。お前たちの人のよさは、むしろ、世の中に害をおよぼすのじゃ」  孫六は身をすくめ、言葉も出なかった。 「孫六は腹が空《す》いているだろう。おはる、何か食べさせてやりなさい」 「あい、あい」 「これ、孫六」 「は……」 「腹がふくれたら外へ出るぞ。二、三日は新宿へも帰れぬものとおもえ」      二  武蔵《むさし》の国・南足立《みなみあだち》郡・千住《せんじゅ》(現・東京都荒川区と足立区に跨《また》がる)は、江戸の東北口にあたり、江戸より奥州《おうしゅう》・日光両街道の第一駅として、むかしから繁昌《はんじょう》をし、宿駅としての発達も早かった。  千住は、いわゆる〔四宿〕の一で、荒川に架かる千住大橋をはさみ、橋の南、すなわち江戸の方を〔小千住《こせんじゅ》〕とよび、橋をわたってから北へ伸びている宿場町を〔大千住《おおせんじゅ》〕とよぶ。  その〔大千住〕の千住四丁目と五丁目の、東側の境に〔小川屋|亀蔵《かめぞう》〕という古道具屋がある。  小川屋は古い店で、二軒分の店先を一つにし、あるじの亀蔵は宿場町の古顔でもあり、 「なかなかの羽振り……」  だそうな。  小川屋の裏手は竹藪《たけやぶ》になってい、その中に物置小屋ともいえぬ、かなり大きな、古びた小屋が建っている。  商売柄、古道具類も入っているが、実は、夜になると、この小屋の中二階が博奕場《ばくちば》になるのだ。  大名の下屋敷の中間《ちゅうげん》部屋で、夜になると博奕がはじまることを、いささかも怪しまなくなってきた世の中なのだから、宿場町の古道具屋の裏手で博奕をやったところで、別にどういうことでもあるまい。  そして、お上《かみ》の十手《じって》をあずかる土地《ところ》の御用聞きも、小川屋亀蔵には、 「一目《いちもく》置いている……」  というはなしだ。  さて……。  落合孫六が金百両を強奪された夜から五日目の夜ふけに、道具屋亀蔵の博奕場で、四谷《よつや》の弥七《やしち》の手先・傘《かさ》屋の徳次郎を見ることができる。  徳次郎は、いい服装《みなり》をして、髪もきれいに結いあげ、博奕に使う賽《さい》の目を見まもる目つきも、こうした場所に来慣れている商人《あきんど》そのものであった。  今夜はじめて、小川屋亀蔵の博奕場へ顔を見せたというのに、傘屋の徳次郎には、 「いい[#「いい」に傍点]目が出つづけて……」  引きあげようと腰をあげたときは、三十両ほどはふところ[#「ふところ」に傍点]へ入るはずであった。  徳次郎が博奕場を引きあげたとき、八ツ(午前二時)をまわっていたろう。 「ええ、はじめて寄せてもらいまして、こんなに勝たせていただきましては申しわけもない。これで一つ、みなさんに、お酒でもさしあげて下さい」  こういって徳次郎は、金十両を小川屋亀蔵へ差し出し、 「旦那《だんな》。明後日《あさって》も一つ、寄せていただきますよ」 「ようござんすとも。それにしても近江屋《おうみや》の旦那は気前がいい。たしかに、この金で、みなさんに飲んでいただきますよ」  と、小川屋亀蔵が、にこにこしながら、 「これから、江戸へ?」 「とんでもない」 「宿《しゅく》へお泊りなので?」 「はい。もう、前もって……」 「なるほど。いい妓《の》が待っていなさる……」 「まあ、そんなところで……」  千住は、品川・板橋・内藤新宿《ないとうしんじゅく》と共に四宿とよばれ、平旅籠《ひらはたご》のほかに飯盛《めしもり》女という名目で客をとらせる娼妓《しょうぎ》を置く食売《しょくばい》旅籠が五十をこえて、 「愛想よき、千住|女郎衆《じょろしゅ》に袖《そで》ひかれ、草鞋解《わらじと》く解く泊る旅びと、御初尾五百|文《もん》」  なぞと、洒落本《しゃれぼん》にもしるしてある。  傘屋の徳次郎は、本所相生町《ほんじょあいおいちょう》二丁目の小間物屋〔近江屋庄三郎〕と、小川屋亀蔵に名乗った。  小川屋の博奕場へ、近江屋になりすました徳次郎を紹介したのは、ほかならぬ新宿《にいじゅく》の布海苔《ふのり》屋・上総屋清兵衛《かずさやせいべえ》であった。  清兵衛は、義兄《あに》の落合孫六が金百両を強奪されたとは、夢にも思っていない。  ゆえに、落合孫六が、 「お前の借金は博奕が元《もと》で増えたにちがいない。咎《とが》めはせぬから、いうてごらん。いったい、お前は何処《どこ》で博奕をしたり、女を買ったりするのだ」  やさしく問いかけると、清兵衛は、 「義兄さん。女房には内証ですよ」 「いいとも、いいとも。後学のために聞いておきたいだけだ」 「ですが、そんなことを聞いて、どうなさるので?」 「実はな、わしの古い知り合いで、大変にその、博奕が好きな人がいるものだから……」 「へへえ……?」 「お前は、どこで遊ぶ?」 「千住ですよ。小川屋という古道具屋の裏手に博奕場が開《あ》くのですよ」 「ほう……」  それから孫六が、そこは年の功で、うまく聞き出したところによると、清兵衛が小川屋で博奕を打つようになったのは、この夏のころからだという。  その前は、江戸へ出て来て、道楽をしていたらしい。  しかも、場所が千住であったから、飲む打つ買うが同時にできて、道楽者には、 「便利この上もない……」  というわけだ。  以前から上総屋清兵衛は、千住一丁目の食売旅籠〔藤屋《ふじや》善次郎〕方の抱え妓《おんな》で、お染《そめ》というのがなじみ[#「なじみ」に傍点]で通いつめていた。  小川屋で博奕が開くと知ったのも、藤屋の主人《あるじ》から聞いて、 「それはおもしろそうだ」  とばかり、藤屋の紹介で、小川屋へ来るようになった。  さ、そこで、この夏から今日までに、上総屋清兵衛が博奕で擦《す》った金は、合わせて百七十二両余におよんだ。この金はすべて、小川屋亀蔵が、 「ようござんすとも」  こころよく、立て替えてくれたのである。  むろん、小川屋は、 「こういうことは、まあ、一応はきちん[#「きちん」に傍点]としておきませんとね……」  と、清兵衛から証文を取っている。  そうしておいて、いよいよ、 「そろそろ旦那、方《かた》をつけてもらいましょうかね」  と、小川屋がいい出した。  小川屋亀蔵が土地の〔顔役〕であることは、清兵衛も充分にわきまえている。金を返せなかったときは、それこそ、自分のむすめを借金の抵当《かた》に取られ、千住の娼妓に売り飛ばされても、 「文句はいえぬ……」  ことになった。  借金のうちの七十二両余は、何とかできたが、どうしても残る百両の工面がつかぬ。  すると、小川屋亀蔵が、 「わずかな利息で、金を貸してくれる人がいますぜ」  こういって、紹介をしてくれたのが、絵師の住吉桂山《すみよしけいざん》だったのである。 「なるほどのう……」  と、秋山小兵衛は、落合孫六からの報告を聞き、にんまり[#「にんまり」に傍点]とした。  それから小兵衛は、孫六に案内をさせ、ひそかに住吉桂山宅を見とどけたり、孫六が奇襲された場所を見たりしてから隠宅へ帰った。  翌日。小兵衛は、四谷の弥七と傘屋の徳次郎をよび寄せ、落合孫六をふくめて、いろいろと打ち合せをおこない、いったん、孫六を新宿へ帰した。  帰った孫六は、義弟の上総屋清兵衛宅へおもむき、 「わしの知り合いの、博奕好きの人がな、おもしろそうだから、ぜひとも、その、千住の古道具屋の博奕場へ引き合せてくれというのだ。お前、たのんでくれるか?」 「そりゃ、わけもないことですが、その人というのは、どこの人なので?」 「本所相生町の小間物屋で、近江屋|庄三郎《しょうざぶろう》という人だがね」 「へへえ、そうですか……」  それから、清兵衛が、近江屋になりすました徳次郎を、小川屋亀蔵へ引き合せ、徳次郎が博奕場へ出向いたということになる。  傘屋の徳次郎が、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へあらわれたのは、その翌日の午後になってからだ。 「おお、徳次郎。どんなぐあい[#「ぐあい」に傍点]だったな?」  と、小兵衛。 「昨夜は大分に目が出ましたので、十両を祝儀《しゅうぎ》に置き、上総屋清兵衛さんがなじみ[#「なじみ」に傍点]だという藤屋へ泊りましてございますよ」 「いい妓《の》がいたかえ?」 「へえ、なかなか……」  傘徳も、大分に儲《もう》けたので妓を抱いて、いい気分で遊んで来たらしい。  そして今朝も、遅くなってから……。  徳次郎は藤屋を出て、江戸へ入り、本所相生町の小間物屋・近江屋庄三郎方へ入ったのである。  近江屋は、奉公人も三人ほどの小さな店で、主人の庄三郎は、かの小川|宗哲《そうてつ》宅へ出入りをし、宗哲や小兵衛と碁敵《ごがたき》の親しい間柄ゆえ、前もって小兵衛が近江屋へたのんでおいたのだ。 「ふむ、ふむ。それで?」 「やっぱり、大《おお》先生がおっしゃいましたように、その藤屋の若い者が見え隠れに私を尾《つ》けてまいりまして、私が近江屋さんへ入るのを見とどけましたようでございます」 「お前が、間ちがいもなく近江屋庄三郎であることを、藤屋善次郎がたしかめたわけじゃな」 「はい。そうとしか、おもえませんでございます」 「すると、その食売旅籠の藤屋と道具屋の小川屋とは同類と看《み》てよいのではないか、どうじゃ?」 「はい。私も、さようにおもいます」  こういって徳次郎が、あわてて、 「いけねえ、すっかり忘れてしまって……」 「どうした?」 「いえ、大先生。おあずかりした博奕の元手《もと》を……」  と、ふところから出した金が十七両余である。  昨日、小兵衛が傘徳に与えたのは五両であったから、それを元手に三十余両を儲け、十両を小川屋へ祝儀にあたえ、残る二十余両のうち、徳次郎が千住《せんじゅ》の藤屋で遊んだ金は三両。その残りを、いま、小兵衛の前へ差し出したことになる。 「なあんだ。豪勢に遊んだのではなかったのかえ?」 「ですが大先生。千住じゃあ、そんなにつかいきれませんでございますよ」 「あは、はは……ま、この金は、お前が持っていておくれ。お前の腕で増やした金じゃ、遠慮はいらぬ。それに、また何度も小川屋の博奕場《ばくちば》へ行ってもらうことになろうよ」  小兵衛は、十七両余を強《し》いて徳次郎のふところへおさめさせた。 「ところで、大先生……」 「何じゃな?」 「あの、私が、千住で遊んだことを、うち[#「うち」に傍点]の親分には、内証にしておいて下さいまし」 「ああ、わかっているとも」      三  翌日から、近江屋庄三郎《おうみやしょうざぶろう》になりすました傘屋の徳次郎は、毎夜々々、千住へ出かけて行った。  博奕場からの帰りは、かならず藤屋へ泊り、翌朝は本所の近江屋へ帰る。  日暮れ前に小兵衛の隠宅へ立ち寄ってから、徳次郎は、また、千住へ出かけて行くのである。  この間、内藤新宿の我が家へは一度も帰らぬ徳次郎であったが、女房のおせき[#「おせき」に傍点]に、四谷《よつや》の弥七《やしち》が、 「徳次郎は、いま、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の大先生の御用で、いそがしくはたらいているのだから、安心をしたがいい」  と、いいふくめておいた。  弥七は弥七で、徳次郎とは別に、何やら探りをかけているようだ。  ところで……。  これから七日の間に、徳次郎は博奕場で勝ったり負けたりしていたが、ついに百五十余両の大金を小川屋|亀蔵《かめぞう》から借り受け、始末をつけることになってしまった。 「実はね、小川屋さん。いますぐにといっても百五十両という金を私は持っていない。これまでの道楽がすぎて、余分の貯《たくわ》えもない。いえ、そりゃあ、店を始末してしまえば三百両にも四百両にもなりましょうが……それでは、家族も奉公人も路頭に迷うことになる。なあに、一月もすれば当てもあるし、かならず、お返し申します」  と、泣きついた徳次郎へ、小川屋亀蔵が、 「ですがね、近江屋さん。私がお前さんに用立てた百五十両も、実のところ自分の金ではないのですよ。やりくり[#「やりくり」に傍点]をして、まあ、待っていてあげているのだから、借りるなら借りるで、他《ほか》のところから借りて来ておくんなさい」 「それが、どうも……なかなか、うまく行かないのでねえ」 「それなら、わずかな利息で、金を貸してくれる人に引き合せてもようござんすよ」 「えっ……ほ、ほんとうですか、小川屋さん」 「ですが、一月後には、きっと返してくれましょうね? それでないと、お前さんのお店《たな》を抵当《かた》にとられても仕方はありませんぜ。それで、ようござんすか?」 「よいとも、よいとも、当てはある。ちゃんと当てはあるのだから大丈夫ですよ」 「では、証文をつくりますが、ようござんすね?」 「そうして下さい。ああ、これで、ほんとうに助かった。助かりましたよ、小川屋さん。このとおり、恩に着ます」  この夜は藤屋へ泊らず、徳次郎は鐘ヶ淵の隠宅へやって来た。  小兵衛は、すぐに酒を出してやり、 「徳次郎。後を尾《つ》けられなかったかえ?」 「大丈夫でございます。小川屋亀蔵は、もう、私を近江屋の旦那《だんな》とおもいこんでおります」 「そうか。ならばよい」 「やっぱり大先生。金を貸してくれるというのは、根岸の絵師でございましたよ」 「ふむ、ふむ。それで?」 「明日の八ツ半(午後三時)すぎに、その住吉桂山《すみよしけいざん》宅へ行くようにと、小川屋からいわれました。いかがいたしましょう?」 「そりゃ、行ってもらわずばなるまい」 「これが、小川屋から絵師へあてた手紙でございますが……開けてごらんになりますか?」 「いや、そのままにしておくがよい。なまじのことをして怪しまれてはなるまい」 「私は、明日どういたしたらよろしいので?」 「朝早く此処《ここ》を出て、近江屋へ行き、小川屋にいわれた時刻に根岸へ行ってくれ。それまでは、近江屋から一歩も出てはならぬぞ」 「それから、どういたします?」 「住吉桂山は、おそらく金百五十両を、お前に貸してくれ、酒肴《しゅこう》を出し、もてなしてくれるにちがいない。いや、もてなしたあとで金を出してくれるやも知れぬな……」 「それを、受け取ってよろしいのでございますか?」 「むろんさ」 「それから、どういたします?」 「ま、これをごらん」  と、秋山小兵衛が紙をひろげ、硯箱《すずりばこ》を引き寄せた。  小兵衛が描《か》きしたためたのは、根岸の住吉桂山宅を中心にした絵図面である。 「な、此処が絵師の家じゃ」 「へい、へい……」 「で、此処がほれ、お前も知っている和泉屋《いずみや》の寮(別荘)じゃ」 「へえ、すぐ近くなんでございますね?」 「わしが、しか[#「しか」に傍点]と調べておいたのじゃ」  上野山下の書物問屋〔和泉屋|吉右衛門《きちえもん》〕は、秋山大治郎の妻・三冬の生母の兄にあたる。  独身《ひとりみ》のころの三冬は、その和泉屋の根岸の寮で、老僕《ろうぼく》の嘉助《かすけ》と共に暮していたものだ。  いまも嘉助が寮をまもってい、時折、大治郎と三冬も泊りがけで出向いて行く。 「よいか、徳次郎。これが和泉屋の寮の……ほれ、此処のところじゃ。ここに大きな椎《しい》の木がある。おぼえていような?」 「おぼえております」 「そうじゃ。そこでな……」  と、何やら小兵衛が徳次郎と打ち合せにかかった。  おはる[#「おはる」に傍点]は、台所で、徳次郎のための食膳《しょくぜん》の仕度にかかっているらしい。  うまそうな味噌《みそ》の香りが、小兵衛の居間へもながれ込んできた。 「どうじゃ、のみこめたかえ?」 「わかりましてございます。ですが大先生。うち[#「うち」に傍点]の親分のほうへは、このことを知らせなくともいいのでございますか?」 「なあに、弥七からは、このところ毎日、朝と暮れ方に連絡《つなぎ》をつけてくるようになっている」  と、どこまでもぬかり[#「ぬかり」に傍点]のない小兵衛ではある。 「それはさておき、落合孫六の義弟の上総屋清兵衛《かずさやせいべえ》は、まさかに、千住の博奕場へ顔を見せるようなことはないだろうな?」 「はい。はじめに藤屋を通じて、私を小川屋亀蔵へ引き合せてくれてから、一度も顔を見せませんでございます」 「うむ。孫六めが、つききりで見張っているにちがいない。それでよし」  台所から、おはるが、 「先生よう。はなしはすんだかね?」 「おお、すんだ。徳次郎の腹の虫が鳴いているようじゃ」 「大先生。こんな夜ふけに、とんでもないことでございます」  一応は遠慮をしてみせたが、まさに徳次郎の腹は空《す》き切っていた。 「その小川屋の博奕場で、わざと負けるのも骨が折れたろう?」 「なあに、わけもないことでございますよ」  博奕には、年期が入っている傘徳《かさとく》である。  小川屋の指図で、いかさま[#「いかさま」に傍点]の賽《さい》が使われたことも見抜いていた徳次郎だが、わざと、その裏をかくことをしなかっただけだ。      四  翌日の午後。近江屋庄三郎《おうみやしょうざぶろう》方の奉公人に見送られて近江屋を出た傘屋の徳次郎は、そのまま、根岸へ向った。  根岸の和泉屋《いずみや》の寮とは目と鼻の先の、金杉村|新田《しんでん》にある稲荷《いなり》の祠《ほこら》については〔道場破り〕の一篇にのべておいた。あのとき、稲荷の祠の裏の小屋に住んでいた剣客《けんかく》・鷲巣見平助《わしすみへいすけ》は、もはや、この世[#「この世」に傍点]の人ではない。  平助は曲者《くせもの》どもに小屋を焼かれ、飛び出したところを鉄砲で撃たれた。  焼け落ちた小屋は建て直すこともなく、稲荷の祠の清掃は、金杉村新田の百姓|町屋《まちや》の人びとが交替で、おこなっているようだ。  和泉屋の寮をまもる老僕・嘉助《かすけ》も、 「わしも、気がむくと、掃除をしに行きます」  三冬に語ったことがある。  絵師・住吉桂山《すみよしけいざん》の家は、稲荷の祠の西側にある。  庭もかなりあって、木立も深い。  その木立の中に二|棟《むね》から成る風雅な家があるらしい。だが、塀《へい》外を通っただけでは、それとわからぬ。  あるじの桂山が外出《そとで》をするときは、いつも町|駕籠《かご》を門内まで引き入れるし、近辺の人びとも、顔を見たことがない。  なんでもうわさ[#「うわさ」に傍点]によると、上野・寛永寺とも縁《ゆかり》があるらしく、寛永寺の僧が出入りをすることもあるそうな。  すくなくとも、住吉桂山が根岸の里へ住みついてから、 「十年にはなる……」  というのが、近辺の人びとの声であった。 「へえ……ちっとも気がつきませぬでした。そんな、えらい絵師の先生が、この近くに住んでいなさるとは……」  と、嘉助が秋山小兵衛にいったほどである。  近江屋庄三郎になりすました傘屋の徳次郎が、住吉桂山宅を訪れ、小川屋|亀蔵《かめぞう》からの手紙を差し出すと、 「お待ちをいたしておりました」  若い男が徳次郎を一間《ひとま》へ招じ入れ、茶菓を出して引き下った。  どこかで香を薫《た》いているとみえ、よい匂《にお》いがただよってくる。  それでいて、玄関構えも部屋の造りも、どことなく料理茶屋のような感じがする家なのである。  床の間に山水の軸が掛かっているが、これは傘徳の目から見ても、 (ひでえ絵《もの》だ……)  であった。 (それにしても、妙な家だ……)  応対に出た若い男も、何やら得体が知れぬ。  町人のようでもあるし、黒い袴《はかま》をつけているところを見ると、住吉桂山の門人のようにもおもえる。しかし、それにしては肩巾《かたはば》もひろく、がっしりとした躰《からだ》つきだし、笑う目つきも卑《いや》しげであった。  この若者が、つぎにあらわれたときは、若い女中ふたりに酒肴《しゅこう》を運ばせ、 「いま、金子《きんす》を出しておりますから、しばらく、おすごしを……」  と、いう。 「とんでもないことでございます」  ことわりはしたが、もとより、 (向うさまのいいなり[#「いいなり」に傍点]になる……)  つもりの徳次郎だから、 (まさかに、毒が入ってもいめえ)  というので、いわれるままに酒をのみはじめた。  ふたりの女中がつききりで徳次郎をもてなす。若くて、きれいで、もてなしぶりに色気もあって、これまた、得体の知れぬ女たちだ。  すると、今度は、女たちに徳次郎のもてなしをまかせ、若者が出たり入ったりして、酒などを運ぶ。  女たちは、徳次郎の盃《さかずき》を受けもした。  この間、徳次郎は、 (どこかで、おれを、だれかがそっ[#「そっ」に傍点]と盗み見ている……)  ような気がしてならなかった。  結局、あるじの住吉桂山は、徳次郎の前に姿をあらわさなかった。  けれども、夜に入ってから、若者が金百五十両を持ってあらわれ、 「お待ち遠さまでしたな」  徳次郎の前へ差し出した。 「かまいませぬので?」 「はい。すべて、千住の小川屋さんとの間ではなし[#「はなし」に傍点]がついていることですからな」 「はい、それはもう……なれど、住吉桂山先生へお目にかかり、ごあいさつもいたさずに……」 「なに、かまいませぬ。先生はいま、御風邪《ごふうじゃ》の気味ですからな」 「さようでございますか」 「かまいません、かまいません」 「それでは、おことばにあまえまして……」 「大分に暗くなりました。提灯《ちょうちん》も、お貸しいたしましょう」 「これはどうも、かさねがさね、申しわけもございません」 「何の、何の……」  若者に送られて、傘屋の徳次郎は住吉桂山宅を出た。  夜の闇《やみ》が、徳次郎を抱きすくめてきた。  稲荷の祠の前をすぎた徳次郎が、和泉屋の寮の傍道《わきみち》へ入った。  徳次郎の提灯が、椎《しい》の木の蔭《かげ》へ入って見えなくなったとおもったら、すぐにまた、道へ出て来て、ふらふらと北の方へ揺れうごいて行く。  日が暮れると、このあたりの道を行く人の足がはた[#「はた」に傍点]と絶える。  現代の根岸ではない。  江戸市中の物持ちの別荘地でもあったほどの土地なのである。  曇った夜空に星もなかったが、妙に、なまあたたかい。      五  傘屋の徳次郎が持っている提灯《ちょうちん》のあかりが、根岸川へ架かる橋をわたろうとしていた。  この橋は、前に落合孫六がわたった橋よりも、いま一つ北へ寄っている。  だが、周囲の景観は、同じようなものだ。  木立と田地を包む闇《やみ》、また闇であった。 「もし……もし……」  突如、声をかけてあらわれた百姓ふうの男が、徳次郎の背後から、 「あの、金杉の通りへ出るには、この道を行けばようござりやすかね?」  と、近寄って来た。  このとき、徳次郎は橋をわたりきっていたが、何をおもったか返事もせずに、持っていた提灯を投げ捨てるや、身をひるがえして、背後の男へ飛びかかった。 「あっ……」  百姓男が、おどろきの声をあげるのと、闇の中から唸《うな》りを生じて飛んで来た物が、そのまま根岸川へ落ちて水音をたてたのが、ほとんど同時であった。 「むうん……」  と、百姓男が橋のたもとへ崩れ倒れた。  徳次郎の……いや、秋山小兵衛の拳《こぶし》を胸下の急所に突き込まれ、気をうしなったのである。  すでに小兵衛は、傘屋の徳次郎と入れ替っていた。  徳次郎が和泉屋《いずみや》の寮の傍道《わきみち》の、椎《しい》の木蔭《こかげ》を通りすぎたとき、そこに待ち構えていた秋山小兵衛が、徳次郎の手から提灯を受け取り、そのまま歩み出したのである。  明るいところで見たなら、いうまでもなく小兵衛と徳次郎は、顔も姿もちがっているが、暗闇の中で、このように巧妙な替り方をされたのでは、尾行していた百姓男が気がつかなかったのも当然であったろう。  百姓男を打ち倒した秋山小兵衛は、そのまま道へ蹲《うずくま》った。  身なりは、徳次郎同様の町人姿だが、脇差《わきざし》一つを腰にしている小兵衛の前へ、道の両側から怪鳥《けちょう》のごとく飛び出した黒い影が二つ。 「や、野郎……」 「どこへ逃げやがった……」  二人は、小兵衛の姿が消え失《う》せたとおもったらしい。 「おい……おい……」  小兵衛が依然、蹲ったままで、 「ここだよ、ここだよ」 「あっ……」 「そこだ。そこにいやがる!!」  二人が棍棒《こんぼう》を構えた。  その瞬間に、蹲っていた秋山小兵衛の短身が闇を切って二人の胸元へ躍り込んだ。 「うわ……」  どこをどうされたものか、一人は宙に舞って道へ叩《たた》きつけられ、そのまま、うごかなくなった。  一人は飛び退《の》いて、恐怖の叫びをあげ、無我夢中で棍棒を振りまわしはじめた。 「そこで棒振り踊りを踊っていてもよいのか、これ……」 「畜生め。こ、この野郎……」 「逃げなくともよいのか、よ」 「あ……あっ、あっ……」  いわれてはじめて、逃げることに気づいた曲者《くせもの》が、身を返したうしろから小兵衛が走り寄り、曲者の足を払った。  横ざまに倒れかかる、その頸部《けいぶ》を手刀《てがたな》で撃った小兵衛へ、 「大《おお》先生……大先生……」  よびかけながら、提灯が二つ三つ、近寄って来た。 「おお、弥七《やしち》。ここじゃ、ここじゃ」  和泉屋の寮に待機していた四谷《よつや》の弥七が、傘徳のほかに二人の手先を連れ、小兵衛の傍へ走り寄って、 「こいつらでございますね」 「うむ。早く、縄《なわ》をかけてしまえ。それから徳や。川の中を探してごらん。何か、妙な物が落ちているぞ。そこの……ほれ、そのあたりじゃ」  提灯を手に、徳次郎が根岸川の中へ踏み込んで行った。 「大先生。これから、どういたします?」  と、弥七。 「捕物の仕度はよいのかえ?」 「はい。十五人ほどで、住吉桂山《すみよしけいざん》宅を取り巻きましたが……」 「夜のことじゃ。大丈夫か?」 「何、一匹も逃《のが》すことじゃあございません」 「よし。それなら打ち込むがいい。わしも見物しよう。縄つきになった住吉桂山の面《つら》を見てやろう」  傘屋の徳次郎が、川の中を探って見つけ出した物は、拳ほどの石塊《いしくれ》に細引縄《ほそびきなわ》をからみつけたものだ。  この縄を振って、目ざす相手に投げつけたのであろう。石が当らなくとも縄が足にからめば相手のうごきを充分に封じることができるというものだ。  落合孫六は、みごと[#「みごと」に傍点]に、これを自分《おの》が足に受けとめてしまったのであろう。 「孫六のばかめが……こんなものに、してやられるとはのう」 「ですが大先生。こいつをもろ[#「もろ」に傍点]にくらったら、たまったものじゃあございません」 「金を貸しておいて、借りた者が帰るのを叩き伏せて奪い取り、またその上に、貸した金を取ろうという……こいつは弥七。住吉桂山というやつ、これまでに、ずいぶんと悪さをしているにちがいないぞ」 「まったくで……」  傘屋の徳次郎が、縄つきになった曲者のひとりを提灯のあかりであらためて見て、 「大先生。こいつは、小川屋の博奕場《ばくちば》にごろごろ[#「ごろごろ」に傍点]していた奴《やつ》にちげえありません」  と、いった。 「ふん。おおかた、そんなところだとおもっていたよ。これ、弥七」 「はい」 「千住《せんじゅ》の小川屋|亀蔵《かめぞう》と、それから飯盛旅籠《めしもりはたご》の藤屋《ふじや》へも、明朝には手配をしておけよ」 「承知しております」 「よし。さ、行こう。住吉桂山を召し捕るのじゃ」      六  秋山小兵衛は見た。  その夜の捕物で、召し捕られた住吉桂山《すみよしけいざん》が引き立てられて行く姿をである。  桂山宅には、桂山と下男をふくめて男四人、女三人がいて、一人も逃さず捕えることができた。  六十の老人ともおもえぬ住吉桂山の、脂光《あぶらびか》りのした血色のよい顔も、さすがに蒼《あお》ざめ、大柄《おおがら》の、でっぷりとした躰《からだ》に縄をかけられ、四谷《よつや》の弥七《やしち》に引き立てられて来たのを、秋山小兵衛は門外の道で見た。  あたりには、奉行所の高張提灯《たかはりちょうちん》が立ちならんでいたし、小兵衛は桂山の顔を一|間《けん》の近間《ちかま》で見た。  四谷の弥七が、 「こやつが、住吉桂山でございますよ」  といって、桂山を小兵衛の目の前へ突き出すようにしたのだ。  だから、桂山も小兵衛を見た。  見たが、しかし、町人ふうの小柄な老人が何故《なぜ》、この場にいるのか、桂山にはさっぱりわからぬ。  小兵衛は桂山の顔を見た瞬間に、何か、はっ[#「はっ」に傍点]としたようであった。  それは一瞬のことで、小兵衛のとなりにいた町奉行所の同心たちも気づかず、正面から小兵衛を見ていた住吉桂山にもわからなかったろうが、さすがに弥七だけは、 (はて、大先生は、この桂山を知っておいでなさるのか……?)  と、看《み》て取った。  だが、秋山小兵衛はすぐに二、三歩|退《しさ》って、弥七へ、 (よし。連れて行け)  と、目顔でうなずいて見せたのである。  そのときの小兵衛の老顔は、人がちがったような、きびしい表情に変ってい、弥七を戸惑わせた。  その翌朝。  千住《せんじゅ》宿の小川屋|亀蔵《かめぞう》が捕えられて、この事件は終ったかとおもったが、 「いいえ、大先生。これからでございますよ」  隠宅へ報告にあらわれた四谷の弥七がそういった。 「まだ、何かあるのかえ?」 「住吉桂山が、小川屋亀蔵と組んではたらいた悪事は、どうやら、お調べがつきましたが、まだ、そのほかにもいろいろとあるようでございます」 「ふうむ、なるほど……」 「あの絵師は、金貸しもしていたのでございます」 「金を貸すたびに、あんな悪さをはたらいていたというのかえ?」 「いえ、高利をはらい、返金もできると見込みをつけたような相手には、別に、何もいたしません。どちらかというと、悪いのは千住の古道具屋なので……」 「あの小川屋亀蔵が、もちかけたうまい[#「うまい」に傍点]はなしに乗ったら、もう下りられなくなったという……」 「はい。いったん、悪い奴《の》に見込まれたら、足が抜けなくなります」 「それにしても、一月もたたぬのに同じ場所で、同じ悪さをするとは、間ぬけなことよ」 「そりゃあ大先生。傘徳《かさとく》の演技《しばい》が、よっぽどうまかったのでございましょう」 「徳次郎が、うまく、小川屋から見くびられた……」 「こんなことをやらせたら、徳にかなうものはございません。それに今度は、大先生のおかげで、大分にいい[#「いい」に傍点]目を見させていただいたようで」 「そんなことを、徳がお前にいったのかえ?」 「いうわけがございませんよ。ですが、わかります」 「お前の眼力《がんりき》も怖いのう」 「それはさておき、私にも、さっぱりわからぬことがございます」 「何じゃ?」 「大先生は、住吉桂山を御存知だったのでございますね?」 「え……いつ、わかった?」 「召し捕りの晩、大先生が桂山の顔をごらんなすったときに……」 「見破ったか。だから、お前は怖いというのじゃ」 「何も、そんなに怖い怖いと……」 「怖いよ。よく見ていたのう」 「やっぱり……」 「わしは、すぐに気づいた。だが住吉桂山は、わしを見てもわからなかったようじゃ」 「はい」 「そんなに、わしの面相は変ってしまったのかな。いや、変ったといえば、あの住吉桂山も若いころは、背丈だけがやたらに高いだけで、肉《み》がついておらず、まるで物干竿《ものほしざお》のように痩《や》せこけていたものよ」 「何年前のことでございます?」 「さようさ……四十余年も前のことか……」 「へえ……四十年もむかしのことなので……」 「わしがな、亡《な》き辻平右衛門《つじへいえもん》先生に入門をゆるされ、先生の御手許《おてもと》で修行をはじめたころじゃ。弥七、お前は、まだ生まれていなかったろうよ」  秋山小兵衛は、銀煙管《ぎんぎせる》に煙草《たばこ》をつまみ入れつつ、 「そのころの辻道場は麹町《こうじまち》にあり、門人も二百に近かったものじゃが……その道場の裏手に、狩野為信《かのうためのぶ》という絵師の屋敷があってな。うむ、この人《じん》は幕府《こうぎ》お抱えの、五人|扶持《ぶち》をいただく絵師で、門人もかなりいてのう」 「では、その中に、住吉桂山もいたとおっしゃるので?」 「そのとおり」 「さようでございましたか……」 「年ごろも同じだったし、二人は仲よくなってのう。暇を見つけては、二人して平河天神の境内へ出かけて行き、裏門口の茶店で、いまも売っている八千代饅頭《やちよまんじゅう》を買ってな、拝殿の裏の木蔭《こかげ》で食べるのがたのしみで……」  いいさして、秋山小兵衛が口をつぐみ、はるかに遠い彼方《かなた》をながめるような眼《まな》ざしとなった。 「わしも、桂山も……いや、そのころは、あの男も、まだ、師匠の狩野為信から雅号をゆるされてなく、名は、たしか、山本春太郎というた。ともかくも、たがいに若かったし、おのれの力量《ちから》が不足しているものじゃから、いつもいつも不満|面《づら》でな」  四谷の弥七は息をのんで聞き入っている。  茶代を倹約するので、饅頭は買っても茶店へは入らず、境内の木蔭で、饅頭を一つずつ食べながら、 「おれも、いまに、この江戸でそれ[#「それ」に傍点]と知られた剣客《けんかく》になってみせるぞ」 「私も、お師匠様に負けぬような絵師になりますよ」 「たがいに、しっかりやろうな、春太郎さん」 「やりましょう、やりましょう」  不満が気炎に変り、はげまし合い、なぐさめ合ったものである。 「それがな、弥七……」 「はい?」 「いつであったか、わしが辻平右衛門先生のお使いで、尾張《おわり》・名古屋の御城下まで旅をすることになった。御用をすませ、江戸へ帰って来ると、山本春太郎がいない」 「ははあ……?」 「師匠の屋敷から、逃げてしまったのじゃ」 「逃げたと申しますと?」 「金三十両を盗んで、ひそかに逃亡したと、狩野屋敷では申していたが……」 「どうして、また?」 「わからぬ……が、わかるような気もせぬではない」 「え……?」 「わしはな、山本春太郎は、三十両で追い払われたのではないかと、おもうているのじゃ」 「それは、あの……?」 「師匠のむすめと出来ていた[#「出来ていた」に傍点]のではないかと、おもわれるふし[#「ふし」に傍点]があった」 「へーえ……」 「それがわかって、師匠の為信が怒り、春太郎に金をくれてやって追い払ったらしい。間もなく、狩野為信は麻布《あざぶ》の方へ引き移ってしまったわえ。以来四十年、わしは消息もきかなかったのじゃ」 「お調べでは、何でも、十二、三年前までは、上方《かみがた》にいたそうでございますよ」 「桂山が?」 「はい」 「ふうむ……」  と、小兵衛は四十年間の住吉桂山の生きざま[#「生きざま」に傍点]へ想《おも》いをよせているらしく、しばらくは無言で煙草のけむりを吐き出していたが、 「ときに弥七。桂山宅には、あの男が描いた絵があったかえ?」 「いえ、何もございませんでした。それが先生。絵道具さえも……」 「なかった?」 「はい」  つ[#「つ」に傍点]と立って奥の間へ入った小兵衛が、古びた扇子を持ち出してきて、弥七の前へ置き、 「ひろげてごらん」 「はい……ははあ、こりゃあ、いい墨絵でございますね。小さな茄子《なす》が二つ描いてある。しゃれたものじゃあございませんか」 「ちょいと、いいだろう?」 「はい。うまく描いてございますねえ」 「筆にちから[#「ちから」に傍点]がある。それ、その隅《すみ》のところに字が書いてあるだろう。すこし掠《かす》れてしまって読みにくいが、春[#「春」に傍点]と書いてあるのじゃ」 「え……すると、この絵は?」 「四十年前の住吉桂山が……いや、山本春太郎が、わしに描いてくれたのさ」  しげしげと、扇子に見入る四谷の弥七に、秋山小兵衛が、深いためいき[#「ためいき」に傍点]をついて、 「のう……」 「はい?」 「住吉桂山は、死罪をまぬがれまいな?」 「はい」 「わしの名前を出さずに、せいぜい、うまいものでも牢屋《ろうや》の中へ差し入れてやっておくれ」  いつの間にか、半紙の上の小判十両が、弥七の前に置かれていた。  おはる[#「おはる」に傍点]は、橋場《はしば》の大治郎宅へ出かけている。  昼下りの、晩秋の明るい日射《ひざ》しの中で、庭の向うの芒《すすき》の穂が微風にゆれている。      ○  秋山小兵衛は、数日前に、隠宅へやって来た落合孫六へ、こういった。 「帰ったら、お前の義弟に、今度の事件《こと》をすっかりはなしてやれ。そしてな、わしが貸した百両は、月々いくらでもよい。かならず返すように申せ。それでないと、お上のお咎《とが》めを受けることになるやも知れぬぞ。これを機会に、義弟の性根《しょうね》を、お前が叩《たた》き直してやるのじゃ、よいか。そしてな、月々の返金は、お前が持ってまいれ。そのときにこそ三日の間、此処《ここ》に泊り、大治郎の道場へ行って稽古《けいこ》をしてもらうのじゃ。それが嫌《いや》なら剣術をやめてしまえ。わしも門人とはおもわぬぞ。  その年齢《とし》をして、まだまだ剣術にしがみついていたいのなら、それ相応に一歩ずつでも先へすすまなくては、生きる甲斐《かい》もないではないか。な、そうだろう。ちがうか……?」     或《あ》る日の小兵衛《こへえ》  神無月《かんなづき》(陰暦十月)に入って十日ほど経《た》った或る夜、まさかに、雪が降ろうとはおもわなかったけれども、 (これは、降るやも知れぬぞ……)  夜半に目ざめ、起きあがった秋山小兵衛は、底冷えの強《きつ》さに、おもわず身ぶるいをした。  となりの臥床《ふしど》には、おはる[#「おはる」に傍点]が、いかにも健康そうな寝息をたてている。 (うふ、ふ……雪が降ろうが、槍《やり》が飛んでこようが、目ざめるものじゃあない)  苦笑を洩《も》らし、寝間から廊下へ出た。  小兵衛は、手水《ちょうず》に起きたのである。  厠《かわや》へ入って、用を足して、腰をあげた小兵衛が、厠の小窓へ手をかけた。  何ともなしに、雪が降っているようにも、おもえたからだ。  そうとしか、いいようがない。  老いたりといえども秋山小兵衛ほどの剣客《けんかく》であれば、音もなく暗夜の空から舞い落ちてくる雪の気配を感ずることも不可能ではない。  ともかくも、小兵衛の感能がはたらき、厠の小窓へ手がかかったことになる。  窓を開け、小兵衛はくび[#「くび」に傍点]をのばし、外を見た。  雪は降っていない。  この隠宅の厠は、台所や湯殿とは反対側の、つまり小兵衛の居間の庭に面した縁側を左へ突き当った場所にある。 (わしもどうかしている。いかに何でも、雪にはまだ早いわえ)  小窓を閉めようとした小兵衛が、 (や……?)  おもわず、目を凝らした。  外は、黒漆を塗りこめたような夜半の闇《やみ》である。  その闇の一角が、何やら、ぼおっ[#「ぼおっ」に傍点]と明るんでいるではないか……。 (はて……?)  小兵衛は、目を擦《こす》ってみた。  やはり、明るい。  いや、明るいというよりも、堤の上へ出る小道の傍《わき》の竹藪《たけやぶ》のあたりが、白っぽくもやもや[#「もやもや」に傍点]としているのだ。 「あっ……」  小兵衛が低く叫んだ。  その白いものは、人なのである。  白い着物をまとった人が、立っているのである。  女である。  老婆《ろうば》である。  その老婆の顔が、はっきりと、小兵衛に見えてきた。 「おきね[#「おきね」に傍点]……」  微《かす》かに、小兵衛は呼びかけた。  痩《や》せおとろえた老婆が、うなずいて笑いかけてきた。 「おきね。おきねではないか……」  老婆が、また、うなずく。何度もうなずきながら……ふっ[#「ふっ」に傍点]と、消えてしまった。 「あ……」  もはや、白いもやもや[#「もやもや」に傍点]も何もない。  漆黒の闇が、小窓の外に重く冷たくたれこめているのみであった。  小兵衛は、ふといためいき[#「ためいき」に傍点]を洩らした。  厠の小窓を閉め、小兵衛が寝所へもどると、おはるは夜着をはね[#「はね」に傍点]退《の》けるようにして胸のあたりまで夜気にさらし、すこし開《はだ》かった襟《えり》もとから、豊満な乳房の上部が大きく息づいている。 (若いのう……)  つくづくとながめ、またしても小兵衛は嘆息を洩らした。  近寄って、はね退けた夜着を掛け直してやると、 「むうん……」  おはるが唸《うな》って、ふとやかな双腕《もろうで》を小兵衛のくびすじ[#「くびすじ」に傍点]へ巻きつけてきた。 「よし、よし」 「あぁん……ちゃんと、可愛《かわい》がって下さいよう……」  と、おはるが夢現《ゆめうつつ》にいうのへ、 「とんでもない……」 「あぁん……」 「よし、よし……」  夜着を掛け直し、軽く胸もとを叩《たた》いてやると、たちまちにおはるは眠りへ落ちこんでいった。  小兵衛は自分の臥床へ入ったが、眠れるものではなかった。 (おきねじゃ。たしかに、おきね……)  だったのである。  白い着物を身にまとったおきねが、厠の外の闇に佇《たたず》んでい、小兵衛の呼びかけにうなずき、 (跡かたもなく、消え失《う》せてしまった……)  のである。  翌朝……。  おはるが目ざめたとき、すでに小兵衛は起きていて、台所の竈《かまど》の火を熾《おこ》していた。 「あれま、先生。今朝は早いんですねえ」 「うむ……」 「どうしたんですよう?」 「ちょいと、出かけるのじゃ」 「どこへ?」 「どこへでもいいさ」 「また何か、あったんですか?」 「うむ、あった」 「今朝は、ばかに冷えるねえ、先生……」 「初霜が下りているわえ」 「あれ、まあ……」      一  秋山小兵衛が鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅を出たのは、五ツ半(午前九時)ごろであったろう。  軽袗《かるさん》ふうの袴《はかま》をつけ、短袖《みじかそで》の羽織を着て、竹の杖《つえ》を手にした小兵衛は塗笠《ぬりがさ》をかぶり、腰には脇差《わきざし》一つを帯びたのみで、庭先へ出て行きながら、 「おはる[#「おはる」に傍点]。今日は、遅くなるやも知れぬぞ」 「どこまで行きなさるんですよう?」 「何処《どこ》でもよい」 「だって、先生……」 「よけいなことを尋《き》くな」  小兵衛の老顔が、何とはなしに、きびしく引きしまっている。  おはるは、声をのんだ。  そして、胸の内で、 (怖い先生……)  と、つぶやいた。 「日が暮れても、わしが帰って来なんだら、大治郎のところへ行っているがよい。わかったな?」 「あい……」  何故《なぜ》か小兵衛は、行先も告げずに隠宅を出て来たが、実は、大久保《おおくぼ》(いまの東京都新宿区西大久保)の清福寺という寺の近くまで行くつもりなのだ。  そのころの大久保といえば、江戸の郊外といってよく、小兵衛の隠宅からは三里ほどもあろうか……とすれば、往復六里余の道のりである。 (そうじゃ。途中まで、駕籠《かご》で行こうか……)  おもいたった小兵衛は、大川橋(吾妻《あずま》橋)をわたって浅草・山之宿《やまのしゅく》の駕籠屋〔駕籠|駒《こま》〕へ立ち寄り、 「市《いち》ヶ谷《や》のあたりまで、やっておくれ」  と、いった。  大久保まで乗って行ってもよいのだが、駕籠へ乗りづめというのも、また疲れるものなのだ。 「大《おお》先生。今朝は冷えましてござんすねえ」  と、顔なじみの助太郎という駕籠|舁《か》きが出て来た。 「おお。お前が行ってくれるかえ」 「へい」  先棒は友吉という若者であった。 「大先生。市ヶ谷の、どの辺までおいでなさいます?」  駕籠の中で揺られている小兵衛に、助太郎が尋ねた。 「そうじゃな。御門外《ごもんそと》まででよい」 「へい」  秋山小兵衛を乗せた町駕籠は、上野山下から御成道《おなりみち》を筋違《すじかい》御門外まで来て右へ折れ、神田《かんだ》川沿いの道を西へすすむ。  やがて、道はのぼりになり、右手に湯島の聖堂の長い塀《へい》が見えはじめた。〔聖堂〕とは、孔子《こうし》その他の聖賢を祀《まつ》った祠堂《しどう》のことだが、五代将軍・徳川|綱吉《つなよし》が上野から湯島へ移した、この聖堂は六千坪におよぶ広大な敷地をもち、幕府の学問所が設けられている。  日がのぼりきると、おもいのほかに暖かい日和《ひより》となった。  神田川に沿った道には、江戸城の〔見付《みつけ》〕が諸方に設けられているだけに、日中の人通りは少なくない。  だが昼前の、この時刻には、まだ、道行く人の姿もちらほら[#「ちらほら」に傍点]と見えるのみであった。 (死んだ……おきね[#「おきね」に傍点]は、昨夜、死んだのやも知れぬ……)  駕籠の中で、小兵衛は両眼《りょうめ》を閉じ、昨夜半に見た、おきねの幻をおもい浮かべてみた。  あれは、まさに現身《うつしみ》のおきねではなかった。  しかし、夢の中で見たのではない。  厠へ入って来る小兵衛を待ち受けてでもいたかのように、外の闇《やみ》に、おきねの幻が佇《たたず》んでいたのである。  これは、おきねが死んで、その霊魂が、 (わしに会いに来た……)  としかおもわれぬ。  また、感官のはたらきが常人とは全くちがう、すぐれた剣客として、小兵衛は何度も同じような経験をしてきている。  恩師・辻平右衛門《つじへいえもん》が山城《やましろ》の国・愛宕《おたぎ》郡・大原《おはら》の里で息絶えたときも、はるかに遠い江戸にいた秋山小兵衛へ、 「会いに来て下された……」  のであった。  それは、その年の春の或る朝のことだが、四谷《よつや》の自分の道場で門人たちに稽古《けいこ》をつけていた秋山小兵衛が、ふと見やると、道場の片隅《かたすみ》の、稽古を見ている門人たちのうしろに老いた恩師が坐《すわ》っているではないか。  はっ[#「はっ」に傍点]として、 「先生……」  呼びかけた小兵衛へ、辻平右衛門が微笑してうなずき、すっ[#「すっ」に傍点]と消えた。  後になって、辻平右衛門の手許《てもと》にいた息《そく》・大治郎が手紙をよこし、平右衛門の死を知らせてきたが、その息絶えた日時は、小兵衛が道場内で恩師の幻を見たときと、ほとんど同じだったのである。  これに類似したことを、小兵衛は数え切れぬほどに経験していた。  おきねには、もう二十何年も会っていない。  生きていれば七十に近い年齢のはずだから、病死したとしてもふしぎはない。 「お帰りは、どうなせえます?」  と、助太郎が駕籠のうしろから、 「市ヶ谷まで、お迎えにめえりましょうか?」 「あ……」  小兵衛は我に返って、 「いや、かまわぬ。わしを下したら帰っておくれ」  こういったときである。  駕籠の行手に、何やら人の叫び声が起った。 「あ……あっ、あっ、いけねえ」  と、先棒の友吉が大声をあげ、駕籠が大きく揺れうごいた。 「あっ、馬鹿《ばか》野郎。な、何をしやがる!!」  助太郎が喚《わめ》いたかとおもうと、 「うわあっ……」  友吉の悲鳴があがり、駕籠が横倒しになった。  駕籠が倒れるより早く、小兵衛が垂れをめくり、身を投げ出すように外へ転げ出た。  転げ出るというよりは、すべり出たといったほうがよいだろう。出た勢いを利して、片手を地に突いた小兵衛の躰《からだ》がくるり[#「くるり」に傍点]と一回転し、立ちあがった。  見ると、先棒の友吉が左の肩先を血に染めて、 「た、助けてくれえ……」  必死に聖堂の練り塀へしがみつき、倒れた駕籠の向うに、侍がひとり、凄《すさ》まじい形相で大刀を振りかぶっているではないか。  小兵衛は素早く、友吉が放《ほう》り落した息杖《いきづえ》を拾いあげざま、 「何奴《なにやつ》じゃ!!」  侍を誰何《すいか》した。  侍は、こたえぬままに身を引き、小兵衛の右側面へまわって、 「や、やあっ!!」  気合声を発したかとおもうと、いきなり、駕籠を背にした小兵衛の真向《まっこう》から刀を打ち込んできた。  同時に、小兵衛の躰が沈み、斜め右前へ飛び出している。  空《くう》を切った侍の一刀は、駕籠へ打ち当った。 「ぬ!!」  振り向いた侍の顔が、まるで〔悪鬼〕そのものだ。  ふたたび、大刀をつかみ直し、またしても振りかぶった侍の胸下へ、小兵衛の息杖が電光のごとく突き出された。 「ぐう……」  くたくた[#「くたくた」に傍点]と、侍の躰が崩れ折れた。 「お、大先生……」 「助太郎。こいつは目が狂うている。気ちがいじゃ」 「へへえ……」 「友吉を見てやれ」 「へ、へい」  坂道の其処此処《そこここ》に、人だかりがしはじめている。  気をうしなって倒れた侍の顔は、無心そのものの、おだやかなものに変っていた。  坂の上のほうでも、人がひとり斬《き》られたらしい。  町人らしい男が通行の人びとに介抱されているのが見え、その向うから、この近くの辻番所の辻番らしいのが二人、突棒《つくぼう》を掻《か》い込んで駆けつけて来た。 「やれやれ……」  と、秋山小兵衛が舌打ちをしてから、 「これ助太郎……」 「へい、へい」 「友吉の傷はどうじゃ?」 「なあに、浅《あそ》うござんす」  と、助太郎が友吉の腹巻きを引き裂いて傷口へあてがいながら、 「おう、おう。いい若《わけ》え者《もん》がしっかりしねえか。こんな傷は鼠《ねずみ》が囓《かじ》ったようなもんだ」      二  秋山小兵衛が、市《いち》ヶ谷《や》御門外へあらわれたのは、かれこれ八ツ(午後二時)をまわっていたろう。  湯島聖堂前の事件は、目撃者が何人もいることだし、小兵衛はその場から市ヶ谷へ向ってもよかったのだが、 「ともかくも、辻番所《つじばんしょ》までおいで下さい」  と、辻番にいわれては仕方もない。  辻番にしても、小兵衛を怪しんでいるのではなく、件《くだん》の侍の暴行を見とどけた証人として、一応の取り調べがすむまで、 (何処《どこ》かへ行かれては困る……)  からであった。  この場合、取り調べは、幕府の御徒目付《おかちめつけ》が出張って来ておこなう。 (はて、困った……)  一時《いっとき》も早く、大久保のおきね[#「おきね」に傍点]の家へ駆けつけたいので、小兵衛は気が急《せ》いてきた。  そこで、上野の北大門町に住む御用聞きの文蔵へ、 「すぐに来てもらいたい」  と、ことづけを通行の人にたのんだのである。  気をうしなっている侍を引き立てようとする辻番へ、 「先《ま》ず、手を縛ってからにしたがよい。そやつは、まぎれもなく狂人じゃ」  と、小兵衛がいった。  やがて、近くの辻番所へ、北大門町の文蔵が駆けつけて来た。  文蔵は四谷《よつや》の弥七《やしち》とも仲がよく、かねてから秋山小兵衛とも顔見知りの間柄《あいだがら》であった。 「大先生。いったい、どうなすったんでございます?」  小兵衛が手早く事情をはなし、 「わしは先を急いでいるのじゃ。何とかならぬか」 「ちょっと、お待ち下さいまし」  文蔵は、お上《かみ》の御用をつとめているだけに、本郷から上野、下谷《したや》へかけての辻番所なら、ほとんど知っている。  このときの辻番も、文蔵の顔を見おぼえていた。  文蔵は辻番に、小兵衛の身分を明かし、合わせて、老中・田沼|意次《おきつぐ》との関係も洩《も》らしたらしい。  すると、俄然《がぜん》、辻番たちの態度が変った。 「どうぞ、お引き取り下すって結構だそうでございますよ」  と、文蔵が、番所の外に立っている小兵衛へいった。 「そうか。すまなかったな。いずれ、あらためて……」 「とんでもないことでございます」 「あの侍には気をつけるがよい。狂人の馬鹿力《ばかぢから》は凄《すさ》まじいものじゃ。よいな」 「はい」  侍は躰《からだ》を縛りつけられ、辻番所の土間へ坐《すわ》りこみ、胸を反らし、あたりを見まわしながら、にやりにやり[#「にやりにやり」に傍点]と薄気味悪い笑いを浮かべている。  小兵衛は、駕籠舁《かごか》きの助太郎へ、たっぷりと心付けをはずみ、 「安心しているがよい。この文蔵親分によくたのんでおいたゆえ、な」 「どうも大先生。相すみませんでございます」 「なあに、お前こそ、とんだ災難だったのう」 「市ヶ谷まで、お歩きに?」 「うむ、大丈夫じゃよ」  侍に斬《き》られた通行人と、先棒の友吉は、近くの町医者のところへ運ばれ、手当を受けている。 「では、たのんだぞ、親分」  北大門町の文蔵にいいおいて、小兵衛は市ヶ谷へ向ったのである。  市ヶ谷御門前には、有名な市ヶ谷|八幡宮《はちまんぐう》があり、あたりには、さまざまの店が軒を接している。  小兵衛は、急に、空腹をおぼえた。  そこで市ヶ谷八幡下の〔新花《しんはな》〕という蕎麦《そば》屋へ入り、手早く腹をみたしてから、外へ出た。 (そうじゃ。二十年ほど前に、おきねとばったり出合ったのも、このあたりであったが……)  小兵衛が歩み出した、そのときである。  八幡宮の総門から出て来た三人連れの侍が、秋山小兵衛を見かけ、 「や……」 「まさに、あのときの……」  編笠《あみがさ》の内でうなずき合い、何か、ささやきかわしたかと見る間に、その中の一人が身をひるがえして走り出した。  残る二人は、左内坂《さないざか》をのぼって行く小兵衛の後を何気ないふうをよそおい、尾行しはじめた。  この坂をのぼり切ると、左手は尾州《びしゅう》家の広大をきわめた上屋敷。右手は武家屋敷がたちならんで、日が暮れれば、めったに人も通らぬが、牛込《うしごめ》や大久保《おおくぼ》へ通ずる道だけに、日中の人通りは絶えることもない。  小兵衛は、二人の尾行者に、まったく気づいていない。  いつもの小兵衛に似合わず、今日は気も急くし、足の運びも漫《そぞ》ろなのである。 (はて、わしとしたことが、今日はどうかしているぞ)  小兵衛も、気づかぬではないのだが、それでいて、どうしようもないのだ。 (何故、このように、おきねのことが気にかかるのか……?)  それがわからぬ。いや、わからぬようでいて、わかるような気もちなのだ。  老い果てたおきねは、 (まさに、死んだ……)  と、小兵衛はおもっている。  その霊魂が、もう二十何年も会わぬ自分のところへ別れを告げに来たという一事が、小兵衛のこころを昂《たかぶ》らせている。 (そうか。おきねも、わしのことを忘れ切れずにいてくれたのか……)  このことであった。  秋山小兵衛は四十年前に、生まれてはじめて女の肌身《はだみ》を抱いた。いや、女の肌身に抱かれたといったほうがよい。  その女が、おきねだったのである。      三  小兵衛が若き日、麹町《こうじまち》の辻平右衛門《つじへいえもん》道場に入門をゆるされ、平右衛門の手許《てもと》において修行をはじめたころ、おきね[#「おきね」に傍点]は辻道場の下女であった。  当時の辻道場は、門人の総数が二百を超えていたし、住み込みの門人も、あの、いまは亡《な》き嶋岡礼蔵《しまおかれいぞう》や秋山小兵衛をはじめ、七人ほどはいたろう。  老いた下男が二人いて、おきねは、この老爺《ろうや》たちを、それこそ、 「追いまわすようにして……」  道場内外の掃除から、門人たちの食事などをてきぱき[#「てきぱき」に傍点]とやってのけていたものだ。  生まれは、なんでも上州の大胡《おおご》という村だそうだが、少女のころから江戸へ出て来て、 「そりゃもう、いうにいわれぬ苦労をしたものだ」  というだけあって、住み込みの若い門人たちなどは、おきねの猛烈な毒舌をおそれ、近寄りもしなかった。 「ほれほれ、汁がこぼれたではないかよ。剣術の一つもやろうという若《わけ》え衆が二本の箸《はし》をあやつれねえようじゃあ、行く先の見込みはねえ」  などというのは、まだ軽いほうで、 「お前さんは、いつまでたっても強くならねえようだ。今日も窓の外で見ていたがよ、あれではいけねえ。とても見込みがねえから、豆腐の角《かど》へ頭|打《ぶ》っつけて死んじまったほうがいい」  臆面《おくめん》もなく、いってのける。 「あんな女、追い出してしまえばよいのだ」  と、門人たちは蔭《かげ》へまわって息まいたものだが、何といっても、おきねは辻平右衛門先生の信頼絶大なものがあった。  家計の費用《ついえ》なども、すべて、おきねにまかせていたようである。  おきねは、口入《くちいれ》屋の世話で辻道場に雇われたのだが、辻平右衛門はおきねを一目見るや、その人柄を看破してしまい、金の出し入れも平気でまかせるようになった。  一年の給料も、下女としては破格のものを出していたようである。  頬骨《ほおぼね》の突き出た、色の浅ぐろい、両眼《りょうめ》がぎょろり[#「ぎょろり」に傍点]と大きいおきねは背丈も高く、 (まるで男のような……)  体格に見えた。  おきねは、その躰《からだ》を、 「まるで、振り立てるようにして……」  終日、やすむことなくはたらきぬいたものであった。  このようなおきねが、ふしぎ、若い秋山小兵衛に対しては、毒口をきいたこともない。  そのころの自分をかえりみても、おきねが、 (わしを、どのようにおもうていたものやら……?)  さっぱりとわからぬ。  小兵衛は、まだ、女の躰を知らなかった。  ところで……。  それは、辻道場の近くにあった絵師・狩野為信《かのうためのぶ》の屋敷から、門人の山本春太郎(のちの住吉桂山《すみよしけいざん》)が失踪《しっそう》して半年ほど経《た》った、初夏の或《あ》る夜のことであったが……。  小兵衛は、その夜、一人きりで道場の留守居をしていた。  その夜は、辻道場の門人・本多源太郎の通夜《つや》だったのである。  源太郎の父で、七千石の大身《たいしん》旗本・本多修理は、子息のほかにも五人の家来を辻道場へ入門させていた。  そこで、平右衛門以下、嶋岡礼蔵はじめ住み込みの門人も本所相生町《ほんじょあいおいちょう》の本多邸へ通夜におもむき、 「留守居をたのむ」  との、辻平右衛門の一言で、小兵衛が道場へ残ることになった。  下男ふたりは、たしか、道場裏の小屋にいたはずだ。  小兵衛は、台所で夕餉《ゆうげ》をすませてから道場|傍《わき》の部屋へ入り、書物を読みはじめた。  この部屋は、辻道場の読書室のようなものであって、平右衛門の蔵書が、ぎっしりと積まれていた。  いまだに小兵衛は、その夜に読んでいた書物をおぼえている。万治四年刊行の浅井了意著〔むさしあぶみ〕であった。この書物は、明暦三年の江戸大火の模様を、僧と小間物売りの男との対話のかたちで書きのべたものだ。  で、読んでいるうち、いつの間にか、とろとろと寝入ってしまったものである。  何しろ、そのころは、朝も暗いうちから夜ねむるまで、片時もやすむことなく、おのれの躰を鍛えぬいていたわけだから、師も門人もいない道場にいて、おもわず気がゆるんだものとおもわれる。  生暖かい初夏の夜気に、水を浴びて食事をすませた躰をこころよく包まれた所為《せい》もあったろう。 「あ……」  妙な感触をおぼえ、目ざめた瞬間に、小兵衛は、 (夢を見ている……)  と、おもったほどだ。  小兵衛は裸にされてしまってい、そのたくましい躰をしっかりと抱きしめている女、これも丸裸であった。 「あ……おきね……」  気づいた小兵衛の唇《くち》が、おきねの唇にぴたりと塞《ふさ》がれてしまい、女の舌が差し込まれてきた。  おきねの裸身が、到底、着衣の上からではわからぬ量感と、やわらかな肌ざわりなのを知り、小兵衛はおどろいた。  いまも口ぐせのように、 「女なぞという生きものの正体は、着物の上からではわかるものではない」  という小兵衛の体験は、実《げ》に、このときからはじまるといってよい。  下男ふたりに小遣をやり、おきねは外へ出しておいたらしい。 「だから、大丈夫なんだよ、秋山さん……」  ささやいて、先《ま》ず、小兵衛の気を落ちつかせておいて、おきねは、別の女かとおもうような巧妙さで、小兵衛をいざないはじめた。  さっぱりと湯を浴びてきたらしいおきねの肌身からは、何ともいえぬ香りがして、 「お、おきね……」  小兵衛は、もう、無我夢中になってしまった。  くり返し、くり返し、それはおそるべき貪欲《どんよく》さで、おきねは小兵衛の若い躰をむさぼり、小兵衛もまた、いくらでも、これにこたえた……と、いうわけなのである。  その夜の、おきねの優しさ、激しさに、 (こ、これが女というものか……)  惑乱し、陶酔し、一刻《いっとき》(二時間)ほどのちに、おきねが部屋を出て行ったあとも、 (ま、まさか、夢ではないだろうな……)  小兵衛は、汗にぬれた自分の躰を抓《つね》ってみたりした。  その翌朝。  おきねは、たしかに道場にいて、立ちはたらいていたのだが、つぎの日から姿を消してしまった。  おきねは、急に暇を取り、故郷の上野《こうずけ》へ帰ったと下男たちはいったが、かなり前から、辻平右衛門のみへは、 「お暇をいただきたい」  と、申し出ていたらしい。  とすれば、江戸を去るにあたって、秋山小兵衛に抱かれること……いや、小兵衛を抱こうという目論見《もくろみ》が、かねてからおきねにあったのだろうか。  そこへ突然、本多家の通夜があり、道場は無人《ぶにん》となった。 (よし、今夜こそ、あの若い男の躰をたっぷりと味わってやろう)  と、おきねはおもったのか、それとも、無人になったので、 (つい、むらむら[#「むらむら」に傍点]となって……)  小兵衛が転寝《うたたね》をしている部屋へあらわれたのか、そこのところは、いまもって小兵衛にはよくわからぬ。  正直にいって、おきねが道場から消えたのち、小兵衛はがっかりした。  ということは、これからも折を見て、隙《すき》を見て、 (おきねと、また、あのようなことができる……)  そうおもっていたからであろう。  のちに、小兵衛は、おきねの生まれたという上州の大胡というところへ行って見たことがある。  この大胡には、戦国のころに剣聖とうたわれた上泉伊勢守《かみいずみいせのかみ》の居館|址《あと》も墓もあって、それゆえにこそ、 「行ってまいれ」  と、辻平右衛門が小兵衛の小旅行をゆるしてくれた。  しかし、大胡には、おきねの所在をたしかめ得るものが何一つとしてなかった。  おきねを辻道場へ世話した口入屋へも足を運んでみたが、くわしいことは何もわからぬ。  そのうちに、伊勢・桑名の浪人、山口与兵衛のむすめで、お貞《てい》というのが辻道場へ来て、家政を切りまわすようになった。お貞の亡父と辻平右衛門は〔旧友〕であった。  そして秋山小兵衛の関心は、ひたすら、お貞に向けられ、後には、ついに夫婦となり、大治郎をもうけることになる。  こうして、四十年の歳月が過ぎ去ったわけだが……。  二十年ほど前に、小兵衛は路上で、おきねと偶然に出合った。  当時の小兵衛は、まだ四十を出たばかりで、四谷《よつや》に道場を構えていた。  その日。小兵衛は自分の道場の庇護者《ひごしゃ》だった備中《びっちゅう》・足守《あしもり》二万五千石の城主・木下|肥後守《ひごのかみ》の家臣五、六名と共に、市《いち》ヶ谷八幡宮《やはちまんぐう》の境内にある料理茶屋〔万屋《よろずや》〕で酒飯《しゅはん》をし、石段を下りて来ると、向うからやって来た女が、 「あれまあ、秋山小兵衛さんではないかえ?」  声をかけてよこした。  これが、おきねだったのである。  おきねが辻《つじ》道場から消えて約二十年ぶりの再会であった。 「おお……」  小兵衛は目をみはった。  貧しげではあるが、清げな身なりをしているおきねは、顔も躰もふっくらと肥え、とても五十に近い年齢《とし》には見えなかった。  おきねは十二、三歳に見える女の子を連れていて、 「むすめのおみち[#「おみち」に傍点]ですよ」  と、引き合せた。 「では、御亭主も……?」 「ええ、大久保《おおくぼ》の清福寺の前で茶店をやっていますよ。百姓仕事もしていますがね」  以前とすこしも変らぬ、はきはきとした口調で、そのくせ、小兵衛を抱いたあの夜[#「あの夜」に傍点]のことなど、すっかり忘れ果ててしまったかのごとく、 「はい、ごめんなさいよ」  軽く頭を下げ、むすめと共に、さっさと八幡宮の石段をのぼりはじめ、ついに一度も振り返らなかった。  これで、小兵衛は興ざめがしてしまった。 (なあんだ……おれは、おきねに、もてあそばれたのか……)  このことであった。  そのころは、女ざかりの美しい妻お貞がいたし、大治郎も生まれていて、小兵衛の家庭は、 「金がなくとも倖《しあわ》せ……」  だったのである。 (女とは、ああしたものなのか……)  おのれの童貞を奪った女のことを、密《ひそ》かに胸の中であたためていただけに、小兵衛はがっかりしたものだ。  むろん、大久保にある茶店へ、おきねを訪ねる気も失《う》せた。  そうして、また二十年がすぎ、おきねの霊魂が突然、小兵衛の前にあらわれたということになる。 (やはり、おきねも、わしに会いたかったのじゃ。あのときは、たしか、むすめが一緒だったし、こちらも連れが何人もいた。そこで、あのようによそよそ[#「よそよそ」に傍点]しくしたのであろう。うむ、そうじゃ、それにちがいない……)  道を急ぎつつ、小兵衛はおもい直している。 (それにしても、この年齢をして何たることじゃ。女とちがって男のほうは、何歳《いくつ》になっても過去《むかし》にこだわるというが……まったくもって、ばかばかしい……)  はじめて肌身《はだみ》を合わせた女が忘れられぬというのは、 (わしだけであろうか。男は、みんな、そうだというが……)  いつの間にか小兵衛は、牛込《うしごめ》の原町へさしかかっていた。  二人の侍は、まだ、小兵衛の尾行をやめようとはせぬ。      四  このあたりは、むかし、下戸塚《しもとつか》村の内の椚原《くぬぎはら》とよばれたところで、四十年ほど前に町方の支配になったのだが、いわば江戸の新開地で両側の町屋《まちや》も密集しているわけではなく、茅《かや》ぶき屋根の家も多い。  日は、かたむきはじめていた。  道を行く人の姿も、ここまで来ると多くはない。  数少ない町屋のほかは、寺院と、大名の下屋敷、武家屋敷のみで、周囲の木立も深みを増している。 (道を急がねばならぬ……)  と、秋山小兵衛が、左側の寺院の塀《へい》に沿って曲がろうとしたとき、彼方《かなた》に人の叫び声が聞こえた。  見やると、道の向うに二、三人の人影が乱れ走り、その中を突き破るようにして馬が一頭、此方《こちら》へ疾走して来る。  暴れ馬だ。  人は乗っていないが、百姓馬ではない。 (鞍《くら》をつけているようじゃ……)  と、小兵衛は見た。  たちまちに、暴れ馬が近づいて来た。  小兵衛は竹杖《たけづえ》を持ったまま、寺の土塀の裾《すそ》へ屈《かが》み込むような姿勢となり、いささかも臆《おく》することなく、接近して来る馬を凝視している。 「暴れ馬だぞう……」 「逃げろ。早く、逃げろ!!」  などと、町屋の人びとが叫びかわす声がした。  そのとき、いま、小兵衛が曲がろうとおもっていた寺院の塀の蔭《かげ》から、小娘がひとり、道へ歩み出て来たのである。 「あっ……」 「危ねえ!!」  だれかが、叫んだ。  道へ出て来た小娘が、間近にせまった暴れ馬に気づき、声もなく立ち竦《すく》んだ。  屈み込んでいた秋山小兵衛の老体が、弓弦《ゆんづる》から切って放たれた一条の矢のごとく、小娘へ向って疾《はし》り出たのはこのときであった。  馬がいななき、竿立《さおだ》ちとなった。  その前を、小娘を抱えた小兵衛が右へ飛びぬけている。  口から泡《あわ》を吹き、目を怒らせ、鬣《たてがみ》を逆立たせた栗毛《くりげ》の暴れ馬が、どうしたことか走り抜けず、前脚を突き、またも竿立ちとなった。  気をうしなった小娘の躰《からだ》を放《ほう》り捨てるようにした秋山小兵衛が、暴れ馬の側面へ走り寄り、二度三度と竹杖を揮《ふる》って、馬を打ち据《す》えた。  どこを、どのようにして打ち据えたものか、馬は哀《かな》しげにいななき、よろめくがごとくに道の向うの寺の土塀へ躰を打ち当てた。  間髪をいれずに、竹杖を捨てた小兵衛が馬へ躍りかかり、手綱をつかむや、これを路傍の松の木へ縛りつけた。  暴れ馬が、怨《うら》めしげに小兵衛を見やり、首をうなだれ、弱々しい唸《うな》り声を洩《も》らした。  人びとが小娘へ駆け寄り、介抱にかかった。  彼方の旗本屋敷の塀外に設けられた辻番所《つじばんしょ》から、二人の辻番が突棒を掻《か》い込み、駆け寄って来るのが見えた。 (またも、辻番か……)  小兵衛は、うんざりした顔つきになったが、小娘を介抱している人たちへ、 「どうじゃ、気がついたか?」 「はい。もう、大丈夫でございます」 「どこの娘《こ》じゃ」 「この先の、煮売り屋のむすめでございますよ」 「そうかえ」  その煮売り屋へも、人が走って行った。  松の木へ繋《つな》がれた馬の尻《しり》のあたりから、血が流出している。 (だれかに尻を切られて、暴れ出したものか……それにしても、乗手はどうしたのであろう?)  今度は、相手が暴れ馬だけに、辻番所まで足を運ぶこともなかった。  辻番に名前と住所を告げた小兵衛が、 「おそらく、この馬の持主が駆けつけて来よう。まことにもって危ないことじゃ。よくよく念を入れて調べるようにしなさい」 「承知しました」 「馬の尻を切ったのは、だれか、それもな」 「はい」  小兵衛を見まもる人びとが、感嘆の声をあげている。  小柄《こがら》な老人が竹杖一本で、たくましい奔馬をあしらい、取り鎮《しず》めたのだから、人びとのおどろきは当然といってよい。  馬は悲しげに泡を吹き、松の木の下へ横倒しになってしまっている。小兵衛に脚の急所を打ち据えられたこともあろうが、尻の傷口からの出血に弱り切ってしまったらしい。 「だれか、この馬に水をのませてやっておくれ」  人だかりへ声をかけておいて、小兵衛は寺院の角を曲がって行った。  やがて、道は坂になった。  左側には、小笠原《おがさわら》家の下屋敷の塀が長くつづいているが、あたりは一面の野原と雑木林であった。  このあたりに武家屋敷がたちならぶようになるのは、五、六年後のことだ。  ところで、後になってわかったことだが、件《くだん》の暴れ馬は、市《いち》ヶ谷《や》の浄瑠璃坂《じょうるりざか》に屋敷がある五百石の旗本・石野|権八郎《ごんばちろう》の乗馬で、この日、石野は高田の馬場へ馬を乗り廻《まわ》しに出かけたその帰り途《みち》に馬が暴れ出し、石野を振り落してしまった。 「おのれ!!」  激怒した若い石野権八郎が、口惜《くや》しまぎれに、いきなり抜刀して馬の尻を斬《き》ったというのである。  このため、馬が狂奔し、暴走しはじめたのだという。  小兵衛が、その場を去って間もなく、石野の家来と小者が息を切らせて駆けつけて来たので、事情がわかった。  馬は、石野が買い入れて間もなかったらしく、小兵衛にいわせると、 「乗手が馬に、馬鹿《ばか》にされたのじゃよ」  と、いうことになる。  野の中の道を行く秋山小兵衛の後を尾《つ》ける二人の侍の姿が、いつの間にか消えている。  西の空が赤く染まりはじめ、夕風が冷たい。  向うの畑の方で、牛の鳴き声が聞こえた。  道の両側の雑木林で、落葉の音が微《かす》かにしていた。  と……。  坂道を行く秋山小兵衛の足が、ぴたりと止まった。  前方は木立が切れて、野原が見えた。  小兵衛の左手がうごき、塗笠《ぬりがさ》をはね退《の》けた。  両側の木立から躍り出した五人の侍が、小兵衛めがけて襲いかかったのはこのときである。 「たあっ!!」 「死ねい!!」  先《ま》ず、二人の侍が両側から打ち込んだ刃《やいば》は徒《いたず》らに空を切って、 「あっ……」 「ぬ……」  二人が、せまい道で足許《あしもと》を乱したとき、小兵衛の姿は其処《そこ》に無い。  曲者《くせもの》どもが襲いかかるのと同時に、小兵衛は前方へ疾走していた。 「待てい!!」 「の、逃すな!!」  喚《わめ》いた侍のうちの三人は、先刻、市ヶ谷|八幡宮《はちまんぐう》・門前で小兵衛を見かけた者どもであった。このうちの二人が小兵衛を尾行し、一人が二人の助勢をあつめて後を追って来たにちがいない。  二人の助勢は、どうやら浪人らしい。  野原まで駆けぬけた秋山小兵衛が振り向きざま、 「何者じゃ」  誰何《すいか》したが、すぐに、 「おお、あのときの破落戸《ごろつき》どもか……」  にやり[#「にやり」に傍点]と笑った。  五人は、小兵衛を包囲した。  奇襲を見事に躱《かわ》されたが、何といっても相手は六十をこえて見える老人だし、腰には脇差《わきざし》一つを帯したのみで、あとは竹杖が一本。  五人がかりで包み込めば、一年前のような醜態を二度とくり返すこともないだろうし、あのときの恨みを、ぜひともはらさねばならぬ。  ちょうど一年前のことだが、浅草の橋場《はしば》にある料亭〔不二楼《ふじろう》〕へ小兵衛があそびに行き、主人《あるじ》の与兵衛《よへえ》と碁を囲んでいたとき、奥の座敷へ来ていた三人連れの侍が、座敷女中のおしの[#「おしの」に傍点]を丸裸にして、乱暴をしはじめた。  他の女中の知らせで、小兵衛が駆けつけ、大酔している三人の侍を大川《おおかわ》(隅田《すみだ》川)へ投げ込み、懲《こ》らしめたことがある。  その三人が、今日、市ヶ谷で小兵衛を見かけ、仕返しにあらわれたのだ。  そのとき、三人の侍は深川の船宿の舟でやって来て、酒をのみはじめたといい、不二楼には、はじめての客だったそうな。  三人とも、どこぞの大名家の家来に見えたものだが、一年前のあのとき、大川から這《は》いあがり、這《ほ》う這《ほ》うの体《てい》で逃げ去る彼らに、不二楼の女中たちが怒って石を投げたりしたものだ。 「おのれは、いったい、どこの者じゃ。名乗れ」  竹杖をついたまま、小兵衛が五人へいった。 「そこの二人は浪人じゃな。それとも、ちかごろ増えて仕方もない破落戸|剣客《けんかく》が金で雇われたかえ?」 「だまれっ!!」 「おい。今日のわしは、すこし気が立っているのじゃ。この前のように手かげんはせぬぞ」 「やあっ!!」  背後にいた浪人が踏み込んで来て、小兵衛の頭上へ刀を打ち込んだ。  ふわり[#「ふわり」に傍点]と小兵衛の躰がうごいたとおもったら、竹の杖に腕を打たれ、刀を落した浪人が横ざまに飛び退いて、 「畜生……」  と叫んだ。 「畜生は、どっちだ」  そういった小兵衛が、ゆっくりと腰を屈め、落ちた浪人の大刀を拾いあげようとした。 (いまだ!!)  と、おもったのであろう。  三人の侍が、いっせいに小兵衛へ肉薄した。  小兵衛をふくめて四つの人影が、夕闇《ゆうやみ》がただよう野面《のづら》に入り乱れた。  侍たちの悲鳴と絶叫が、起った。  二人の浪人は、茫然《ぼうぜん》と立ちすくんでいる。  侍たちは、野原の其処|此処《ここ》で、のたうちまわっていた。  三人の侍の腕が三つ、野原のあちこちに切り落されてころがっている。 「ほれ……」  と、秋山小兵衛が、手にした大刀を浪人の前へ投げてよこし、 「おのれらも金をもらったのだろう。手当をしてやるがよい」  いい捨てるや、すぐに身を返し、野原を突切り、彼方《かなた》の武家屋敷の塀《へい》のほうへ消えてしまった。  浪人ふたり、ぼんやりと、小兵衛を見送ったままだ。 「凄《すご》い……」  一人が、呻《うめ》くようにいった。 「ううむ……」  一人は、唸るのみだ。 「おい、こら……」  右腕を切られた侍が、苦痛の声をふりしぼって、 「早く、血止めを……」  浪人たちへ呼びかけた。 (どうする?)  というように、二人の浪人は顔を見合せたが、結局は、三人の侍を見捨てて、のそのそと何処《どこ》かへ逃げてしまった。      五  いまの大久保《おおくぼ》は、国電の高田馬場駅の南方にあたり、都心の一部といってよいが、当時はまだ、武蔵《むさし》の国・豊島郡・大久保村であった。  ここまで来ると、あたりは田園そのものであったが、それだけに却《かえ》って、清福寺という小さな寺を見つけ出すのに手間はかからなかった。  台地の一角の、木立も深いところにある清福寺の門前に茶店が一つ。 (あ、これだな……)  小兵衛は、道をへだてた木蔭《こかげ》に佇《たたず》み、様子を窺《うかが》った。  夕明りが、まだ、残っている。  いましも、小兵衛と同年配の老爺《ろうや》が、表の戸を閉めかけているところであった。  がっしりとした躰つきの、いかにも百姓仕事が身についたような風貌《ふうぼう》であり、身なりなのである。 (あれが、おきね[#「おきね」に傍点]の亭主やも知れぬな……)  おもいきって、小兵衛は茶店へ近づいて行き、 「もし……」 「へえ……?」 「すまぬが、提灯《ちょうちん》を売っているなら、分けてもらいたい。これから、浅草まで帰らねばならぬのでな」 「へえ。ぶら[#「ぶら」に傍点]提灯ならござりやす」 「おお、それでよい」 「これから夜道をお行きなさるのでは、大変だねえ。ま、お入《へえ》りなせえ。茶でものんでおいでなせえよ」 「そうか、すまぬな」  田舎の茶店では、提灯、蝋燭《ろうそく》、合羽《かっぱ》、草鞋《わらじ》などを置いてあるのが普通のことであった。  閉めかけた戸をそのままにして、亭主が茶の仕度にかかった。 (どうも、この様子では、女房のおきねが昨夜、死んだようにおもえぬが……もしやして、この茶店ではないのかも知れぬ)  小兵衛が亭主に尋ねると、清福寺の近くの茶店といえば、ここより他にないという。 「お前さんは、独りで、この茶店をやっていなさるのか?」  熱い茶をのみながら、小兵衛が問うのへ、 「うんにゃ、女房《かか》がいますだよ。むすめは嫁に行っちまったし、いまはもう、爺《じじ》いと婆《ばば》あが二人っきりで……」 「ほう。そうか……」  土間の腰かけに腰をおろした小兵衛は、あたりを見まわした。  どこにでもある田舎の茶店なのだが、掃除が行きとどいており、いかにも清げである。  土間の奥は通路になってい、裏手へ抜けているらしい。  通路に沿った右側が亭主夫婦が寝起きする部屋なのであろう。 「戸締りはしたのかね?」  裏手から、女の大声がした。  小兵衛の躰《からだ》が、ぴくり[#「ぴくり」に傍点]とうごいた。  まぎれもなく、おきねの声だ。  とても七十に近い老婆《ろうば》のものとはおもえぬ、張りのある、元気な声が、 (むかしのまま……)  なのである。 「いま、ちょいと、客の人が見えたでよう」 「おや、そうかい」  おきねの声が絶えた。  味噌《みそ》の香りが、通路からただよってきた。  おきねは裏手で、夕餉《ゆうげ》の仕度にかかっているのであろう。 「あれ[#「あれ」に傍点]が、おかみさんかえ?」 「へえ」 「元気そうじゃな」 「あれで、わしより五つも年上なのでごぜえますよ」 「ほう……」 「このごろは、さすがに年齢《とし》をとって、おだやかになったが……むかしは、もう、途轍《とてつ》もなく気が強《つえ》え女でごぜえました」 「ふうむ……」  出るものは、苦笑ばかりであった。 「ご亭主。その団子《だんご》はうまそうじゃな」 「へい。この団子、女房がつくりますだよ」 「ほう、そうか。一|串《くし》もらおう。そしてな、残りを包んでくれぬか」 「みんな……?」 「うむ、うむ」  小兵衛が甘辛《あまから》い垂れをつけた団子を一串、食べているうちに、亭主は、残りの十串ほどを包みにし、提灯へ火を入れてくれた。 「さて、出かけるかのう」 「気をつけて、おいでなせえ」 「ありがとうよ」  と、小兵衛が二分《にぶ》金をつまみ出し、 「釣《つ》りはいらぬよ」 「と、とんでもねえ」 「ま、取っておいておくれ。いろいろと世話になったのう」 「これはどうも、相すみませぬ」 「おかみさんを、大事にすることじゃな。うふ、ふふ……」 「へ、へへ……」  提灯を手に、秋山小兵衛は夜の道へ出た。 (なあんだ……)  急に、今日いちにちの自分の行動が、ばかばかしくなってきた。 (わしも、ちかごろ、惚《ぼ》けてしまったわえ)  すこし行って振り向くと、大きな亭主の躰が、店の内の灯《あか》りを受けて、道に浮かんでいる。まだ、小兵衛を見送っているのだ。 (あの老爺《おやじ》、いいやつらしい)  それにしても、昨夜半、厠《かわや》の外に浮いて出た女の幻は、 (まさに、おきねだったが……はて……とすれば、何故《なぜ》、あのような……?)  それとも、小兵衛の錯覚だったのであろうか。 (女の乞食《こつじき》が、堤の上をうろついていて、それが下りて来たのであろうか……?)  いつになく小兵衛は、疲労をおぼえていた。  むり[#「むり」に傍点]もない。  今日いちにち、小兵衛の身辺には、あまりにも異変が起りつづけたのである。  侍どもの片腕を切り落した草原へ出たとき、 (さて、あれからどうしたかな?)  一応、あたりを探してみたが、倒れている者は見当らなかった。  ともかくも両刀を帯した侍どもゆえ、血だらけになりながらも、たがいに介抱し合い、この付近の医者でも尋ねて、手当を受けたのであろう。 (やれ、やれ……)  秋山小兵衛が、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へたどり着いたのは、四ツ(午後十時)をまわっていた。  夜になって自分が帰らぬときは、大治郎の家へ行っているようにと、出がけにおはる[#「おはる」に傍点]へいったことも、小兵衛は忘れてしまっていて、隠宅へ到着したとき、はじめて、 (あ、そうであった……)  おもい出したほどなのである。 (ええ、もう、これから倅《せがれ》のところへ、おはるを迎えに行くのも、億劫《おっくう》な……)  戸を開けて、中へ入った。  果して、おはるはいない。  灯りをつけ、夜具を敷きのべた小兵衛は、もう入浴の仕度をするのも面倒になり、寝間着に着替え、おきね婆さん手づくりの団子を肴《さかな》に、冷酒《ひやざけ》を茶碗《ちゃわん》で三杯ほどものむと、 「ああ、くたびれた……」  つぶやいて蒲団《ふとん》へもぐり込むや、たちまち、深い眠りに落ち込んでいった。      六 「先生、先生。起きて下さいよう。先生ったら……」  荒々しく、おはる[#「おはる」に傍点]に揺り起された秋山小兵衛が、 「おお……」 「おお[#「おお」に傍点]じゃありませんよう。昨日は、いったい何処《どこ》へ行っていたんですよう」 「何を、お前、怒っているのじゃ」 「知らない、知らない、知らない!!」 「お前、妙なことを考えているのではあるまいな?」 「知らない、知らない」 「昨夜、帰って来て、いや、まったく疲れてしもうたので、迎えに行けなかった。ごめんよ」 「何が疲れたんですよ。どうして、疲れたんですよう」  おはるが、小兵衛にむしゃぶりついて[#「むしゃぶりついて」に傍点]きた。 「これ、何をする、ばか……」 「ばかですよう。どうせ、私は、ばかですよう」 「これ、おはる。向うに、わしがぬぎ捨てておいた着物を見てごらん。ところどころに、人の返り血がついているはずじゃ」 「えっ……」 「見て来い、見て来い」  おはるが、湯殿の前の板敷きへ飛び出して行った。 「どうじゃ。すこしは、ついていたろう?」 「…………」 「ついていたか、どうじゃ?」 「ついて、いましたよう……」 「見ろ、ばかもの」  おはるが、安堵《あんど》のすすり泣きをはじめた。 「わしが、お前のほかの女と何やら[#「何やら」に傍点]する暇があるとおもうのかえ」 「わかっていますよう……」 「わかっているなら、何故、焼餅《やきもち》を焼いたりする」 「ごめんなさい……」 「それより、湯へ入りたい。わかしておくれ」  すると、おはるが急に、 「そ、それどころじゃありませんよう、先生」  叫ぶようにいって、寝間へ走り込んで来た。 「何じゃ、あわてて……」 「京橋の、先生の叔母さまが亡《な》くなったですよ」 「えっ……」  京橋の叔母というのは、実は小兵衛の亡妻お貞《てい》の叔母にあたる人で、名をお静《しず》といい、京橋・炭町に住む表具師〔長尾宗仙《ながおそうせん》〕の妻である。  お静は、たしか七十一歳になるはずだ。  小兵衛がお貞と夫婦になるときも、四谷《よつや》へ道場を構えてからも、この叔母は小兵衛夫婦を我が子のように面倒を見てくれた。  夫の長尾宗仙との間に子が生まれなかった所為《せい》もあったろう。いまは養子夫婦がいて、孫も三人できたし、小兵衛・大治郎の秋山|父子《おやこ》との交誼《こうぎ》は絶えていない。  現に、つい先ごろ、小兵衛は叔母が大好物の、浅草蔵前天王町の菓子舗〔甘林軒《かんりんけん》〕の〔茶巾餅《ちゃきんもち》〕をみやげに、長尾宗仙方を訪れているし、おはるも叔母に引き合せてある。 「昨日の朝、先生が出て行って間もなく、京橋から知らせに来たんですよう」 「そ、そうか……」 「だけど、先生が何処へ行ったのか、わからないのだもの」 「む……」 「いつ帰るか、いつ帰るかと待っているうち、日が暮れたので、先生のいいつけどおり、若先生のところへ行っていたんですよう」  小兵衛は、黙念となってしまった。 (何たることじゃ……)  われながら、なさけない。  ちかごろの叔母が、息災であったにせよ、 (あのときの、女の幻が、おきねではないとわかったとき、何故、わしは叔母ごのことをおもい浮かべなかったのか……)  そこが、なさけない。 「おはる。それで、叔母ごが亡くなられたのは何時《いつ》と申していた?」 「昨日の……いんえ、一昨日の夜半《よなか》だそうですよ」 「やはり……」 「どうかしなさったかね?」 「いや、なんでもない。ともかくも湯を浴びたい。すぐに仕度をしておくれ」 「あい、あい」  おはるが、居間へ出て行き、縁側の戸を開けてから、湯殿へ駆けて行った。  枕元《まくらもと》の煙草《たばこ》盆を引き寄せ、銀煙管《ぎんぎせる》へ煙草をつまみ入れた小兵衛は、 (そういえば、叔母ごと、おきねの顔は似ていないこともないような……)  はじめて、そのことに気づいたもののごとく、煙管を口へはこぶことも忘れ、ぼんやりとおもいにふけっている。  庭先で、大治郎の声がした。 「父上……父上はお帰りですか。私、京橋へお供をいたします。父上……父上」  おはるが出て行き、応対をしはじめた。  小兵衛が我に返って、煙管に火をつけ、 「大治郎、いま起きたところじゃ」  と、声を投げた。     秘密  何処《どこ》かの木の上で、鵙《もず》が鋭く鳴いた。  秋山大治郎を囲む三人の浪人者の刃《やいば》が、晩秋の午後の日ざしに煌《きら》めいた。  そして、すこし前に大治郎へ切りつけた別の無頼浪人が、目黒川から水浸しになった躰《からだ》で這《は》いあがってきた。  こやつは、大治郎に川へ投げ込まれたのである。  塗笠《ぬりがさ》をかぶったままの大治郎は、目黒川に架かる橋の中央に立ち、その左手に一人、右手に二人の浪人が刀を構えていた。  長さ八|間《けん》、巾《はば》二間のこの[#「この」に傍点]橋の名は相唐《そうから》橋というのだが、両岸から石をたたみ、橋杭《はしぐい》を用いずに架けわたしてあり、まるで太鼓の胴のように円い形状をしているので、いつか〔太鼓橋〕と、よばれるようになった。  ゆえに、いま、大治郎が刀へ手もかけずに立っている橋の中央部は、半円をえがく橋の頂点ということになり、これを囲む三人は、下から大治郎を見上げるかたちで、 「抜け、抜けい!!」 「素っ首を打ち落してくれる!!」  などと、喚《わめ》いた。  目黒の行人坂《ぎょうにんざか》を下ったところだけに、茶店も三軒ほどあるし、通行の人びとが遠巻きにして見物をきめこんでいた。 「うぬ!!」  左手の浪人が走りかかり、大治郎の足を下から掬《すく》いあげるように薙《な》ぎはらってきた。  飛びあがった大治郎が、刃風を足下に躱《かわ》し、よろめく相手へ身を寄せたかとおもうと、 「ああっ……」  こやつも宙に舞って、目黒川へ落ち込んだ。  その水|飛沫《しぶき》があがったとき、右手の浪人二人が、猛然と大治郎へ斬《き》りかかった。  三つの躰が、からみ合うようにして太鼓橋の南詰《みなみづめ》へ移ったかとおもうと、 「うわ、わ……」 「ぎゃあっ……」  二人の浪人が躰を打《ぶ》ち当ててよろめき、刀を落し、倒れ伏した。  大治郎の当身をくらったのである。  見物の、どよめきがあがった。  何事もなかったかのごとく、秋山大治郎は振り向きもせず、目黒不動の方へ立ち去って行く。  川へ投げ込まれた二人の浪人が失神した二人を介抱し、行人坂を這《ほ》う這《ほ》うの体《てい》でのぼって行く後姿へ、見物の嘲笑《ちょうしょう》と罵声《ばせい》が投げつけられた。  その中に一人、野菜|籠《かご》を背にした小娘が、遠ざかる大治郎へ何度も頭を下げ、いつまでも見送っている。  そのとき……。  太鼓橋のたもとにある〔正月屋〕という茶店にいた侍が一人、まだ、大治郎の後姿が見える田の道へ歩み出した。  編笠をかぶっているので面体は見えぬが、堂々たる体躯《たいく》のもちぬしで、身なりもよい。  だれの目も、羽織・袴《はかま》を身につけた、この侍を浪人とは見なかったろう。  侍は一定の距離をおきながら、大治郎の後を尾《つ》けている。  同じ道を行く人びともいたことだし、その侍が大治郎を尾行しはじめたことに気づいた者は、だれもいない。  むろん、大治郎自身も、これに気づかなかった。      一  この日の朝。  浅草・橋場《はしば》の我が家を出た秋山大治郎は、品川台町に小さな道場を構えている杉原秀《すぎはらひで》を訪れた。  いま自分が稽古《けいこ》をつけに出向いている老中・田沼|意次《おきつぐ》邸内の道場へ、月に何度か、 (秀どのに、来てもらおう)  と、おもいたったからである。  女ながら、亡父・杉原|左内《さない》の道場を受けつぎ、一刀流の剣術を近辺の若者たちに教えている秀であるが、もともと、秀の得意は根岸流の手裏剣なのだ。  その手練のみごとさを承知している大治郎は、田沼家の家来たちにも、秀の手裏剣をまなばせたいと考えた。  合わせて大治郎自身も、 (このさい、秀どのに手裏剣の指南を受けよう)  と、おもった。  そこで今日、秀の道場をたずね、この件を切り出すと、 「私で、よろしければ……」  秀は、こころよく引き受けてくれた。  大治郎は、秀が若者たちへ稽古をつけるありさまを見せてもらってから、秀のもてなしの昼餉《ひるげ》を馳走《ちそう》になった。  秀の道場を辞去したとき、まだ、日は高かったので、ついでに目黒不動の参詣《さんけい》をするつもりで、太鼓橋へさしかかったのである。  すると、酒に酔った四人の無頼浪人が、近くの百姓娘に難癖をつけ、あくどい悪戯《いたずら》をしかけているのを見た。  はらはらしながら、見ている人びとも、小娘を助けることができない。  これを見捨てて、大治郎が通り過ぎるわけにもまいらぬ。  そこで、四人を相手にした。  目黒不動の参詣をすませた秋山大治郎は、門前の〔桐屋《きりや》〕で名物の〔目黒飴《めぐろあめ》〕を二包み求めた。  妻の三冬と、義母おはる[#「おはる」に傍点]への手みやげにするつもりだ。  日が、かたむきはじめ、風が冷たくなった。  参詣の人の足も薄くなってきはじめた。  飴を買った大治郎が門前町をすぎ、中目黒町の角を右へ曲がろうとしたとき、どこからともなく、編笠《あみがさ》の侍があらわれ、 「卒爾《そつじ》ながら……」  と、いった。 「私に?」 「さようでござる」  侍が編笠をぬぎ、ていねいに頭を下げ、 「お願いの儀がござる」  と、いう。  太鼓橋から此処《ここ》まで、大治郎を尾《つ》けて来た侍であった。  眉《まゆ》も、鼻すじもふとやかで、大治郎を見つめてきた両眼《りょうめ》も大きい。その眸《ひとみ》の光りには邪悪の翳《かげ》りがない。 「何の御用か?」 「いささか……」  頭を下げた侍が、手つきと眼の色で、いますこし先まで同道していただきたいというような素振りを見せた。  剃《そ》りあげた髭《ひげ》あとが青々としていて、見たところ、三十そこそこの年ごろか……。  大治郎の先へ立って歩み出した侍が、いま一度、振りかえって、 「何とぞ」  ささやいた。 「私を、秋山大治郎と知ってのことですかな?」 「いや……」  侍が微《かす》かにかぶり[#「かぶり」に傍点]を振り、 「何とぞ……」 「む……」  別段、自分に危害を加えるつもりもないらしいと看《み》て、大治郎は侍の後へつづいた。  坂道を西へ下って、しばらく行くと、前方の左側に、大鳥明神《おおとりみょうじん》の社の杜《もり》がのぞまれた。  このあたりまで来ると、あたりは木立と竹藪《たけやぶ》と田地のみで、道を通る人影もいまは絶えていた。  侍は、左手の雑木林の中へ入って行き、大治郎もつづいた。  立ちどまった侍が、 「御足労をおかけいたした」  また、頭を下げた。 「何ぞ……?」  凝《じっ》と、大治郎を見やった侍が、 「宮部平八郎と申します」  と、名のった。 「うけたまわった」 「お願いの儀がござる」 「申されい」 「おもいきって申しあげる。金五十両にて、人をひとり、殺《あや》めていただきたい」 「ふうむ……」  大治郎が侍の顔を見まもると、侍……宮部平八郎は懸命に気力をこめた眼で見返して、 「事情《わけ》を、尋ねなさらず、引き受けて、いただけませぬか?」  一句一句にちから[#「ちから」に傍点]をこめて、 「見かけてたのみまする。おたのみ申す」  以前の大治郎なら、 「他の人に、おたのみなさい」  さっさと身を返して立ち去っていたろう。  ところが、佐々木三冬を妻とし、田沼意次邸の道場へおもむき、家来たちに稽古をつけてやるようになってからは、大治郎も必然、田沼意次という人物と親しく語り合う機会も増えた。  幕府の老中として、将軍を補佐し、天下の政事をあやつる田沼|主殿頭《とのものかみ》意次は、三冬の実父である。  妾腹《しょうふく》の子に生まれた女《むすめ》の三冬を、田沼意次は、どの子よりも愛しているだけに、女武道にのめり込み、男なぞ、 「かまいつけなかった……」  三冬が、秋山大治郎の妻となったことを、だれよりもよろこんでいた。  田沼へ対する世上の評判は、依然として悪い。  田沼の賄賂《わいろ》政治によって、世の中は、 「汚《けが》れほうだいに汚れてしまった。世も末だ」  と、いうのである。  大治郎も三冬を知る前には、そのようにおもいこんでいたわけだが、田沼意次という幕府の最高実権者の人間像が、 (世間の風評とは、これほどにちがっていたのか……)  それが、よくよくのみこめてきた。  田沼は二十年先……いや、五十年先、百年先の天下を、日本の姿を頭において政治をおこなっている。  私欲は、 (いささかもない……)  と、大治郎は看ていた。  田沼意次は、激務の中にも秋山|父子《おやこ》を招き、酒を酌《く》みながら、世間のありさまを、あれこれと耳にするのが何よりのたのしみらしい。  また、それが田沼の政治感覚に何やら益することがあるらしいのだ。  そういうこともあり、このごろの大治郎が、世間の出来事や、人と人との関《かか》わり合いに興味を抱くようになったことは事実であった。  おそらく、そうしたところが、父・小兵衛《こへえ》の血を引いていることになるのでもあろう。  だが、五十両もの大金で人殺しをたのまれた経験は、一度もなかった。  なかっただけに、大治郎は興味をおぼえた。 (この男は、いったい、どのような男なのだろう……?)  むろん、金で殺人を引き受けるような秋山大治郎ではないが、いますこし、この侍の声を聞いてみたくなった。 「何故《なぜ》、私に、そのようなことをたのまれるのです?」 「先刻、太鼓橋にて、尊公の手練のほどをしか[#「しか」に傍点]と拝見つかまつった」 「ほう……」 「なればこそ、唐突ながら、おたのみ申す決心をいたしました」 「相手は何者です?」 「浅草今戸の、本性寺《ほんしょうじ》裏に住む浪人でござる」 「その浪人は悪人か、善人か……?」 「申すまでもござらぬ。悪人でござる」 「どのような悪人なのです?」 「この上のことは、お尋《き》き下さるな」  侍は、懐中から金包みを出し、 「いまは金七両の持ち合せしかござらぬ。明日にでも、尊公のよろしき場所へ、残りの四十三両をおとどけ申す」 (はて……?)  大治郎は不審におもった。  四谷《よつや》の御用聞き・弥七《やしち》に聞いたところによると、こうした場合は先《ま》ず約束の金の半金をわたし、殺人が終ってのちに残る半金をわたすものだそうな。  しかし、宮部平八郎は、いきなり全額の五十両をわたすつもりらしい。  五十両といえば、庶民一家が四、五年は暮して行ける大金である。 「で、その浪人の名は?」 「滝口友之助と申す」  秋山大治郎の顔色は、わずかに変ったやも知れぬが、日も沈みかけた夕暮れの木立の中の小暗《おぐら》さに、宮部はそれ[#「それ」に傍点]とさとることもなかったであろう。 「お引き受けいたそう」  ややあって、大治郎が平静そのものの声でいい出た。 「まこと……まことでござるか?」 「うむ」 「か、かたじけない。このとおりでござる」  宮部平八郎は金七両の包みを大治郎へわたすや、其処《そこ》へ膝《ひざ》を折り、両手をつかえて深々と頭を垂れた。  その態《さま》は、見ていて、すこしも卑《いや》しげなところがなかった。  宮部の、大治郎へ対する態度は、終始、誠心にみちていたようにおもわれる。      二  翌朝。  秋山大治郎は朝餉《あさげ》をすませると、 「すこし早いが、途中、立ち寄るところもあるので……」  妻の三冬にいいおいて、我が家を出た。  この日は、田沼屋敷の稽古日《けいこび》であった。  大名屋敷内へ設けた道場だけに、稽古は昼すぎから始まる。  早くも秋山道場では、笹野《ささの》新五郎と杉本又太郎の激烈な稽古がおこなわれていた。飯田粂太郎《いいだくめたろう》は、田沼屋敷の稽古日ゆえ、大治郎到着の前に田沼邸内の道場へあらわれているはずだ。 「お気をつけられまして……」 「うむ」  大治郎は三冬と、にっこりとうなずき合い、丘を下って行く。  やがて大治郎は、我が家からも程近い今戸の本性寺へ姿を見せた。  この寺には、母お貞《てい》の墓や、嶋岡礼蔵《しまおかれいぞう》の分骨をおさめた墓があり、秋山父子は香華《こうげ》を絶やさぬ。  墓|詣《もう》でをすませた大治郎は、本性寺の裏門から外の小道へ出た。  このあたりは寺院ばかりであるが、本性寺・裏手の木立の中に、小さな家が一つある。この家も土地も本性寺の所有になるものだが、その家に一年ほど前から、四十がらみの浪人が一人、住みついていた。  秋山大治郎が、この浪人と知り合ったのは、今年の晩春の或《あ》る日のことだ。  その日の午後。本性寺の墓参を終えた大治郎は、我が家へ帰るつもりで、本性寺の裏門から外の道へ出た。  出た途端に、突如、門の傍《わき》から飛び出した野犬が、猛然と吠《ほ》えかかったものである。  もとより大治郎は、たとえ、野犬が自分に躍りかかったとしても、むざむざ噛《か》みつかれるようなことはなかったろうが、その前に、野犬は悲鳴を発して道に転げ、転げまわりつつ悲しげな声をあげて逃げ去った。  道の向うの木立の中から飛んできた石塊《いしくれ》が野犬の頭部へ命中したのだ。  石塊を投げたのは、木立の中の家に住む浪人であった。  木立からあらわれた浪人へ、 「危《あやう》いところをお助け下されて、ありがとう存じます」  大治郎が一礼するや、 「いや、いや……よけいなまね[#「まね」に傍点]をいたすまでもなかったようですな」  と、浪人が微笑した。  中年ではあるが色白の、眉《まゆ》も眼も細く、鼻すじの美しい好男子である。  躰《からだ》つきも小柄《こがら》で、やわらかな身のこなし[#「こなし」に傍点]は、どこか父の小兵衛に似通っている。  この浪人が、滝口友之助であった。  以来、大治郎と滝口友之助とは、何度か本性寺の裏手や、今戸|界隈《かいわい》で出合っている。  釣竿《つりざお》と魚籠《びく》を持っているときもあり、脇差《わきざし》一つを帯びた着ながしの姿で浅草寺《せんそうじ》の境内を歩んでいたこともある。  そのたびに、二言三言のあいさつをかわして別れるだけであったが、たがいに名乗り合ってはいた。  一度、この秋ぐちの或る日の夕暮れに、大治郎の道場へ、自分が釣りあげた落ち鱸《すずき》を一尾、みずからとどけてくれたことがあった。  大治郎は、まだ帰宅をしていなかったが、 「滝口友之助と申します。秋山先生へよろしゅう」  と、三冬へあいさつをしたそうな。  夜に入って帰って来た大治郎へ、 「あのお方は徒《ただ》のお方ではございませぬな」  と、三冬がいった。 「三冬どのも、そのようにおもわれるか?」 「はい」  槍《やり》か、剣か……いずれにせよ、武道に達した人物であることを女ながらに見ぬいたのは、さすがに三冬である。 「私も、そうおもう。なれば何やら曰《いわ》くがあって、あのような場所に独り暮しておられるのであろう。それで私も、強《し》いて近づこうとはしなかったのだが……」  大治郎は、そういったが、翌々日の午後、三冬がととのえた酒をたずさえ、鱸の返礼に滝口の家を訪れると、 「これは、わざわざ、おそれ入りましたな」  折しも、家の裏手で薪《まき》を割っていた滝口友之助はこころよく酒を受けてくれはしたが、決して、 「ま、お入り下さい」  と、家の中へ招じようとはしなかった。  先《ま》ず、二人の間は、このように淡々としたものだったが、たがいに好意を抱き合っていたことはたしかであろう。  滝口友之助のことを、大治郎が小兵衛に語ると、 「それでよい」  小兵衛は深くうなずき、 「お前も、どうやら、武芸の世界がわかりかけてきたようじゃな」  と、いってくれた。  生死をかけて一芸の修練を積み、これをつらぬき通すかぎりは、さまざまな人の恨みも、血の匂《にお》いも、おのれの躰に背負って歩みつづけねばならぬ。そこには、 「いうにいえぬ……」  事情もあり、過去もある。 「浅く、淡く、これからもつき合うがよいな、その人《じん》とは……」  と、小兵衛がいった。  大治郎もそのつもりでいるが、やはり、滝口友之助の人柄に強くひかれる自分を感じないわけにはゆかなかった。  その滝口を、金五十両で、 「殺してもらいたい」  と、昨日、宮部平八郎なる侍が大治郎へたのみこんだ。  太鼓橋で四人の浪人の刃《やいば》を素手であしらった大治郎の手練のあざやかさを見込んでのことだという。  滝口の名を聞くまでは、よいかげんにあしらって宮部と別れるつもりで、いくらかの〔ふざけごころ〕もあった大治郎なのだが、こうなってみると、何やら打ち捨てておけぬおもいになってきたのだ。  それで、引き受けた。  引き受けたが、むろん、滝口友之助を殺害するつもりはない。  むしろ、宮部平八郎が、 (何故、滝口殿を暗殺しようとしているのか……?)  これをたしかめたかった。  また、宮部平八郎が見ず知らずの自分を見込んで、このようなことをたのんできた理由も知りたい。なるほど、金しだいで人を殺す無頼浪人が江戸にはいくらもいるそうだが、宮部が自分をそのような浪人どもと同じように看《み》ているとはおもわれぬ。  昨日の、大治郎へ対する宮部の態度ひとつを見ても、それがわかろうというものだ。  木立の中の、滝口友之助の家の戸は閉ざされていた。留守らしい。  大治郎はあきらめて、田沼屋敷へ向ったが、到着すると、飯田粂太郎に、 「よんどころない用事があって、今日は、私が稽古をつけることができなくなった。後をたのむ」 「はい」 「だが、このことは内証にしておいてもらいたい。三冬にもだ」 「わかりました」 「では、たのんだぞ」 「心得ました、先生」  田沼屋敷を出た秋山大治郎は、内藤新宿《ないとうしんじゅく》の下町にある傘《かさ》屋の徳次郎の家へ向った。  四谷《よつや》の弥七《やしち》の手先をつとめ、お上《かみ》の御用にはたらいている徳次郎は、折よく家にいて、昼酒をのみながら、女房のおせき[#「おせき」に傍点]に腰を揉《も》ませていた。 「あれっ……若先生……」  突然あらわれた大治郎を見て、徳次郎はおどろいた。 「ど、どうしたんでございます?」 「たのみがあって来た」 「ようございますとも」 「すぐに、出てもらえるか?」 「へい」  おせきを急がせて、身仕度にかかる徳次郎へ、大治郎がこういった。 「事情《わけ》は、道々にはなす」      三  浅草の蔵前通りに〔末広蕎麦《すえひろそば》〕という、小ぎれいな蕎麦屋がある。  この秋の或《あ》る日に、ほかならぬ傘屋の徳次郎を殺害せんとした道中師・黒羽《くろばね》の仁三郎《にさぶろう》にさそわれた大治郎が、末広蕎麦の二階の小座敷で、酒を酌《く》みかわしたことがあった。  この日の七ツ(午後四時)に、末広蕎麦の二階座敷で、大治郎は宮部平八郎から、残金の四十三両を受け取る約束をしていた。 「へへえ……その蕎麦屋で、あのとき若先生は仁三郎の奴《やつ》と酒を……」 「そのときは、何も知らなかったのだ。仕方もあるまい」 「それにしても、あのときは、おどろきましてございますよ」 「ま、それよりも今日のことだ」 「へい、へい」 「弥七《やしち》どのへは、後で、私からはなす」 「いえ、大丈夫でございます。出がけに女房を親分のところへやって、若先生の御用事だと言付《ことづ》けをいたしましたので」 「さようか。それで安心」 「で、若先生が、その宮部|某《なにがし》という侍と二階で?」 「そうだ。徳さんは蕎麦屋の下にいて、酒でものんでいてもらいたい。そう長くはかかるまい」  途々《みちみち》、大治郎は昨日からの経緯《いきさつ》を徳次郎に語っておいた。 「そこで、私と別れた宮部平八郎の後を、徳さんに尾《つ》けてもらいたいのだ」 「ようございます」  約束の時刻前に、大治郎は末広蕎麦へ到着したが、早くも宮部は二階座敷で待っていた。 「お待たせいたした」 「よう、おいで下された。かたじけない」  宮部の慇懃《いんぎん》な態度は、昨日と少しも変っていない。  小女《こおんな》が酒肴《しゅこう》を運んで去ったのちに、宮部は、 「お約束いたした金四十三両、お受け取り下され」  と、袱紗《ふくさ》に包んだ小判を大治郎の前へ差し出した。 「大金ですな」 「は……」 「これを、いま、すべて頂戴《ちょうだい》してもよろしいのか?」 「受け取っていただきたい」 「まだ、目ざす相手を、討ち止めてもおらぬのに……?」 「同じことでござる」 「もしも私が、この大金を頂戴して、そのまま、滝口友之助を討たずに逃げてしまったら、いかがなさる?」 「いや……」  このとき、煌《きら》りと宮部平八郎の両眼《りょうめ》が光った。 「尊公が滝口を討ち取るまで、拙者、見とどけます」 「では、今日……?」 「滝口の住居《すまい》は、此処《ここ》からも近《ちこ》うござる。今夜、ただちに討ち取っていただきたい」  これは、大治郎にとっておもいがけぬことだったといってよい。 (まさかに、今夜とは……)  大治郎も考えていなかった。 「ふうむ……」 「いかがでござる?」 「今夜と申されても……」  いいさして大治郎が盃《さかずき》をほしてから、 「先《ま》ず、相手の様子を見とどけねばなりますまい」  そういってから胸の内で、 (ああ……このようなことを柄《がら》にもなく、引き受けねばよかった……)  と、後悔をした。 (父上ならば、もっとちがった仕方をなされたろうに……)  このことである。 「それにしても、見ず知らずの私へ、ようも、このような大事をおたのみなされたな?」 「はい。軽率のそしり[#「そしり」に傍点]はまぬがれませぬ。なれど昨日、小娘の危難を救われましたる尊公のお姿を見て、とっさに心を決めたのでござる。この人《じん》なれば、真心をこめておたのみすれば、お引き受け下さらぬものでもない。そして、お引き受け下されたときは、かならず、約束をおまもり下さると存じました」 「ふむ……どうあっても、今夜でなくてはいけませぬか」 「何故《なぜ》、今夜ではいけませぬ?」 「手強《てごわ》い相手の姿を前もって見ることなく、討てと申されるのか。それは、いささか無謀です」  きっぱりという大治郎を、宮部がちらり[#「ちらり」に傍点]と上眼づかいに見た。無念そうな眼の色であった。 「では、おまかせいたす」  ややあって、宮部が、 「そのかわり、御礼の金の半金は、滝口友之助を討ち果してのちにしていただきたい」 「承知いたした」  苦笑と共に、大治郎がこたえた。 「金を惜しむのではござらぬ。尊公のほかには、滝口を討ち取る者とてござらぬゆえ……」 「何事も、金の世の中ですな」 「見ず知らずの尊公に、このようなおたのみをする手段《てだて》としては、このほかにはなかったので……御不快でしょうか?」 「いいや……」 「拙者は、金五十両に、わが真心を托《たく》したつもりでおります」  その声に、嘘《うそ》も偽りもないようだ。 (ふしぎな人だな、この宮部殿は……)  さすがの大治郎も、いささか、もてあまし気味になってきた。 「秋山うじ。では、いつごろに滝口を……?」 「さよう……」 「日を限っていただきたい」 「七日後では……」 「七日も……」 「それでいけなくば、他の人におたのみなさるがよろしい」  と、秋山大治郎も、このごろは父ゆずりの駆け引きをするようになってきた。 「よ、よろしゅうござる」 「あなたへ連絡《つなぎ》をつけるのは、何処《どこ》へ?」 「いや……」  口ごもった宮部平八郎が、 「明日より、毎日七ツに、かならず、この蕎麦屋へ、拙者まいっております」 「さようか……」  間もなく大治郎は半金の残り十八両を受け取り、末広蕎麦を出た。  しばらくして、宮部平八郎が蕎麦屋を出る。  宮部は、大治郎が去った後、蕎麦を食べたらしい。  夕闇《ゆうやみ》が、夜の闇に変りつつあった。  宮部は提灯《ちょうちん》の用意をしてきている。  傘屋の徳次郎も、それにぬかりはなかった。  末広蕎麦を出た宮部平八郎は、神田川沿いの河岸《かし》道を、西へ歩みはじめた。      四  秋山大治郎は、宮部平八郎の尾行を傘徳にまかせておいて、帰途についた。  途中、滝口友之助の寓居《ぐうきょ》へ立ち寄ってみる気になった。  浅草寺の境内へ入り、矢大臣門から山之宿《やまのしゅく》へ出た大治郎は、真土山《まつちやま》の聖天宮《しょうでんぐう》の裾《すそ》を通り、山谷堀《さんやぼり》へ架かる今戸橋をわたった。  まだ宵《よい》の口のことで、大川《おおかわ》(隅田《すみだ》川)の川面《かわも》には、山谷の料亭や船宿へ着く舟の、舟行燈《ふなあんどん》がいくつもゆれうごいている。  今戸橋をわたった大治郎は、今戸の道へは出ずに、新鳥越町《しんとりごえちょう》の通りへ向った。本性寺の西側から、裏道へ入るつもりであった。  左側は町屋で、まだ戸を下していないが、右側には、ずっ[#「ずっ」に傍点]と大小の寺院がたちならんでいる。  理昌院《りしょういん》という寺の塀《へい》に沿って、大治郎は右の細道へ切れ込んだ。  両側も寺院と、木立である。  道は暗かった。  提灯《ちょうちん》の用意はなかったが、このあたりの道を歩きなれている大治郎にとっては、いささかも不自由ではない。  細道を二、三度曲がって、本性寺の裏手へ出た大治郎は、木立の中の滝口宅へ近づいて行った。  滝口の家からは、灯《あか》りが洩《も》れていない。  滝口友之助は、まだ、帰宅していないらしい。  念のため、戸口へ立ってみたが、かたく戸締りがしてある。 (何処へ行かれたのか……?)  在宅ならば、今戸の小体《こてい》な料理屋へ連れ出し、酒を酌《く》みかわしながら、それとなく、滝口のはなしを聞きとるつもりであったが、 (明日にでも、出直すとしよう。宮部平八郎との約束の日までは、まだ充分に間があることだ)  約束といっても、大治郎はこれを履行するつもりは、はじめから毛頭ない。  それは取りも直さず、滝口友之助の身を案ずるあまり、宮部平八郎を、 (騙《だま》したことになる……)  のである。  いまになって、大治郎は、われながら不快の念をおぼえた。 (これは、立ち入るのではなかった……)  やむを得ず、宮部から受け取っておいた金、合わせて二十五両の始末にも困る。  いずれにせよ傘《かさ》屋の徳次郎は、今夜のうちに大治郎宅へ来て、尾行の結果を報告し、泊ってくれるはずだ。 (ともかくも、徳さんのはなしを聞いてから、肚《はら》を決めよう)  と、大治郎が身を返して木立をぬけ、本性寺の裏道へ出た、その転瞬であった。 「む!!」  本性寺の土塀の裾に屈《かが》み込んでいた黒い影が、低い気合声を発し、怪鳥《けちょう》のごとく大治郎へ襲いかかって来た。  おもいもかけぬことながら、むざむざ斬《き》り殪《たお》されるような秋山大治郎ではない。  鋭い刃風《はかぜ》を掻《か》いくぐり、飛び退《しさ》った背後から、 「滝口友之助、覚悟!!」  叫んだ別の一人が、刃《やいば》を打ち込んで来た。  くるり[#「くるり」に傍点]と大治郎の躰《からだ》が廻《まわ》り、その曲者《くせもの》の斬撃《ざんげき》は躱《かわ》され、利腕《ききうで》をつかまれている。 「秋山大治郎と知ってのことか!!」 「あっ……」  曲者が、おどろきの声をあげた。  二人の曲者は覆面をしているが、浪人ともおもえなかった。 「何者だ?」 「う、うう……」  曲者は利腕を振りはなそうとするのだが、びく[#「びく」に傍点]ともせぬ。  最初に大治郎へ斬りつけた曲者が刀を引き、 「ゆるされい。見間ちがえてござる」  呻《うめ》くようにいった。 「だれと見間ちがえられた?」 「う……」 「滝口友之助とやらいう人《じん》とか?」 「さ、さよう。ゆるされい。平《ひら》に……平に、ゆるされい」 「見間ちがいではすみませぬぞ。まかり間ちがえば、こちらの一命がなかったことだ」 「平に……平に……」 「名のられい」 「う……」 「いずこの方々だ?」 「平に、平に、おゆるしを……」 「なりませぬ。近ごろ奇怪至極《きっかいしごく》のことだ。これでは、うっかりと夜道も歩けぬ」  大治郎につかまれた曲者の利腕から、刀が落ちて音をたてた。  二人の曲者は、大治郎が滝口宅の方から道へ出て来たのを見て、滝口友之助と間ちがえたらしい。  ということは、大治郎が滝口宅へ向って木立へ入って行く姿は見ていなかったことになる。大治郎が木立の中へ入ってのちに、ここへあらわれたのであろう。  それにしても大柄で筋骨もたくましい秋山大治郎と、小柄な滝口友之助を見間ちがえるとは、よほどに緊張をしていたのか、あわてていたものか……。  いまは二人とも、大治郎が滝口友之助ではないことを、確認したわけだが、 「そこもとは、滝口友之助のお知り合いの方か?」  曲者のほうから、反問してきた。  大治郎に腕を捻《ね》じあげられている曲者は身うごきもできぬ。うごいたら、腕の骨が折れてしまう。 「いや……」  大治郎はかぶり[#「かぶり」に傍点]を振って、 「木立の向うにも道はある。私は通りぬけて来たまでだ」  と、こたえた。嘘《うそ》ではない。  滝口宅の裏からも、向うの蓮華寺《れんげじ》の横手の道へ出られることを、二人の曲者は知っていなかったらしい。 「さ、さようか……ともあれ、今夜のところは、お見逃しいただきたい。後日、あらためてお詫《わ》びに参上つかまつる。お住居《すまい》は何処《いずこ》でござろうか?」 「住居など、うかつ[#「うかつ」に傍点]にいえようか。物騒きわまる」 「平に……平に……」  このとき、道の向うから人の声と共に提灯が二つ、近寄って来るのが見えた。  大治郎は、面倒になってきて、つかんでいた曲者の腕をはなし、突き飛ばした。  その曲者は刀を拾い、二人とも、たちまち駆け去った。 「何じゃろう?」 「さあ……?」  曲者たちとすれちがった、このあたりの寺僧が二人、語り合いつつ大治郎の前まで来て、ぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]としたように立ちすくんだ。  大治郎は一礼し、寺僧たちと入れかわり、曲者たちの後から今戸の方へ立ち去った。 「気味のわるい晩じゃな」 「急ぎましょう、急ぎましょう」  寺僧たちが去った後の闇《やみ》の道へ、にじみ出るように浮き出した人影が一つ。  外出《そとで》から帰って来た滝口友之助である。  滝口は、大治郎と曲者たちのやりとり[#「やりとり」に傍点]を土塀の蔭《かげ》で見ていたらしい。  星空を仰ぎ、滝口友之助がふといためいき[#「ためいき」に傍点]を吐き、しずかに、木立の中へ消えた。  傘屋の徳次郎が、秋山大治郎宅へあらわれたのは、五ツ半(午後九時)ごろであったろう。  徳次郎は、この夜、大治郎宅へ泊り、道場の方で酒を酌みかわしつつ、おそくまで大治郎と、ひそひそ語り合っていたようである。 「先に寝ていなさい」  と、大治郎にいわれ、寝床へ入った三冬だが、目が冴《さ》えて眠れない。 (私にも、おはなしなされず……いったい、何事が起ったのであろう……?)  翌朝。  三冬がととのえた朝餉《あさげ》を、 「恐れ入りましてございます」  かしこまって食べた傘屋の徳次郎は、急いで何処かへ立ち去った。      五  それから二日、三日と過ぎた。  四日目の夜ふけに、傘屋の徳次郎が大治郎宅へあらわれた。  この間、大治郎と徳次郎は、毎日、暮れ六ツ(午後六時)前後に、浅草・駒形堂《こまかたどう》の裏河岸《うらがし》にある例の〔元長《もとちょう》〕の二階で会っていたようだ。 「若先生、おひとりなんで?」 「三冬は今日、根岸の寮へ泊りがけで行っている。明日、私が迎えに行くことになっているのだ」 「さようで……」 「ま、坐《すわ》ってくれ、徳さん。いま、酒を……」 「若先生。それどころじゃあございませんよ」 「どうした?」  あれから毎日、徳次郎は滝口友之助のうごきを探っている。  むろん、徳次郎一人ではどうにもならぬので四谷《よつや》の弥七《やしち》の了解を得て、いつもこういうときには弥七が使っている手先を二人ほど借りたのだ。  滝口は毎日かならず、外出をした。  編笠《あみがさ》もかぶらず、わが顔《おもて》を、 「これ見よがしに……」  人目にさらし、今日は浅草から上野。つぎの日は芝の愛宕山《あたごやま》から増上寺というふうに、ぶらりぶらりと、これといった目的もないかのごとく歩きまわっていたそうな。  ところが今日、いつものように元長の二階で大治郎と会ったのち、徳次郎は、滝口を尾行中の手先からの連絡《つなぎ》を待つため、元長に居残った。  大治郎が帰ってから間もなく、手先のひとりが元長へあらわれ、滝口友之助が、 「いま、山下の丸金《まるきん》で飯を食っていますぜ」、  と、告げた。 「そうか、よし。御苦労だったな。今夜はもう帰《けえ》っていいよ」  すぐさま徳次郎は、元長を飛び出した。  上野の山下の〔丸金〕というのは、豆腐料理と酒が名物の気やすい店で、なかなかに繁昌《はんじょう》をしている。  徳次郎が駆けつけてみると、もう一人の手先の辰吉《たつきち》というのが、丸金を外から見張っていた。 「辰、御苦労だったな。もう、いいぜ」 「かまいませんよ、まだ……」 「なあに、もう、この時刻になっては他へまわることもあるめえ。本性寺《ほんしょうじ》裏へ帰るだけだろうよ」 「さいですか……」 「うむ。また明日、たのむぜ」 「合点です」  辰吉が去ってからも、かなり長い時間《とき》がすぎ、ようやくに滝口友之助が丸金から出て来た。  相当に酒ものんだのであろうが、足許《あしもと》はいささかも乱れていない。  滝口は、山下から浅草へ通ずる大通りへ出ることは出たが、広徳寺の先を左へ切れ込み、寺院が密集するさびしい道をえらぶようにして、ついに入谷田圃《いりやたんぼ》の東面へ出た。  このあたりは田地と雑木林がひろがり、その中に大名の下屋敷などが点在しているという。夜ともなれば、 「追い剥《は》ぎの絶え間もない……」  危険な場所であった。  そのすこし前から徳次郎は、自分とは別に、滝口友之助を尾行している者がいることに気づいた。  彼らが徳次郎や辰吉の尾行に気づかなかったのは、傘徳にいわせると、 「そこはそれ、素人《しろうと》と玄人《くろうと》のちがいでございますよ」  とのことである。 「さよう、立花様の御下屋敷の、すこし手前の田圃道で、滝口さんを尾《つ》けて来たやつが二人、前と後ろへまわり、いきなり、滝口さんへ斬《き》ってかかったので……」 「二人……」 「へい」  徳次郎がびっくりして、道の傍《わき》の木立へ走り込み、様子を窺《うかが》っていると、滝口の持っていた提灯《ちょうちん》が闇《やみ》に飛び、二言三言、双方が叫び合ったかとおもうと、刃と刃が噛《か》み合う凄《すさ》まじい音が聞こえた。 「それも、あっ[#「あっ」に傍点]という間のことで……」  絶叫と共に、二人の尾行者が滝口に斬り殪《たお》された。  滝口友之助は、後を振り向きもせず、しずかに立ち去って行く。  徳次郎が近寄って見ると、二人は覆面の侍で、もう息絶えていた。  そこで徳次郎は、別の道をとり、まっしぐらに駆け、先まわりをして、本性寺裏の家へ帰って来た滝口を見とどけてから、大治郎宅へ駆けつけて来たのであった。 「徳さん。すまぬが案内をしてくれ」 「ようござんす」  二人は、すぐに飛び出した。  殺人の現場へ着いてみると、二つの死体は、まだ、そのままになっている。  大治郎は二人の覆面を剥ぎ取り、徳次郎の差しつける提灯のあかりに、面体《めんてい》をあらためて見た。  見おぼえのない顔である。  しかし、その躰《からだ》つきや身なりが、どうも、先日の夜ふけに、自分を滝口と間ちがえて襲いかかった二人の侍のようにおもわれた。 (おそらく、そうだろう)  と、しだいに、それが確信に変ってきた。 「若先生。どういたしましょう?」 「このままにしておくよりほかに、仕様もないな」 「この連中は、いってえ、どこから来たのでございましょうね?」 「先日、徳さんに後を尾けてもらった宮部平八郎が入って行ったという、その大名屋敷から出て来たのだろうよ、この二人は……」 「へへえ……」 「徳さん……」 「へい?」 「これはもう、われわれが深入りをせぬほうがよいだろう」 「さようで……?」 「ま、ともかく帰ろう。今夜は、私のところへ泊ってくれ。ゆっくりと酒でものもうではないか」 「若先生もこのごろは、すっかり、お強くなって……」 「酒のことかね?」 「へい。大《おお》先生に……」 「だんだん似てきたといいたいのだろう?」 「まあ、そんなところで……」  秋山大治郎は、二つの死体に合掌してから、暗い田圃道を歩み出した。  北の空に尾を引いて、星が一つ流れるのが見えた。      六  翌々日。  秋山大治郎は三冬と共に、田沼|意次《おきつぐ》に招かれ、歓談の時をすごし、懐妊中の三冬には駕籠《かご》をもらい、五ツ(午後八時)すぎに橋場《はしば》の家へ帰って来た。  すると、留守居をしていた飯田粂太郎《いいだくめたろう》が、 「暮れ方に、お客人が見えましてございます」  と、大治郎に告げた。 「どなただ?」 「滝口友之助と名のられましたが……」 「何……」  おもわず、大治郎は三冬と顔を見合せた。  滝口友之助は、大治郎夫婦が留守と聞いて、 「却《かえ》って、お目にかからぬがよいかとおもわれます」 「もし、お急ぎでなくば、お入りなされて、お待ち下され」 「秋山先生の御門人ですかな?」 「はい。飯田粂太郎と申します」 「では、秋山先生へおつたえ願いましょう。ゆえあって滝口友之助、お別れにまいりましたと、な……」 「それだけでございますか」 「さよう」  滝口は、鬱金色《うこんいろ》の布に包んだ脇差《わきざし》を一振《ひとふり》、粂太郎へわたし、 「秋山先生へ、お別れのしるし[#「しるし」に傍点]に、差しあげて下され」  こういって、立ち去ったという。  包みを開いて見ると、藤原兼重《ふじわらかねしげ》作、一尺六寸余の脇差が入っており、手紙が添えてあった。大治郎不在のことを考えてのことであろう。  滝口友之助の手紙の要旨は、つぎのごとくである。 [#ここから1字下げ] 浅く、淡きものながら、秋山先生の御好誼《ごこうぎ》を得て、国許《くにもと》をはなれてより三年の無聊《ぶりょう》を忘れ得て、倖《しあわ》せに存じおります。それがしは、さる大名家に仕えし者ながら、事《ゆ》情《え》あって出奔いたし、それがために、この三年は追手の刃《やいば》に襲われること数度、そのことは別に苦となりませぬなれど……そのたびに、かつては同じ俸禄《ほうろく》を食《は》みし人びとを返り討つことの、いまはようやくに心苦しく相なりました。 さりながら、その刃に、われから伏し殪《たお》れることも、いさぎよしとはいたしませぬ。 これは、もって生まれた強情の性《さが》ゆえでありましょうか……。 なれど先夜のごとく、拙宅をお訪ねありし秋山先生を、それがしと見間ちがえての人びとが襲撃。まことにもって恐れ入るしだいに存じます。 かくなりましては、おのれの強張りにも、いよいよ決着をつけねばならぬかとおもわれます。 お別れのしるしまでに持ってまいりました兼重の脇差は、まだ一度も血に汚《けが》れてはおりませぬ。なにとぞ、こころよく、御受け取り下さいますよう。 [#ここで字下げ終わり] [#地から2字上げ]滝口友之助  秋山大治郎先生  読み終えた滝口の手紙を三冬へわたすや、 「粂太郎。ついて来てくれ」  大治郎が叫び、外へ走り出た。  飯田粂太郎も大刀をつかみ、 「ごめん下さい」  三冬へ一礼し、後から飛び出して行った。  二人が、本性寺裏の滝口宅へ駆けつけた上き、すでに、滝口友之助の息は絶えていた。  滝口は身をきよめ、新しい肌着《はだぎ》をつけ、自害をとげていた。  滝口にとって、腹を切ることができぬはずはないけれども、深い切腹をすると、あたりが、おびただしい血に汚《よご》れるとおもったのであろうか。わずかにすっ[#「すっ」に傍点]と一筋、腹の皮を浅く切り裂いておいて、すぐさま、これを白布をもって巻きしめ、それから、おもむろにかたちを正し、頸《くび》すじの急所を切って伏し倒れている。  あたりが血に汚れぬよう、奥の一間《ひとま》には茣蓙《ござ》を敷きつめてあった。  そして、本性寺の和尚《おしょう》へあてた遺書が一通。  こころならずも、借り家を自殺の場所にえらんだ詫《わ》び状なのであろう。  さらに、金三十五両が、本性寺に寄進されていた。  これは後になってわかったことだが……。  滝口友之助が本性寺の持ち家を借りたのは、本性寺の檀家《だんか》である日本橋・本石町の宿屋〔太田屋|新兵衛《しんべえ》〕の紹介によってだそうな。  それまで一ヵ月ほど、滝口は太田屋へ泊っていたらしい。  その以前の、滝口は、おそらく江戸にいなかったのではあるまいか……。  滝口の死顔は、平穏そのものであった。  これまでの、いっさいの苦悩と迷いが消えて、幽冥《ゆうめい》の静謐《せいひつ》にみちびかれて行ったのであろう。 (おそらく、滝口殿は、自害をするよりも、刺客《しかく》たちの刃に殪れたかったのではあるまいか……ところが、いざ、その場になってみると、あまりにも位取《くらいど》りのちがいすぎる相手に、むざむざと斬《き》られることが剣士として堪《た》えられなくなり、ついには闘って相手を返り討つことになってしまったのではあるまいか……)  まだ、くわしいことはわからぬが、滝口友之助と宮部平八郎は同藩の士《もの》であったにちがいないと、大治郎はおもった。  本性寺でも、大治郎の知らせにおどろいたが、和尚をはじめ寺僧たちも、かねてから滝口の人柄《ひとがら》に好意を抱いていたこととて、 「わけは知らぬが、お気の毒にのう」  すぐさま、通夜《つや》の仕度にかかった。  秋山大治郎は和尚にたのんだ。 「明夜まで、遺体を、このままにしておいていただきたいのです」 「よいとも、よいとも」      七  つぎの日の七ツ前に、秋山大治郎は、蔵前通りの末広|蕎麦《そば》へあらわれた。  この日は朝から、霧のような雨が烟《けむ》っている。  この前の二階座敷へ通された大治郎は、小女《こおんな》に、宮部平八郎が、あれから毎日、ここへ顔を見せていたかどうかをたしかめた。  宮部は、毎日かならず七ツ前にあらわれ、 「一刻《いっとき》(二時間)ほど、お待ちになっていらっしゃいました」  とのことである。  小女が去るのと、入れちがいに宮部平八郎が末広蕎麦へあらわれた。  二階座敷へ入って来るなり、宮部は大治郎の前へ両手をつき、 「かたじけなく……」  深ぶかと、頭を垂れ、 「みごと、滝口友之助を討ち取られましたな。おかげをもって、多くの人びとの命が救われましてござる」 「滝口殿が亡《な》くなられたことを、すでに御存知か?」 「今日が、約定《やくじょう》の日でござる。それゆえ、人をつかわし、本性寺裏の滝口宅を密《ひそ》かに見てまいるよう申しつけましたところ、まさに、忌中《きちゅう》とのことにて……」  宮部は、大治郎が滝口を斬《き》って殪《たお》したものとばかり、おもっているのだ。 「残りの金二十五両でござる。お受け取り下され」  いいつつ、懐中から金包みを取り出し、大治郎の前へ置いた。  同時に大治郎も、前に宮部から受け取った前金二十五両の袱紗《ふくさ》包みを出し、宮部の前へ置いた。  宮部が、おどろいて、 「こ、これは……?」 「お返し申す」 「えっ……」  とっさに宮部は、大治郎の意中をはかりかねたようである。 「な、何故《なぜ》、このような……」 「先《ま》ず、ごらん下さい」  秋山大治郎は、滝口友之助が自害をとげたその日、形見に贈られた藤原兼重《ふじわらかねしげ》の脇差《わきざし》に添えられてあった自分あての滝口の手紙を、宮部の前へ置いた。 「これは、あの……」 「かまいませぬ。お読みねがいたい」  うなずいた宮部が手紙を取りあげ、読みはじめた。  読みすすむにつれ、手紙を持つ宮部平八郎の両手が、わなわな[#「わなわな」に傍点]と震え出し、その顔色《がんしょく》は蒼白《そうはく》となった。  読み終えた宮部は、睨《にら》むがごとく、大治郎を見据《みす》えた。 「私は、はじめから、あなたを騙《だま》していました。おゆるし下さい」  頭を下げた大治郎へ、宮部が言葉にならぬ声を出した。  大治郎を見つめている宮部平八郎の両眼から、熱いものがふきこぼれてきたのは、このときである。 「あ、秋山殿……」 「おゆるし下されるか……?」 「われらこそ……われらこそ……」  いいさした宮部が両手で顔を被《おお》い、噎《むせ》び泣いた。  今度は大治郎のほうが、凝然となった。 「事情《ゆえ》あって……ゆえあって、われら主君の名は申しあげられませぬが、かくなっては秋山殿へも、それがしの胸の内を、聞いていただきとうござる」  と、宮部が、こらえかねたかして、ほとばしるようにいい出た。  宮部平八郎が仕えている大名というのは、おそらく、いま、宮部が滞留している江戸藩邸の主《あるじ》にちがいない。  七日前に、宮部を尾行した傘《かさ》屋の徳次郎の口から、その大名がだれか、江戸藩邸が何処《どこ》にあるのかを、秋山大治郎はすでに知っていた。  しかし、大治郎は黙っていた。  これから、どのようなことを宮部がいい出そうとも、知らぬふり[#「知らぬふり」に傍点]をしているつもりであった。  宮部が、語りはじめた。  滝口友之助と宮部平八郎は、北国の、さる大名の家来で、城下の屋敷が隣り合せになっていたそうな。  そうしたこともあり、同年でもあって、滝口の弟の伊織《いおり》と宮部とは幼少のころからの親友であった。  宮部は次男に生まれたが、二十三歳になって幸運を得た。  藩の重役の一人に見込まれ、聟《むこ》養子になったのである。  そうなると、いずれ宮部が養父の跡をつげば、実家の父も兄も、宮部には頭が上らぬことになるわけだ。  ちなみ[#「ちなみ」に傍点]にいうと、いまの宮部平八郎は、まだ養父の跡をついではいない。  ところで、滝口伊織のほうは、なかなかに養子の口がかかちず、四年前まで、兄・友之助の厄介《やっかい》になっていた。  四年前のそのとき、伊織に養子の口がかかった。相手は、勘定方をつとめる井上|某《なにがし》のむすめ・千代であった。  折しも、兄の滝口友之助は、子を生まぬままに世を去った妻の小祥忌《しょうしょうき》(一周忌)をすませたばかりだったが、弟・伊織のめでたい縁組を何よりもよろこんだ。  その千代を、殿様が、 「奪い取った……」  のだという。  滝口伊織との婚約を知りつつ、奪い取った。  御城の奥御殿の侍女をつとめていた千代が、暇《いとま》をもらって実家へもどろうとした直前にである。 「わが殿は……わが殿は……」  いいさして宮部平八郎は絶句したが、ややあって、 「以前にも、たびたび……」  辛うじて洩《も》らした。  家来の妻とか、婚約が決まった城下のむすめとか、わざと、そうした相手をえらび、藩主の威勢をもって、なぐさみもの[#「なぐさみもの」に傍点]にするのである。  千代は健康ではあったが、どちらかというと顔も姿も、美しいとはいえぬむすめで、婚期を逸していただけに、親たちも、また親類たちも、 「まさかに、殿様が……」  と、安心をしていたのがいけなかった。  それに近年は、国許《くにもと》における殿様の、 「その、悪い病《やまい》が熄《や》んでいた……」  からである。  殿様は奥御殿の一間に千代を押し込め、犯した。なぶりつくした。  そして、その翌日に、 「御暇をたまわる」  ということで、千代は実家へ帰された。  事態を書き遺《のこ》した千代が自害をとげたのは、翌々日の夜ふけであった。  さらに七日後。  滝口伊織が自害をした。  この二人は、別に相思相愛の間柄ではなかった。  たがいの顔も、よく見知ってはいなかったろう。  なればこそ、二人の自決は、狂暴な殿様へ対しての精一杯の抗議だったといえよう。  むろん、藩庁は二人の死を〔病死〕の扱いにし、この事件をもみ[#「もみ」に傍点]消してしまった。  千代と伊織の、双方の実家は泣き寝入りとなった。  滝口友之助が、ひそかに奉公人たちへ金品を分けあたえて暇《ひま》をやり、城下を出奔したのは、それから半月後であった。  そして三ヵ月後の或《あ》る日。  参観《さんきん》で出府の日が近づいた殿様が五十余名の供を従え、鷹狩《たかが》りに出たとき、滝口友之助が単身、奇襲をかけたものである。 「それで……?」  と、秋山大治郎。 「殿は、御落命あそばされました」  と、宮部平八郎。 「滝口殿に討ち取られた……」 「さようでござる」  このとき、滝口は供の家来たち八名を死傷させ、逃亡している。  むろん、このような不祥事を公《おおやけ》にすることはできない。  幕府の耳へ入ったなら一大事だ。殿様が家来に討ち取られるなどとは、天下《てんが》に恥をさらすようなものである。  目撃した家来たちは、きびしく箝口《かんこう》の事を命じられ、ついで、屈強の藩士たちがえらばれ、滝口友之助の追跡、暗殺を命じられた。  以後、三年の間に、諸国を逃げまわりつつ、滝口が返り討った藩士たちは十三名におよぶという。  滝口に討ち取られた前《さき》の藩主には、十九歳になる世嗣《よつ》ぎの男子がいたので、とどこおりなく十万石を相続できた。  しかし何としても、滝口の首を討たねばならぬ。しかも隠密裡《おんみつり》に討ち取らなくてはならない。これは当然であろう。  宮部平八郎が、その探索の指揮を取ることになった。  本性寺《ほんしょうじ》裏へ住みついた滝口友之助が両国橋をわたっているところを探索方が発見したのは、一ヵ月ほど前のことである。  滝口は平然と顔をさらし、歩いていた。  まるで発見されることを、待っているかのようであった。  探索方は滝口の寓居《ぐうきょ》をつきとめ、宮部は暗殺の準備に取りかかった。  そして、これまで江戸においては、金で雇った浪人|剣客《けんかく》が五名、藩士が四名、滝口友之助に返り討たれていた。 「嫌《いや》な……嫌な御役目も、これで、終り申した」  語り終えた宮部平八郎が哀《かな》しげにいった。  宮部の養父は、藩の〔年寄《としより》〕をつとめてい、宮部に、この役目を命じたものとみえる。 「われらが藩名を、亡き滝口友之助より洩れ聞いてはおられませぬな?」  念を押す宮部へ、大治郎が、 「そのようなことを洩らす滝口殿とおもわれてか?」  うつむいた宮部へ、 「これまでのことは、何も彼《か》も忘れましょう。案じられるな」  と、立ちあがった大治郎が、 「滝口殿の死顔を、あらためなさるがよい。御案内いたす」 「いいや……これにて、充分でござる」 「さようか。では……」 「お待ち下され」 「何ぞ……?」 「この金子《きんす》にて、滝口友之助の回向《えこう》なりと……」 「殿様を討ったる逆臣に、回向をなさる……?」 「はい」  大治郎を見あげた宮部平八郎の眼《め》が、またしても潤《うる》みかかり、 「それがし……それがしとて、亡き滝口伊織の恨みをはらしたく、存じましたなれど……それもかなわなんだ、不甲斐《ふがい》もなき男にござる」 「たしかに、うけたまわった」 「秋山殿……」 「御回向をなさりたくば、編笠《あみがさ》に面《おもて》を隠し、御自分で本性寺の和尚《おしょう》へおとどけなされ」  こういってから大治郎は、やさしく宮部平八郎へ微笑を送り、 「そうなされば亡き滝口友之助殿も、さぞ、よろこばれよう」  一礼し、階段を下り、末広|蕎麦《そば》から外へ出ると、雨が叩《たた》きつけるように降っている。  小女が番傘を持ち、追いかけて来て、 「おもちなさいまし」 「ありがとう。では、借りて行こう。二階に残っている人に、早く熱い酒をもって行ってやりなさい」 「はい」  大治郎は小女に〔こころづけ〕をやってから、本性寺裏へ向った。  今夜は、滝口友之助の通夜《つや》である。  本性寺の和尚や寺僧たちをはじめ、秋山小兵衛もおはるも来る。妻の三冬も飯田粂太郎《いいだくめたろう》も、すでに滝口宅へ来ていよう。      ○  数日後。  鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅を訪れた大治郎に、秋山小兵衛がいった。 「滝口殿に斬《き》り殺された、あの殿様はな、江戸では名君の評判が高かったそうな」 「ほう……」  大治郎が、呆《あき》れ顔になるのへ、 「それはつまり、藩の重役たちが、よほどにしっかりしているのだろうよ。領国の政事もなかなかによいそうな」 「ははあ……」 「それにしても、大名家の重役などというものは、灰汁《あく》ぬけぬことよ。滝口殿を、かまいつけぬほうがよかったのじゃ」 「と、申されますのは?」 「ばか殿さまを片づけてくれた滝口友之助の口を封じようとして、三年がかりで刺客を繰り出すなぞは、ばかの骨頂じゃ。しゃべるものなら、その間に、しゃべっておるわえ」 「なるほど……」 「そのあげくに、家中でも指折の剣士たちを何人も死なせてしまったではないか。ばかばかしいにも程がある」 「いかにも……」 「お前のしたことは、つまるところ、上出来じゃったな」 「いえ、それは父上、ちがいます」 「ま、よいわ。新蕎麦をおはる[#「おはる」に傍点]が打っている。ゆっくりして行け」  庭先の南天《なんてん》が、真赤な実を垂れている。  おはるが台所から、 「若先生。舟で三冬さんを呼んで来たらどうだね。新蕎麦を食べさせたいのですよう」  大声をかけてよこした。     討たれ庄三郎《しょうざぶろう》      一 「このようなことを、私から、大《おお》先生におたのみいたしますのは、ほんとうにその、ぶしつけでございまして……ですが大先生、そのお人は、とても、良《い》いお人なんでございます。ですから、つい、おことわりすることができなくなってしまって……」  口ごもりつつ、顔を真赤にして、秋山|小兵衛《こへえ》の前で畏《かしこ》まっているのは、あの〔鬼熊酒屋《おにくまざかや》〕の亭主・文吉《ぶんきち》である。  先代の亭主で「鬼熊」などとよばれていた養父・熊五郎亡《くまごろうな》きのち、文吉は女房おしん[#「おしん」に傍点]とちからを合わせ、店を切りまわしているが、亡き熊五郎とちがい、夫婦の客あしらいのよさは土地《ところ》でも評判になっているそうな。  本所《ほんじょ》・横網町《よこあみちょう》の、大川《おおかわ》(隅田《すみだ》川)に面した津軽|越中守《えっちゅうのかみ》・下屋敷の北面の三角地帯の端にある鬼熊酒屋に、ここ三月ほど足を運んでいない秋山小兵衛の隠宅へ、活《いき》のよい鮃《ひらめ》を三尾ほど持ってあらわれたのは、店へ来る客のひとりに会ってやってもらいたいと、たのみに来たのであった。  文吉のはなしを聞いてみると、その客を小兵衛も見おぼえていた。  いくらか白い毛《もの》がまじった総髪《そうがみ》の、中年の浪人で、鬼熊酒屋へやって来るときも袴《はかま》をつけ、いつも身ぎれいにしており、入れ込み[#「入れ込み」に傍点]の片隅に端座し、ものしずかに盃《さかずき》をふくむ姿が印象に残っている。  長身の、その背すじをすっきりと伸ばし、ゆっくりと時間をかけて酒をのんだあとは、かならず飯を食べた。切長《きれなが》の両眼は、いつも眠っているかのように細い。 (若いころは、さぞ、いい男だったろうな……)  と、小兵衛がおもったこともある。  鬼熊酒屋で、この浪人に気づいたのは、ちょうど一年ほど前のことであったが、さすがに小兵衛は、 (徒者《ただもの》ではないな)  と、看《み》ていた。  どちらかといえば痩《や》せて見える浪人の躰《からだ》は、おそらく、武術に鍛えぬかれた筋骨と筋肉によって成り立っているにちがいない。  さて……。  十日ほど前のことだが、その浪人が鬼熊酒屋でのんでいて、文吉の女房に、 「ちかごろ、あの小柄《こがら》な、品のよい御老人がお見えにならぬようだが……」  と、尋ねた。  ちょうど客も立て混《こ》んでいなかったものだから、女房が小兵衛のことをいくらかしゃべったらしい。浪人は、しきりにうなずいていたそうな。  すると昨夜、あらわれた浪人が文吉に、秋山小兵衛先生が会って下されるかどうか、御都合をうかがってもらいたいといい出た。  文吉は、このときはじめて、浪人の名が「黒田庄三郎」であることを知ったのである。 「ふうん、そうかえ。かまわぬよ、いつでも連れておいで」 「実は、あの、そこに来ておいでになりますんで……」 「なあんだ。それなら早く、よんで来なさい」 「はい、はい」  文吉は肩の重い荷を下したような顔つきになり、隠宅の縁先から向うの木立へ走って行った。  隠宅の一隅《いちぐう》に一本《ひともと》だけある七竈《ななかまど》の木の、葉も実も赤く、それがいかにも冬の近いことをおもわせる。  鏡のごとく晴れわたった空に、鶴《つる》の群れのわたるのが見えた。 「おはる[#「おはる」に傍点]。酒の仕度をたのむ」  昼餉《ひるげ》の後片づけを終え、奥の間で縫い物をしているおはるへ、小兵衛が声をかけたとき、文吉にみちびかれて、黒田庄三郎が木立の向うからあらわれた。 「さあ、お入りなさい。さあ、さあ……」  小兵衛が縁先へ立って行き、気軽に声をかけると、 「おそれ入ります」  黒田は深ぶかと頭を垂れ、 「まことにもって、ぶしつけなことをいたしました」 「何の……ま、おあがりなさい」 「は……」  文吉が気を利《き》かせて、黒田へ、 「では、あの私は、これで引き下らせていただきます」 「御亭主。いかい御苦労をおかけ申した」 「とんでもございません。では大先生、ごめん下さいまし」 「おお。近いうちに行くよ」 「お待ちしておりますでございます」  文吉は小走りに堤への道をあがって行った。 「先生。いま鬼熊さんからもらった鮃を出しますよう」  と、台所からおはるの声。 「あ、そうしておくれ」  黒田は居間へあがってきて、ぴたりと両手をつき、 「黒田庄三郎と申します」 「秋山小兵衛でござる」 「先生のおうわさを、鬼熊酒屋でうけたまわり、まことにもって、ぶしつけながら……」 「ぶしつけは、おたがいさまじゃ。して、何の御用か?」 「はい」  背すじをのばし、澄みきった眼を小兵衛に向けた黒田庄三郎が、 「明後日に、果し合いをいたします」 「ほう……」 「先生が、お見とどけ下されますならば、それがし、この上の倖《しあわ》せはございませぬ。お聞きとどけ下されましょうか?」 「なるほど。これは、たしかに、ぶしつけのようじゃ」 「恐れ入ります。なれど、先生に、それがしの死様《しにざま》をお見とどけいただければ、剣客《けんかく》の端くれとして、おもい残すことはありませぬ」 「死様と、な……」 「はい。死様でございます」      二  黒田|庄三郎《しょうざぶろう》は、それから一刻《いっとき》(二時間)あまり、小兵衛と語り合って、しずかに帰って行った。  おはる[#「おはる」に傍点]は、酒肴《しゅこう》の仕度をして、二度ほど居間へ入ったが、 「呼ぶまで来るな」  と、小兵衛にいわれたものだから、奥の間へ入り、縫い物をつづけた。  おはるは針を運びつつ、聞くともなしに、襖《ふすま》一枚をへだてた居間の会話を耳にしたが、二人の低い声は聞こえても、その言葉はよくわからなかった。  いつになく、小兵衛の声も低いのである。 (まあ、私に聞かせまいとしているんだよう……)  頬《ほお》をふくらませて、おはるは針を運びつづけた。  そして最後に、 「たしかに、お引きうけいたした」  という小兵衛の声が、はっきりと、おはるの耳へ入った。 (何を引きうけなすったのだろ、先生は……?)  黒田庄三郎が帰った後で、おはるが居間へ行くと、酒は半分も減っていない。  鮃《ひらめ》の刺身にも、ほとんど箸《はし》がついていなかった。 「どうしたのですよう?」 「何が、よ?」 「ろく[#「ろく」に傍点]にのまないし、食べもしないし……」 「あ、そうか。せっかくのお前の、こころづくしを無にしてすまなかったのう」 「何を、はなしていなすったんですよう?」 「とんでもないことを、たのまれてしまったわえ」  おもい出したように、茶碗《ちゃわん》を出して、おはるが酌《しゃく》をした冷酒《ひやざけ》を小兵衛が一気に呷《あお》った。 「まあ、乱暴におのみなさるねえ。いけませんよう」 「そうだったな」  小兵衛は、妙に素直であった。  いつものように落ちついていたし、声音《こわね》もおだやかなのだが、小兵衛の眼の色は暗く沈んでいた。  それを、おはるは見逃さなかった。 「ねえ、何をたのまれなすったんですったら」 「あまり、いいことじゃあない」 「どんなこと?」 「お前にいっても仕方のないことさ」 「また何か、危ないことをしなさるのかね?」 「いいや。わしのほうは、ちっとも危ないことはないのじゃ」 「それじゃあ、いま帰った浪人さんが危ないのかね?」 「そういうことになるのう」 「へえ……?」  おはるには、さっぱりわからぬ。  淡く夕闇《ゆうやみ》がただよいはじめた庭へ、小兵衛は空虚《うつろ》な視線を投げて、 「いまどき、あのような人《じん》がいたとはのう……」  ためいき[#「ためいき」に傍点]を吐くようにつぶやいたものである。 「先生。あの人は、そんなにめずらしい人かね?」 「うむ……めずらしいな。むかし、むかし、戦国の時代《ころ》には、ああした人も掃いて捨てるほどいたのであろうが……」 「せんごく[#「せんごく」に傍点]って何ですよう?」 「むかしむかし、この日《ひ》の本《もと》の国のあっちこっちで、戦《いくさ》が絶えなかったころのことさ」 「それじゃあ、太閤《たいこう》さま(豊臣秀吉《とよとみひでよし》)がいなすったころかね?」 「ま、そんなところじゃ」 「ふうん……」  夕餉《ゆうげ》をするころには、秋山小兵衛は、いつもと少しも変らぬ小兵衛になってい、おはるは安心をした。  女という生きものは、男の胸底に潜むおもいを、見ぬくことができぬようにできている。  それが小兵衛にとっては、むしろ、ありがたいようなものなのだ。  まして、このたびの一件は、おはるとはまったく無関係のことといってよい。  おはるにもいったとおり、小兵衛の身には万に一つの危険もない〔たのまれ事〕なのである。  翌日……。  小兵衛は一日中、隠宅に引きこもっていた。  午後になり、大治郎が訪れたけれども、昨日の一件については何も語らなかったようだ。  夕餉をすませた小兵衛は庭先へ出て、かなり長い間、夜空をながめていた。  台所を片付けてあらわれたおはるが、 「何を見ていなさるんですよう?」 「いや、明日の天気がどうかとおもってな」 「どうなんですかね?」 「よい天気らしい」  早めに寝間へ入ってから、おはるが甘えて、小兵衛の臥床《ふしど》へもぐりこんできた。 「これ、これ……何をしようというのじゃ?」 「何をするって、きまっているのに……」 「今夜はいかぬよ」 「どうしてですよう」 「明日の朝は早いのじゃ」 「お出かけになるんですかね?」 「暗いうちに、な……」  と、小兵衛が、おはるの盛りあがった乳房を指先で、ちょいと弾《はじ》いて、 「年寄りを、いじめるものではないぞ」 「知らない」 「明朝、わしが出て行くとき、起きなくともよい。そうさな、昼ごろには帰れよう」 「まあ……」 「わしが出ている間に本性寺《ほんしょうじ》へ行って、和尚《おしょう》へ、わしの手紙をとどけておいてくれ。手紙は居間の机の上に置いてある。よいか、たのんだぞ」 「あい、わかりました」  今戸の本性寺は、秋山|父子《おやこ》の菩提所《ぼだいしょ》である。      三  日暮里《にっぽり》の道灌山《どうかんやま》の東の裾《すそ》に、宗福寺という寺がある。  道灌山の崖下《がけした》には石神井《しゃくじい》用水がながれてい、この川は南から東へまわり、根岸川となって、その末は浅草の山谷堀《さんやぼり》から大川へそそいでいる。  宗福寺の西側に、この川がながれていて、その川辺《かわべ》りを北へ向って少しく行くと、木立に囲まれた原がある。  むかし、此処《ここ》に、 「新堀《にっぽり》長者」  などとよばれた物持ちの屋敷があったそうだが、火事を起して焼け野原と化した。それはもう、四十年も前のことらしい。  原の中に、土蔵の残骸《ざんがい》が一つ在った。 〔新堀長者〕の土蔵だったのであろう。  このあたりは下日暮里ともいい、新堀村ともいうので、この呼び名がついたのだ。  黒田|庄三郎《しょうざぶろう》が、秋山小兵衛に、果し合いの立ち合いをたのんだのは、この場所であった。  黒田は、おのれの死後の始末にと、小兵衛に金十両を托《たく》した。  はじめから、黒田は死を覚悟して、果し合いにのぞむつもりなのだ。  さほどに相手が強いのかというと、そうではない。  相手は十九歳の若者である。  黒田庄三郎なら、 (剣を抜かずとも、素手《すで》で、その若者を打ち殪《たお》してしまうにちがいない)  と、小兵衛はおもった。  相手の若者を、わが目にたしかめなくとも、 (知れてある……)  と、黒田が事の始終を語り終えたとき、小兵衛はそのように感じたのだ。  この果し合いには、相手の若者に三人の助太刀がついて来るはずであった。  そのことも、黒田庄三郎は承知している。  その助太刀の三人のみは、黒田が一人で、 「斬《き》って取る……」  つもりであった。  秋山小兵衛は、これを見ておればよい。  三人を討ち果したのち、黒田は、相手の若者と闘い、故意に討ち取られようというのである。  ところで……。  秋山小兵衛が、おはる[#「おはる」に傍点]に「明朝は早いから、起きなくともよい」といって眠りについた、その夜、新堀長者の屋敷|址《あと》へ入って来た二つの人影がある。  闇《やみ》の中を音もなくやって来て、木立の中へ分け入ったきり、この二人は、いつまでも出て来ない。  むろん、これを見た者はだれ一人としていなかった。  夜はおろか、日中でも、この川沿いのさびしい小径《こみち》を歩む人は、ほとんどなかった。  やがて、翌朝になった。  黒田は、この朝、小兵衛の隠宅へ、 「お迎えに参上いたします」  と、申し出たが、 「それにはおよびませぬよ」  小兵衛はことわり、当日の七ツ半(午前五時)に、谷中《やなか》・天王寺の惣門《そうもん》前で黒田と落ち合うことにした。 「では、御言葉に甘えさせていただきます」 「はい、はい」  黒田庄三郎は、深川・山本町の釣《つり》道具屋〔浜屋清七〕方の二階に住んでいた。  家族は、だれもいないが、 「黒猫《くろねこ》がひとり、おりましてな」  と、黒田は小兵衛にいった。 「ほう。飼《こ》うておられるのか?」 「迷い猫でござりまして、つい半年前の或《あ》る夜ふけに、屋根づたいに入ってまいりましてな」 「なるほど……」 「その夜から、居ついてくれました」 「よほど、その猫に気に入られたものと見えるのう」 「ありがたいことで……」  黒田は、しみじみと、 「この半年、無聊《ぶりょう》をなぐさめられましてござる」  正直にいったものである。 「黒猫の名は?」 「黒兵衛《くろべえ》と申します」  その黒兵衛に別れを告げ、浜屋方の裏口から出た黒田庄三郎は、ゆっくりと歩み、小兵衛と約束をした時刻の半刻《はんとき》(一時間)前に、天王寺・惣門前へ姿をあらわした。  まだ、夜のように暗い。  黒田は惣門よりはなれた柵《さく》のあたりへ坐《すわ》りこみ、提灯《ちょうちん》のあかりを消した。  果し合いの約束の時刻は明け六ツ(午前六時)に決められてい、そこで両者が出合い、あたりに、朝の光りがゆきわたったところで決闘が開始されることになっていた。  決闘の場所と時刻が定められたのは、実に半月も前のことで、それというのも相手の若者が江戸へ到着するのを今日まで待っていたからなのだ。  若者の名を、 「関万之助《せきまんのすけ》」  という。  これまで、黒田庄三郎と決闘の約束を取りつけたのは、関万之助の代理の者たちであって、そのときから今日まで、黒田の身辺は、 「絶えず、見張られていた……」  ようである。  逃げられてはいかぬとおもったのであろう。それならば黒田を捕え、関万之助が到着するまで監禁しておけばよい。しかし、とても黒田を捕えることはむずかしい。 「逃げも隠れもいたさぬ。案じめさるな」  と、黒田庄三郎は苦笑をした。  代理の者たちも、これを受けいれぬわけにはまいらぬ。  ここは将軍家おひざもとの大江戸であって、他国の者たちが、むやみに血をながして争うべきところではない。  だが、関万之助と黒田庄三郎の決闘ならば、充分に釈明が立つ。  何となれば、関万之助は、 「父親の敵《かたき》を討つ……」  のだからである。  となれば、その父の敵は黒田|庄三郎《しょうざぶろう》ということになる。  そして黒田は、いさぎよく、万之助《まんのすけ》に、 「討たれてやる……」  決意をかためたわけだが、そこは剣士の意気地で、助太刀の三人だけには、 「負《ひ》けをとるまい」  と、いうのであった。 (それにしても、よくよく見込まれたものよ。鬼熊酒屋《おにくまざかや》で、たがいに数度、見かけただけなのにな……)  天王寺の前へさしかかった秋山小兵衛を、黒田庄三郎は暁闇《ぎょうあん》の中で早くもみとめ、立ちあがって近寄り、 「秋山先生。御苦労をおかけ申しまして……」  深ぶかと、頭を垂れた。      四  黒田庄三郎と秋山小兵衛が新堀長者の屋敷|址《あと》へ到着したとき、約束の時刻には、まだ、間《ま》があった。  暁闇が、 「薄紙を剥《は》ぐように……」  明るみを増してきつつあった。  黒い闇が、桔梗色《ききょういろ》に変じ、物のかたちが少しずつ見えてくる。  木立の外の道に、決闘の身仕度をした侍が一人、見張りに立っていて、黒田と小兵衛の姿をみとめるや、 「来た」  低く叫び、木立の中の原へ駆け込んで行った。 「あれが助太刀か、黒田殿」 「はい」  二人が新堀長者の屋敷址へ入って行くと、関万之助らしい若者が、三人の侍にまもられ、歩み寄って来た。  約三|間《げん》の距離をへだてて、双方が、ぴたりと足をとめた。 「関万之助殿か。黒田庄三郎でござる」  と、黒田が、むしろ冷ややかな口調で、 「ようも成人なされた」  万之助はこたえず、羽織をぬぎ捨てた。  襷《たすき》・鉢巻《はちまき》・裁着《たっつけ》の袴《はかま》に身をかためた十九歳の関万之助は、父の敵《かたき》を目の前にして逸《はや》っている。むり[#「むり」に傍点]もないところであろう。 「拙者に附きそうて下されたのは秋山小兵衛先生でござる。念のために申しあげておこう。秋山先生は助太刀ではない。今日の始終をお見とどけ下さるのみである」  黒田庄三郎が、相手の四人へそういってから、小兵衛に、 「よろしゅう御願いつかまつる」 「うむ……」  うなずいた秋山小兵衛は、黒田から、さらに三間ほど身を退《の》けた。 「父の敵、黒田庄三郎!!」  呼びかけた関万之助が、一歩|退《しさ》るや、大刀を抜きはらった。  天王寺の鐘楼《しょうろう》から、明け六ツの鐘が鳴りはじめたのはこのときであった。  助太刀の三人も、いっせいに抜きはらった。 「よろしいのか……?」  念を入れておいて、黒田庄三郎がしずかに大刀の柄《つか》へ手をかけた。  そのとき……。  大気を引き裂き、疾《はし》ってきた二条の矢が黒田の胸のあたりへ突き立った。 「あっ……」  黒田庄三郎にとって、この奇襲は、おもいもかけぬことだったといえよう。  さすがの秋山小兵衛も、これに気づかなかった。  小兵衛は、ここへ着くまでの間の途々《みちみち》にも、あたりに伏兵が潜んでいるかどうかに気をつけていたし、木立をぬけ、新堀長者の屋敷址へ足を踏み入れてからも油断はしていなかった。  おそらく、黒田にしても同様であったろう。  だが……。  前夜のうちに此処《ここ》へ潜行し、彼方《かなた》の崩れかけた土蔵の屋根に伏せていた二人が、弓矢を射かけてこようとはおもわなかった。 「むう……」  よろめいた黒田庄三郎へ、三人の助太刀が殺到するのと、関万之助が土蔵の方へ振り向き、 「何をする!!」  怒号したのとが同時であった。  つぎの瞬間には……。  二条の矢が、秋山小兵衛へ襲いかかった。  しかし、これはもう手遅れである。  はじめに射込まれたなら、おそらく小兵衛も胸に矢を受けていたろうが、土蔵の屋根の射手《いて》は黒田へ射かけてから、新しい矢を弓に番《つが》えて小兵衛をねらった。  これでは秋山小兵衛ほどの名人を殪《たお》すことはできない。  黒田庄三郎が矢をうけてよろめいたとき、小兵衛は黒田の背後から突風のごとく走り出た。  そして、黒田へ刀を打ち込もうとした助太刀の一人を、物もいわず、抜き打ちに斬《き》って捨てている。  黒田庄三郎は右手へ大きくよろめいて片膝《かたひざ》をついた。 「ぬ!!」  その黒田めがけて横なぐりに切りはらった助太刀の一人は、くび[#「くび」に傍点]をすくめた黒田に躱《かわ》され、 「くそ!!」  立ち直って刀を振りかぶり、黒田の頭上へ打ち込もうとした。  このとき、黒田庄三郎の腰間《ようかん》から愛刀が疾り出た。 「うわ……」  黒田の抜き打ちは、そやつの腹を切り割った。  同時に秋山小兵衛は三人目の助太刀を、事もなげに斬って殪している。 「な、何をする。何をする!! やめてくれ、やめてくれ!!」  叫びつつ、関万之助が大刀を放《ほう》り捨て、がっくりと倒れかかる黒田庄三郎へ走り寄った。  万之助は両手をひろげて黒田を庇《かば》い、土蔵の方へ向って、 「やめてくれ。やめろ、やめろ!!」  絶叫しつづけた。  土蔵の屋根の二人の侍が弓矢を捨てて、向う側へ飛び下りた。  それへ向って秋山小兵衛が疾走した。  土蔵の裏手の竹藪《たけやぶ》へ駆け込もうとする二人へ追いついた小兵衛が、 「おのれ!!」  怒りの声を投げつけざま、一人の腰のあたりを斬りはらった。 「ぎゃあっ……」  凄《すさ》まじい悲鳴を発し、そやつが転倒した。腰の骨を切り割られたらしい。血が噴出した。  見向きもせずに小兵衛が、竹藪へ逃げ込んだ残る一人を追った。  そやつは逃げきれぬとみて振り向き、刀を抜いたが、弓矢の見事な腕前にくらべて、こうしたときの剣のあつかいを知らぬ。  抜きはらった刀が竹の幹に当り、その衝撃だけで、 「あっ……」  刀を落してしまった。  そこへ、秋山小兵衛が肉薄した。 「あっ……ああっ……」  差し添えの脇差《わきざし》を抜き、恐怖の声をあげて無我夢中で振りまわしたが、どうにもならぬ。  ただの一太刀……。  小兵衛の一刀に頸部《けいぶ》の急所をはね切られて、最後の一人は竹藪の中へ崩れ伏したのである。  大刀にぬぐい[#「ぬぐい」に傍点]をかけ、鞘《さや》へおさめた小兵衛がもどって来たとき、 「おゆるし下され……おゆるし……」  と、泣き叫びつつ、黒田庄三郎の躰《からだ》を抱きしめている関万之助を見た。  すでに黒田庄三郎は、息絶えている。  黒田が息絶える直前に、万之助に何かいいのこしたかどうか、それは小兵衛も知らぬ。  草原には血の匂《にお》いがたちこめていた。 「関万之助殿とやら、よう、お聞きなされ」  と、小兵衛がいい出た。 「この原へ入って来た八人のうちに、生き残ったのは、おぬしとわしの二人のみじゃ。わしはな、いまのこのことを今日かぎり、いっさい忘れ果てることにしよう。よろしいか。しか[#「しか」に傍点]と聞きなされよ。おぬしはな、この場において、父の敵、黒田庄三郎を討ち取った。それに相違ない。わかりましたな」  小兵衛は脇差を抜き、黒田庄三郎の髪を少し切り取り、懐紙に包んでふところへおさめた。  関万之助は、茫然《ぼうぜん》と小兵衛を見たまま、声も出なくなっている。 「さらば……」  と、小兵衛が万之助へ、 「二度と会うこともござるまい。立派な人におなりなされよ」  いうや、身を返して屋敷址から立ち去って行った。  朝の光りが、惨憺《さんたん》たる長者屋敷址の現場を浮きあがらせている。  黒田庄三郎の死顔は、あくまでも清らかであった。      五 「このことはな、だれにも口外すまいとおもうたが……お前にだけは洩《も》らしてもよいとおもう。お前も剣客《けんかく》の一人として、のちのちのためになろうとおもうからじゃ」  翌々日の午後、隠宅へ立ち寄った息《そく》・大治郎へ、秋山小兵衛が語りはじめた。 「黒田|庄三郎《しょうざぶろう》や関|万之助《まんのすけ》が、どこの大名の家来だったか、そんなことはどうでもよい。ある国持ち大名というだけでよいわえ。そしてな、万之助の父・関|源兵衛《げんべえ》を討ったのは……実は、黒田庄三郎ではないのじゃ」 「何と申されます……?」 「ま、聞くがよい。その大名家は、むかしから武術のさかんなところでな。殿様が参観《さんきん》を終え、江戸から国許《くにもと》へ帰った年には、かならず藩士たちの御前試合がおこなわれる……と、こう聞けば大治郎、その藩名におもい当ろう、どうじゃ」 「わかるような気がいたします」 「争いの原因《もと》は、この御前試合にあったのじゃ」 「はあ……?」 「いまより、十年ほど前らしいが、御前試合の審判は、例によって、藩の剣術指南をつとめている黒田庄三郎がつとめたわけじゃ」  試合の最後は、関万之助の父・源兵衛と、堀井百蔵《ほりいひゃくぞう》との立ち合いであった。  二人とも、藩中に聞こえた遣い手である。  そして勝負は、堀井百蔵の勝ちとなった。 「それは、まことに際《きわ》どい勝負であったらしいが、黒田庄三郎は、おのが信念をもって堀井百蔵に軍配をあげたわけじゃ」 「なるほど」 「ところが、関源兵衛は、黒田の判定に不満でのう。武術のさかんな藩だけに、この判定をめぐって、双方の勝ちを唱えてやまぬ藩士たちも多く、ことに関源兵衛は中条流の遣い手であり、堀井百蔵は黒田庄三郎同様に一刀流の剣士とあって、双方の流儀のちがいもあってか、黒田にしてみればおもいもかけぬ騒ぎになったらしいのう」  大治郎は、息をのんで父の老顔を見まもっている。 「あまりに騒がしくなり、これが殿様や重役方の耳へ聞こえたりしたら、面倒になるとおもった黒田庄三郎は、当の関・堀井の両名を城下外れの丘へ呼び出し、自分の判定について語り、合わせて両人を説き、和解させることにしたのじゃ」  黒田は二人のみを呼び出したのだが、それぞれの勝ちを支持し、主張する藩士が二名ずつ、関と堀井に付きそって来たのである。  これが、いけなかった。  しだいに双方が昂奮《こうふん》し、殺気立ちはじめた。 「それにな、勝った堀井百蔵は黒田庄三郎の愛弟子《まなでし》であったゆえ、事が面倒になったらしい。申すまでもなく、黒田は愛弟子ゆえの依怙贔屓《えこひいき》をしたのではないが……」  そして、ついに……。  激昂した関派の一人が、堀井百蔵へ斬《き》りつけた。  これがきっかけ[#「きっかけ」に傍点]となり、黒田にしてみれば、 (おもいもかけぬ……)  惨劇が、展開することになってしまったのだ。  さすがの黒田も、これを押しとどめることはできぬ。  また、黒田へも斬りかかる藩士もいて、 「やむを得ず……」  黒田も、抜刀して闘わざるを得なかった。  このときの決闘で、生き残ったのは黒田庄三郎一人であった。  いかに激烈な斬り合いであったかが知れよう。 「それがしが未熟ゆえに、双方を取り鎮《しず》めることができませなんだ……」  と、黒田は小兵衛に語ったそうな。  当時、黒田庄三郎は三十五、六歳であったろう。まだ妻帯をしておらず、したがって子も無かった。  黒田は、その場から城下を出奔した。  黒田庄三郎の前身は、三河の国・西尾の浪人で、二十五歳の折に、亡父・黒田|瀬兵衛《せへえ》の友人の世話で、その大名家へ仕官が適《かな》った。いわば新参の家来であり、それだけに黒田は、その場で切腹をする気にもなれなかった。  まことに、おろかなはなしではある。  審判が信念をもって判定を下した勝負に、異論を唱え、果ては同じ藩中の士《もの》どうしが主人も忘れ家族も忘れて殺し合うなどとは、黒田にいわせるなら、 「狂気の沙汰《さた》……」  であって、自分も、その中の狂人の一人に数えられてはたまったものではない。  出奔後、黒田は二人の重役にあてて、事件の模様をくわしく書き送ったが、その手紙がどのように処理されたかは、いまもってわからぬ。  黒田は、この決闘において、やむなく斬り合って相手を傷つけはしたが、一人も殺害していないという。  関源兵衛を斬り殪《たお》したのは、他ならぬ堀井百蔵であった。  それまでに二人とも、乱闘のうちに数|創《そう》を受けていたし、堀井は関を殪したのち、他の藩士から致命の一刀を腹に受けて死んだ。  黒田庄三郎も、五ヶ所の手傷を負ったほどなのである。  黒田が江戸で住み暮すようになったのは、一昨年の春ごろからだそうな。  そのころ、黒田庄三郎は、関源兵衛の遺子・万之助が自分を父の敵《かたき》として、探しまわっていることを耳にした。  これで、あの事件が藩庁によって、どのように始末されたか、おぼろげながら、 「わかるようなおもいがいたしました」  と、黒田は小兵衛に洩らした。 「そのときから黒田は、万之助に討たれるつもりでいたのだろう。むしろ、こちらから相手方へ連絡《つなぎ》をつけるようにしたとおもわれるふし[#「ふし」に傍点]がある」 「つまりは、自分の愛弟子も死んでしまったので、その代りに討たれてやろうと、あわれみ[#「あわれみ」に傍点]をかけたという……?」  と、大治郎は納得がゆきかねる面《おも》もちである。 「あわれみ……そうさ。まあ、あわれみにはちがいない」 「………?」 「わが子へのあわれみ……父親としてのな」 「わが子ですと?」 「関万之助は、黒田庄三郎の子じゃそうな」 「え……?」 「このことは、だれも知らぬ。おそらく、万之助は母親に似た顔《おも》だちであったのだろうよ。斬死《ざんし》をした関源兵衛も万之助を自分の子と信じてうたがわなかったらしい」 「それは父上、どういうことなのです?」 「万之助の母親は、それ、黒田庄三郎の子を身ごもった躰《からだ》で、何くわぬ顔をして関源兵衛の妻になったということじゃよ」 「それは、どのような……?」 「はて、そこまでは、わしも知らぬわえ。黒田もまた語ろうとはしなかったが、いろいろに、おもいめぐらすことはできる。大治郎。剣術遣いなぞというものはな、きびしい修行をつづけ、堪えぬいてきているだけに、世間には疎《うと》いものよ。ことに男女の事となると、おもわぬ失敗《しくじり》をしてのける。それが証拠に、このわしを見よ。いい年をして、孫のような女に居据《いす》わられてしもうて……」  いいさしたとき、浅草・駒形《こまかた》の〔元長《もとちょう》〕まで魚を取りに行ったおはる[#「おはる」に傍点]が堤の道を下りて来て、 「あれ、若先生。来ていなすったかね」  声をかけてよこし、小兵衛に、 「いい魚《の》をもらって来ましたよう」  魚介の入った竹籠《たけかご》を見せながら、裏手へまわって行った。 「父上……」 「む?」 「孫のような女も、悪くはないようですな」  小兵衛はこたえず、鼻で笑った。  風が起り、堤の下の木立の葉が音をたてて落ちはじめた。  大川をすべって行く船の艫《ろ》の音が、いや[#「いや」に傍点]にはっきりと聞こえてくる。  眉《まゆ》をひそめた秋山小兵衛が、 「昨日、な……」 「はい」 「黒田庄三郎が住んでいた深川の釣《つり》道具屋へ行ってみた。そこの亭主は、黒田が旅に出たとおもいこんでいるようじゃ」 「それで?」 「わしは猫《ねこ》を見に行ったのじゃよ。黒田が飼っていた黒猫を、な」 「………?」  そのとき、台所で、おはるの声がした。  だれかにはなしかけているらしい。  大治郎は、だれかが裏手へ訪ねて来たのだとおもったが、そうではなかった。  妙に、しわがれた猫の鳴き声が聞こえたのである。 「父上。あれが……?」 「黒兵衛《くろべえ》じゃ」 「猫の名で?」 「黒田がつけた名じゃよ。黒田の知り人だというて、釣道具屋から、もらい受けてきた。どうやら居ついてくれそうじゃ」 「猫は居つかぬものと申しますが……」 「ほれ、いま奥の仏壇の前に置いてある黒田庄三郎の髪の毛をな、先《ま》ず、黒兵衛に嗅《か》がせてみたのじゃ。そうしたら、髪の毛の傍《そば》に凝《じっ》とうずくまり、うごこうともしなかったわえ」 「そうしたものでしょうか?」 「猫も人も、同じ生きものさ、黒兵衛が、この家の暮しに慣れたなら、黒田の髪の毛は本性寺の墓地に埋めてやろうよ。な、大治郎……」 「はい……」  それにしても、味方の卑劣な奇襲を知っておどろき、 「やめてくれ、やめてくれ!!」  と、絶叫しつつ、刀を捨てて黒田庄三郎を庇《かば》ったときの、関万之助の顔を、姿を、秋山小兵衛は忘れかねている。  いうまでもなく万之助は、黒田が実の父親だと知っていなかったはずだ。  実父とおもいこんでいる関源兵衛の敵・黒田庄三郎を憎み、討ち果すべくあらわれた万之助が、あのように切なげな烈《はげ》しい言動で、黒田を庇おうとしたのは、万之助にもだれにもわからぬ父子《おやこ》の血のつながりがそうさせたのではないか……。 (万之助は、あれから、どうしたろうか……?)  小兵衛は両眼《りょうめ》を閉じ、ふかいふかい嘆息を洩《も》らしたのである。     冬木立  陰暦十一月(現・十二月)も半ばをすぎたというのに、めずらしい雷雨となった。 (そうじゃ、あのときも雷が、ひどく鳴っていた……)  秋山|小兵衛《こへえ》は、この三年の間に、すっかり忘れてしまっていた或《あ》る娘のことを稲妻の閃光《せんこう》と共におもい出したのである。  娘というよりも、むしろ、少女といったほうがよかったろう。 (もっとも三年の間に、あの少《こ》女も、すっかり娘らしくなっているだろうな……)  そして、帰りに立ち寄って見ようとおもい立った。  ところも同じ深川の雷雨が、小兵衛の連想をよび、あの少女のことをおもい出させたのであろう。  もしも、この日。小兵衛が深川へ足を向けなかったら、二度と少女の顔を見ることもなかったろうし、したがって、この事件は闇《やみ》の底で、もっとちがった結末をとげ、だれの目にも耳にもふれることなく、消え果ててしまったろう。  さて……。  この日の昼すぎに、秋山小兵衛は親密の間柄《あいだがら》である町医者・小川|宗哲《そうてつ》を駕籠《かご》に乗せ、みずからこれにつきそって深川へあらわれた。  というのは、かの鰻売《うなぎう》りの又六の母親おみね[#「おみね」に傍点]が、重い病気にかかって寝込んでいると聞いたからだ。 「どうも、はかばかしくねえのですよ、大《おお》先生。近くの医者さまに診せているですが、どうも、たよりねえので……」  と、魚介をみやげにして鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ、久しぶりに顔を見せた又六が、おもいあまったようにいい出たものだから、小兵衛が、 「そういうことを何故《なぜ》早く、わしにいわぬのじゃ」 「よけいな心配をかけても、いけねえとおもって……」 「ばかもの。遠慮にも程がある。よし、わしにまかせておけ」  すぐさま、本所《ほんじょ》・亀沢町《かめざわちょう》の小川宗哲にたのみ、深川・島田町の長屋に住む母子《おやこ》を訪ねた。  おみねの診察を終えた宗哲は、にこにこしながら、 「危なかったのう。もう半月も、わしの診たてが遅れたら、この世からおさらばになっていたろう。じゃが、何とか癒《なお》してみせよう。そのかわり、わしのいうことをよくよく聞いてくれなくてはいかぬぞ、よいかな。お前さんはな、長年にわたって働きすぎた、その疲れが溜《た》まりに溜まってしまったのじゃ。さようさ、半年も、のんびりと躰《からだ》をやすめるつもりでいなさい。そのかわり、この病気が癒ると長生きをすることになるぞ」  先《ま》ず、よかった。  回診に忙しい宗哲を待たせておいた駕籠に乗せ、見送った後で、小兵衛は又六の病母の愚痴を聞いてやったりした。  おみねは、いつまでたっても、 「又六の身が、かたまらない……」  ことを、喘《あえ》ぎながら嘆くのである。 「いくらいってきかせても、その気にならないんでございますよ。ですから先生。私が、こんな病《やまい》にかかってしまうんでございます」  又六は知らぬ顔で、台所にいる。  そのうちに、雷雨となった。 「ないことではないが、冬の雷を聞くのは何年ぶりかのう」  雨の量は少なかった。  雷雨が去ると、ぬぐったような初冬の午後の空が、穏やかに晴れわたってきた。 「又六。薬をもらいに行くのを忘れるなよ」 「あれ、大先生を送りがてらとおもっているですよ」 「わしはな、ちょ[#「ちょ」に傍点]とおもいついた用事があるので、他へまわる」 「さようですか」 「うむ。おっ母《か》さん。病気のときはな、気を楽にもって、こうっと、山の上から下の景色を見おろすような心持ちでいるがよい。もう大丈夫。又六の嫁は、わしがきっと見つけてやろう」 「ほ、ほんとうでございますか……」 「ああ、ほんとうとも」  すると、又六が、 「大先生。つまらねえことを、おふくろに約束しねえで下せえ」  あわてて、小兵衛の袖《そで》を引いた。 「又六。お前まさか、股《また》の間が空《から》っぽではないのだろうな。え……?」 「じょ、冗談いわねえで下せえよ」      一  秋山小兵衛が、その少女をはじめて見たのは、三年前の夏であった。  当日、ひとりで富岡|八幡宮《はちまんぐう》へ参詣《さんけい》に来た小兵衛が、仙台堀《せんだいぼり》沿いの道を歩んでいたとき、突然、雷雨となったのである。  深川へ来るときは、いつも、おはる[#「おはる」に傍点]の舟を利用するわけだし、このあたりは、めったに通ったこともなかった。 「これは、いかぬ」  激しい雨に叩《たた》かれた小兵衛は、最寄《もよ》りの飯屋へ飛び込んだ。  たしか、〔相模屋《さがみや》〕という小体《こてい》な飯屋で、 「ひどい目に合った……」  と、入って来た小兵衛を、店の小女《こおんな》が、 「あれまあ、こんなに濡《ぬ》れなすって……」  抱きかかえるようにして入れ込み[#「入れ込み」に傍点]の上り框《がまち》へかけさせ、乾いた手ぬぐいで着物をふいたり、足を洗ったりしてくれた。  可愛《かわい》らしい鼻のあたまへ汗を滲《にじ》ませた小女の懸命な仕ぐさには、いかにも真情があふれていた。  自分を単なる老人とおもいこみ、その老体をいたわろうとする小女の気もちが、はっきりと小兵衛につたわってきた。 (ふうむ……はじめて、わしの道場へ奉公に来たときの、おはるそのままじゃ)  このことである。 (江戸へ出て来て、間もないな……)  と、小兵衛は看《み》た。  年齢《とし》のころは、十六か七であったろう。  どこやらの国の土の香りが、汐風《しおかぜ》の匂《にお》いが、少女の澄みきった眸《ひとみ》や、赤い頬《ほお》からただよってくるようにおもえた。  帰りぎわに、小兵衛が、 「そっと、しまっておきなさい」  ささやいて、紙に包んだ〔こころづけ〕をわたそうとしたら、少女は強くかぶり[#「かぶり」に傍点]を振り、どうしても受け取らなかった。 「当り前のことをしたのに……」  受け取るいわれはないと、少女は無言のうちに、その眼の色で表現していたのである。  少女の、左の小鼻の傍《わき》に黒子《ほくろ》が一つあったのを、小兵衛はいまもおぼえている。 「お、ここじゃ」  やがて、目ざす相模屋の前に小兵衛は立った。 (この店のおはるは、元気でいるかな……)  目を細めつつ、小兵衛は飯屋の戸障子を引き開けた。  開けた途端に、 (はて……?)  小兵衛は、飯屋の内部の雰囲気《ふんいき》が、 (以前とは、まるでちがう……)  ことを感じた。  三年前の相模屋は、いかにも人の善さそうな老爺《ろうや》が亭主《あるじ》で、板場の男と共に庖丁《ほうちょう》を取り、小女が二人で客を切りまわしていたものだ。  客は、土地《ところ》の船頭や漁師・人足などで、そうした健康な労働者たちが安価に食べ、飲む店らしく、小兵衛が雨宿りに飛び込んだときは時分どきでもなく、客も三人ほどしかいなかったが、板場から顔をのぞかせる亭主にも、小女たちにも明るい活気がみなぎっていて、 (こりゃあ、よい店じゃ)  すぐに小兵衛は、そうおもったし、かの少女の純真な介抱ぶりに、すっかり満足した。  驟雨《しゅうう》が熄《や》んで、酒を二本ほどのんだ小兵衛が帰るさに、少女が送って出て、 「おじいさまよ。気をつけて行きなせえよう」  気づかわしげに、声をかけてくれたのであった。  そして、小兵衛が仙台堀に架かる海辺橋へさしかかって振り向いて見ると、少女はまだ道に立ってい、小兵衛に手を振って見せたものである。  三年後のいま、相模屋の中へ入った秋山小兵衛は店の中の何処《どこ》にも、あの少女を見出《みいだ》すことができなかった。  もとより、気のきいた店ではなかったが、当時は土間も入れ込みにも塵《ちり》ひとつなく清められていた。それが、何やら汚れた空気やら臭気やらが澱《よど》んでい、入れ込みの隅《すみ》に、見るから人相のよくない二人の男が酒をのんでいるのみだ。  男たちは、入って来た小兵衛をじろり[#「じろり」に傍点]と見て、そのまま鋭い視線をはなそうとはせぬ。  板場の向うは、まるで人の気配もないように暗かったし、物音ひとつ聞こえない。 (妙な店になったものじゃ)  小兵衛の胸に、不安が掠《かす》めた。  入れ込みに敷きつめてある赤茶けた薄縁《うすべり》の上に、欠け茶碗《ぢゃわん》が一つ、ころがっている。 (あの娘《こ》は、どうなってしまったのか……?)  ともかくも入れ込みへあがった小兵衛が威勢よく、 「おい、だれかいないのかえ?」  声をかけるや、二人の男のうちの一人が、 「爺《じい》さんは、何しに来たのだ?」  と、いった。  脇差《わきざし》一つを腰にしてはいるが、杖《つえ》をついた小柄な老人が、この店へ入って来たのを彼らは不審におもっているらしい。 「酒をのみに来た。それが、おかしいか?」 「何だと……」  すると別の一人が、 「ま、いいやな」  押しとどめて、小兵衛に、 「それじゃあ、客か?」 「そういうことになるだろうな」 「ふうん……」  そやつが板場の方へ、 「おい、おい。客だとよ」  声を投げた。  板場の中で、人のうごく気配がした。  ついで、 「客なんかいらないよ。追い出しちまえ」  投げやりな声が返ってきた。女の声である。口調こそ、まったくちがっているが小兵衛の耳は、その声をわずかに記憶にとどめていた。 「これ、そこの娘さん。お前さんの小鼻の傍に黒子が一つ、あるかえ?」  小兵衛が大声にいった。  女の返事はなかったが、入れ込みの二人の男が急に立ちあがり、 「この爺《じじ》い。どこのどいつだ?」 「何しに来やがった」  凄《すご》い顔つきになり、小兵衛へ迫って来た。 「よけいなお世話じゃ」 「何だと!!」  小兵衛の胸倉《むなぐら》をつかんだ男の躰《からだ》が宙に浮き、土間へ叩きつけられた。 「や、や、野郎……」  飛び退《しさ》って、ふところから短刀《あいくち》を引きぬいた別の男の鼻柱へ、小兵衛が投げた欠け茶碗が命中し、男は悲鳴をあげてよろめいた。  二人とも度肝をぬかれたらしく、這《ほ》う這《ほ》うの体《てい》で外へ逃げ去った。  板場の暗がりから人影が一つ、浮いて出た。  洗い髪のままの女だ。  薄暗い店の中で、その顔は判然としなかったけれども、小兵衛の鍛えぬかれた目は女の小鼻の傍の大きな黒子を見逃さなかった。 (これが、あのときの……)  さすがの小兵衛も、息をのんだ。  三年前に十六、七と看たのだから、いまは二十《はたち》になっているやも知れぬ。  だが女は、すっかり窶《やつ》れて、十も十五も老《ふ》けて見えた。  しわがれた声で、女がいった。 「年寄りのくせに、よけいなまね[#「まね」に傍点]をするじゃあないかよ」 「いけなかったかえ?」 「出て行きな。行かないと、ひどい目に合うからよ」  抑揚のない、冷えた声であった。 「お前、わしの顔に見おぼえがないか、どうじゃ?」 「何だって……」 「ほれ、三年前に雨やどりをさせてもらった爺《じじ》いだよ」  二、三歩、近寄った小兵衛を凝《じっ》と見つめ、女は黙った。 「む、どうじゃ?」  女は、こたえぬ。 「見忘れたかえ?」  さらに近寄ろうとする小兵衛へ、女が切りつけるように、 「知らないよ。早く帰んな」  女は、身をひるがえして板場へ消えた。  その後から小兵衛が板場へ入ってみると、女は、もう何処かに消えている。  裏の戸が開いたままになってい、夕暮れの淡い光りが板場へながれ込んできた。  魚介も野菜もなく、火の気も絶えた板場なのだ。 (こんなことが、あるものだろうか……)  小兵衛は、三年前の印象をもてあましはじめ、さりとて捨て去る気にもなれなかった。      二  それから四半刻《しはんとき》(三十分)もせぬうちに、四人の男が相模屋《さがみや》の裏と表から入って来た。  先刻、秋山小兵衛に痛めつけられた二人は、表の戸障子を開け放したまま逃げた。  その表の戸も裏の戸も閉められていたのは、小兵衛が去ったことになる……と、四人の男は看《み》て取った。 「爺いめ、逃げてしめえやがった……」  一間《ひとま》きりしかない二階をあらためて来た男が、 「どこにもいねえぜ。畜生め。とんでもねえ爺いだ」 「ありゃあ、天狗《てんぐ》が化けて出たのじゃあねえか」  と、別の一人がいった。  先刻、逃げ去った二人である。  あとの二人のうちの一人は、三十がらみの浪人で、身なりも悪くなく、見上げるほどに背丈が高い。 「お前ら、冷酒《ひやざけ》をのみすぎて、夢でも見たのではないか……」  そういって、浪人が笑い出した。 「いや、そうじゃあねえ。夢なんかではねえよ、先生」 「ふ、ふん……」  そのとき、浪人のうしろにいた男が、 「おきみ[#「おきみ」に傍点]のやつ、何処《どこ》へ行きやあがったのだ。まさか、その天狗の化けものに引っ攫《さら》われたのではねえだろうな……」  と、いい出た。  小肥《こぶと》りの、この男の顔を小兵衛は知らぬが、以前に相模屋の客だった連中が見れば、すぐにわかる。  その常連たちの足は、もう二年前から遠ざかっているのだ。  当時、相模屋の亭主の伊之助《いのすけ》といっしょに板場ではたらいていた竹造という料理人であった。 「そうだ、そのことよ」 「どうします、先生……?」 「ま、その前に冷酒《ひやざけ》を一杯、のませてくれ」  竹造が茶碗《ちゃわん》に汲《く》んで出した酒を、浪人は一気に呷《あお》りつけて、 「こいつは竹造。元締にいっておいたほうがいいだろう」 「元締に……そ、そんなことはできませんよ。そいつはいけねえ」 「だがな、おきみの行方が知れぬというのでは、こいつ、危ねえぞ」 「いけねえ。そ、そいつはいけねえ」 「こんなことになるのも、きさまが、だらしがないからだ。元締も、ちかごろは顔を顰《しか》めていなさるぞ」  低いが、きびしい浪人の声に、竹造は蒼白《そうはく》となり、ふるえ出した。  まだ三十には間がある竹造は以前にくらべると贅肉《ぜいにく》がつき、顔色も冴《さ》えぬが、女好きのするいい男[#「いい男」に傍点]だ。 「おい、お前たち……」  浪人は、二人の無頼どもにいった。 「二人して、ここにいろ。もしも女が帰ってきたら、すぐに元締のところへ知らせに来い」 「でも、先生……あの爺いが来たら、どうします?」 「やっつけろ。引っ捕えて連れて来い」 「とんでもねえ。それができるくらいなら、何もこうして先生に、お運びねがやあしませんよ」 「ばか。いいかげんにしろ」  怒鳴りつけておいて浪人が、竹造へ、 「さ、いっしょに来い」 「せ、先生……」 「来いといったら来るのだ」  浪人は立ちあがりざま、いきなり、竹造の腕を掴《つか》んだ。  竹造は恐怖のあまり、自分でもおもいがけぬことをした。  浪人の手を振りはらい、逃げようとしたのである。 「こいつめ!!」  二人の無頼どもに退路を絶たれ、追いすがった浪人に襟髪《えりがみ》を引きつかまれ、たちまち竹造は押え込まれてしまった。 「きさま、二度と、こんなまね[#「まね」に傍点]をするなよ。それでないと斬《き》る」  浪人に一喝《いっかつ》され、竹造は崩れるように土間へ坐《すわ》り込んだ。 「立て。立たぬか!!」  二人の男が竹造を引き起し、 「竹造。気が狂ったのか……」 「先生だからよかったんだぜ。しっかりしねえか」 「う……」  よろめいて立ちあがった竹造の右腕を、浪人が掻《か》い込むようにして、 「さ、出ろ。出ぬか」 「へ、へい……」  浪人と竹造は、表の戸口から外へ出て行った。  夜風が戸障子を鳴らしている。 「う、う……いやに冷え込んできやがったぜ」 「おい。灯《あか》りをつけねえか」 「よしきた」 「それにしても、おい。あの女《あま》あ、ほんとに何処へ行っちまったんだろ」 「だからよ。天狗に……」  いいさしたとき、裏手で物音がした。裏の戸が外から開いたのである。  二人の男は、一瞬、竦《すく》みあがった。  天狗の爺いが、もどって来たとおもったのであろうか……。 「あっ……おきみじゃあねえか」 「ど、何処へ行ってたんだ、畜生。心配させやがって……」  その心配というのは、おきみそのもの[#「そのもの」に傍点]へではなく、おきみが行方知れずとなったとき、自分たちや竹造の身にふりかかる災難に対してのものであった。  裏口から、蹌踉《そうろう》として板場へ入って来たおきみへ、二人が飛びかかり、撲《なぐ》りつけた。 「やい。あの爺いは、あれからどうした?」 「知らない……」 「何だと!!」 「私、外へ出ちまったから、知らない」 「逃げたのか、ええ?」  すこし間を置いてから、おきみが、 「ああ……」  微《かす》かにうなずいて見せた。  男たちは顔を見合せたが、 「よし。いっしょに来い」 「どこへ?」 「どこへでもいい」 「私の所為《せい》じゃない、私の所為じゃない……」  と、おきみが呻《うめ》くがごとくいった。 「わかっているってことよ」  男のひとりが面倒くさそうに、おきみの腕をつかみ、 「あの爺いを、お前、知っていたのか?」 「知らない……」 「だがよ、あの天狗爺いは、お前の、その鼻のところの黒子《ほくろ》をいいあてたぜ」 「…………」 「やっぱり、お前、知っていたのだな」 「し、知らない、知らない、知らない……」 「どこのどいつだ、あの爺いは……」 「よせ」  と、別の男が、 「そんなことは元締がお調べなさることだ。早く、この女を引っ立てて行こう」 「よしきた」 「いやだ。いやだよ、いやだ」  おきみは叫び、またも裏口から飛び出そうとしたが、どうにもならなかった。  たちまちに二人の男につかまって、撲りつけられた。  板場へ転倒したおきみを、男が蹴《け》りつけようとした。  そのときである。 「いいかげんにせぬか!!」  突如、二階への梯子段《はしごだん》のあたりから雷《いかずち》のような叱咤《しった》が飛んできた。 「うわ……」 「い、いけねえ、逃げろ」  秋山小兵衛が、何と二階から降りて来たのである。 「おのれら、わしが壁に貼《は》りついていたのがわからなかったか。その二つの眼玉《めだま》を何のためにつけているのじゃ、ばかものめ」  二人は、おきみを捨てて物もいわずに板場を飛び出し、表口から外へ逃げ去った。  同時に、おきみも裏口から逃げようとした。  それへ、小兵衛が走り寄ったかと見る間に、 「むうん……」  おきみが、ぐったりと倒れ伏した。  小兵衛が軽い当身《あてみ》をくわせたのだ。 「どうやら、お前は、ひどい目に合っているらしい」  秋山小兵衛は、気を失ったおきみの躰《からだ》を担《かつ》ぎあげて、 「軽くなってしまったのう」  つぶやいた小兵衛の脳裡《のうり》に、三年前の、小柄《こがら》だが脹《は》ち切れんばかりの肉置《ししお》きをもっていた、おきみの姿が浮かんだ。  月もない暗夜の裏手へ、おきみを担いだ小兵衛が消え去った。      三  相模屋《さがみや》からも程近い相生《あいおい》橋・西詰《にしづめ》を南へ曲がったところに〔伊豆政《いずまさ》〕という船宿がある。  亭主の亀五郎《かめごろう》は、秋山小兵衛がなじみ[#「なじみ」に傍点]の料亭〔不二楼《ふじろう》〕へ以前から出入りをしている関係で、小兵衛とは顔見知りの間柄であった。  おきみ[#「おきみ」に傍点]を担《かつ》いで相模屋をはなれた小兵衛は、この伊豆政へあらわれ、 「これ、すまぬが、舟を出してくれぬか」 「おや、秋山先生じゃあございませんか。どうなすったので?」 「女を一匹、攫《さら》ってきたわえ。舟で道行《みちゆき》としゃれこもうというわけさ」 「へえ……こいつはまあ、いったい、どういう……」  小兵衛が肩から下したおきみを見やった亀五郎が、 「おや……こいつは、あの、相模屋の女房じゃあ……」 「知っているのか?」 「見たことはございます」 「なるほど。同じ土地《ところ》の、それも、此処《ここ》から相模屋までは、さして遠くはない」  おきみは、まだ気を失っている。 「先生。相模屋で何かあったのでございますか?」 「まあ、な……ともかくも、早く舟をたのむ」 「鐘《かね》ヶ淵《ふち》の御宅《おたく》まででございますね」 「とんでもない、あそこにはわしの女房がいる。そんなところへ道行がなろうものかえ」 「御冗談を……」 「せがれの家へ連れて行くつもりなのじゃ。そうじゃ、あの相模屋のことで、お前、何か耳にはさんだことがあるかえ?」 「へえ、まあ、このあたりの人なみには……」 「それを聞きたいものだが、いまは、そうもなるまい。よし、明日にでも出直してこよう」 「先生。それなら私が、舟でお送りいたしますよ」 「おお、そうしておくれか」 「承知いたしました。おい、おい、辰《たつ》。舟の仕度はできたのか?」 「へい。ようござんす」 「それじゃあ、先生」 「あいよ」  船頭が、おきみを舟へ運び、亀五郎がつづいた。  舟着きまで送って出た亀五郎の女房は、むかし、不二楼の座敷女中をしていたお兼《かね》という女である。  いまは、浅草・駒形堂《こまかたどう》裏の〔元長《もとちょう》〕の女房になっているおもと[#「おもと」に傍点]が、 「お兼ねえさんには、ずいぶんと扱《しご》かれました」  と、いまもよくいうが、まことに男勝りの鉄火な女で、そのくせ、おもとが料理人の長次と夫婦になり、店を出したときは、自分で祝いにやって来て、 「おめでとう。しっかりおやりよ」  なんと、金五両もの大枚《たいまい》を祝儀《しゅうぎ》によこしたという。 「だから、それは、な……」  と、そのとき秋山小兵衛は、おもとにこういったものだ。 「お前が不二楼にいたとき、お兼が口うるさく扱いたというのは、お前に見所があるとおもえばこそだったのだろう。どうでもいいような相手なら、だれが好んで憎まれ役になるものか」  舟が仙台堀《せんだいぼり》から大川《おおかわ》(隅田《すみだ》川)へ出たとき、おきみが息を吹き返した。  すると小兵衛が、 「もうすこし、気楽にしておれ」  いうや、またしても当て落した。 「せ、先生。大丈夫なので……?」  と、亀五郎がいうのへ、 「生かすも殺すも、自由自在じゃ」 「これはどうも、恐れ入りました。私も、うち[#「うち」に傍点]の女房をこんなにやっつけられたら、どんなにいいか……」 「そんなに、お兼は凄《すご》いかえ?」 「どうにもなりません、へい」  苦笑いをする亀五郎に、 「それほど扱いにくい女房なら、いっそ別れてしまったらどうじゃ」 「とんでもないことで。そんなことをしたら殺されてしまいます」 「なぞといって、結構、のろけ[#「のろけ」に傍点]ているではないか」 「と、とんでもない」 「ときに亀五郎。相模屋のことだが……」 「へい、それが先生……」  一昨年の初夏のころであったが、相模屋へ強盗が入り、五十五歳になる亭主の伊之助《いのすけ》と小女《こおんな》のおみよ[#「おみよ」に傍点]が殺害され、いくらあったか知れぬが有金《ありがね》を盗まれ、犯人は逃走した。  もう一人の小女のおきみは、驚愕《きょうがく》のあまり気を失ったこともあって、生き残り、すでに帰宅していた料理人の竹造も難をまぬがれたのだそうな。 「その後がいけません。料理人の竹造が小女のおきみを女房にして、店の跡をついだのはいいのですが……なにしろ竹造というやつは、博奕《ばくち》と酒には目のない男らしゅうございましてね。竹造が相模屋の亭主になったとなると、やって来る客の筋が、がらりと変ってしまいました。柄のよくない、一目で、土地《ところ》にとぐろ[#「とぐろ」に傍点]を巻いている無頼《やくざ》どもが酒をのみに来るようになったもので、それまで相模屋をひいき[#「ひいき」に傍点]にしていた客の足が、ばったり跡絶《とだ》えてしまったそうでございますよ」  土地のうわさというのは、およそ、その程度のものらしかったが、 「なるほど……ふうむ……」  聞き入っていた秋山小兵衛には、得るところがあったらしい。 「よくわかった。ありがとうよ」  暗い川面《かわも》をすべる舟は、いつしか浅草の外れの橋場《はしば》へ近づいている。 「そうだな、そのあたりのどこへでも着けておくれ。いや、もうよい。この女は、わしが担いで行く」  橋場へ舟が着いたとき、おきみが息を吹き返し、またまた小兵衛が当て落した。 「むうん……」  微《かす》かに呻《うめ》いて失神したおきみをながめていた亀五郎が、 「便利重宝なものでございますねえ」 「わしがやるから、こんなこともできるのだ。うっかりとまね[#「まね」に傍点]するなよ」  舟からあがった小兵衛は、 「ありがとうよ」  亀五郎へ礼をいい、おきみを軽がると担いで、息《そく》・大治郎の家へ向った。 「だ、旦那《だんな》……」  と、船頭が、 「あの先生は、人間《ひと》でござんしょうかね……」 「人は人なんだが、お前、半分は天狗《てんぐ》さまらしい」  と、亀五郎がいった。      四  翌々日の夕暮れ近くなって、四谷《よつや》・伝馬町《てんまちょう》の御用聞き・弥七《やしち》が、手先の傘《かさ》屋の徳次郎と共に鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へあらわれた。  これは昨日、秋山小兵衛が使いをやって弥七に来てもらい、相模屋《さがみや》を、 「ひそかに、探って見てくれぬか」  と、たのんだので、すぐさま深川へ飛んで行ってくれたのである。 「このところ相模屋で、とぐろ[#「とぐろ」に傍点]を巻いていた連中は、深川の香具師《やし》の元締で、若松屋|文五郎《ぶんごろう》の手下だそうでございますよ」 「ほう……」 「深川の香具師の元締は二人おりまして、一人は佐賀町の平右衛門《へいえもん》、もう一人が若松屋なので。大《おお》先生も御存知ではございませんか、八幡《はちまん》さま門前の料理茶屋で……」 「おお、あの若松屋かえ」 「はい。そこの亭主におさまっております。何しろ若松屋文五郎は、深川の諸方の盛り場を縄張《なわば》りにして、蔭《かげ》へまわっては、ずいぶんと悪事をはたらいているようでございますが、土地《ところ》の御用聞きたちも迂闊《うかつ》に手が出せぬほどの顔役だと申します」  だが、深川随一の盛り場である富岡八幡宮一帯の縄張りは佐賀町の平右衛門が押えているそうで、 「この元締は、もう七十をこえているそうですが、古くから深川にいて、土地の評判もなかなかによく、それだけに若松屋もじりじり[#「じりじり」に傍点]しながら、何とかして八幡さまの縄張りを自分《おの》がものにしたいというので、裏へまわると双方が睨《にら》み合って大変なのだそうでございますよ」 「なある……」 「若松屋文五郎は料理人のほうの元締もしているらしく、相模屋の料理人の、その竹造という男も文五郎の口利《くちき》きで相模屋へ雇われたのだといいます」 「ははあ……」 「これは大先生。どうも臭《くそ》うございますね」  こういって弥七は、傘徳とうなずき合った。 「まあ、親分さんも徳さんも、御苦労さんでしたよう」  台所から酒肴《しゅこう》を運んであらわれたおはる[#「おはる」に傍点]が、 「すこし、燗《かん》が熱かったかね?」 「いえ、結構でございますよ」  小兵衛は、おはるの酌《しゃく》を受けた盃《さかずき》を口へ運びかけたが、そのまま膳《ぜん》の上へ置き、沈黙した。  実は昨夜……。  大治郎宅へ預けてあるおきみ[#「おきみ」に傍点]が、意外なことを告白したのだ。  一昨日の夜ふけから、おきみは大治郎宅にいるわけだが、当夜、小兵衛は橋場の船宿から舟を出させ、鐘ヶ淵へ帰った。  息を吹き返したおきみは、二度三度と逃亡をはかったが、どうなるものでもなかった。  大治郎もいるし、飯田粂太郎《いいだくめたろう》もいる。また二人が出て行ったあとも、留守居をするのは三冬であるから、これはもう、ただの女とちがう。  いかなおきみでも、秋山家の人びとが、 「徒者《ただもの》ではない……」  ことに気づき、絶望してしまったらしい。  昨夜、小兵衛が大治郎宅へ出向いて行き、おきみを道場へ引き出し、 「いつまで、隠しだてをするつもりなのじゃ」  威《いか》めしく極《き》めつけるや、 「こ、殺しました。殺してしめえましたよう」  たまりかねたかのごとく、おきみが泣声でいったものである。 「だれを殺した?」 「だ、旦那《だんな》さん……」 「なんじゃと……相模屋の亭主をか?」 「あいよう」  これは、小兵衛も意外のことであったといわねばなるまい。  一昨年の初夏の、その夜ふけ(といっても翌日の午前二時ごろ)に、店を仕舞ったあとで、おきみは相模屋の亭主の伊之助《いのすけ》に二階へよびつけられた。  料理人の竹造は、近くの裏長屋に独り暮しをしていて、すでに帰った後だ。  おきみとおみよ[#「おみよ」に傍点]の二人は店の入れ込みで眠り、二階の一間には、伊之助が眠る。五年前に古女房を亡《な》くし、子もない伊之助も独り暮しであった。  よびつけられたおきみは、寝酒に老顔を赤くした伊之助の眼《め》が異様に光っているのを見て本能的に逃げようとした。  伊之助が飛びかかり、おきみを押えつけた。  おきみは、必死で暴れまわった。  何度も伊之助に撲《なぐ》りつけられ、ほとんど気を失いかけながら下へ逃げた。伊之助が追って来て、入れ込みで押えつけられ、それをはね[#「はね」に傍点]退《の》けて板場へ逃げたおきみは、そこまでが限度であった。  重い伊之助の躰《からだ》にのしかかられ、そのまま気を失ってしまったのである。  気がついたとき、おきみは料理人の竹造に介抱されていた。 「おきみ。お前、とんでもねえことをしてくれたな」  と、竹造がいった。  おきみは右手に、血まみれの出刃庖丁《でばぼうちょう》をつかみしめていた。 「旦那を、突っ殺したのか……」  竹造にいわれて、おきみは茫然《ぼうぜん》となった。  まったく、おぼえのないことながら、無我夢中で抵抗したのだから、そういわれてみれば、 (そんな気もした……)  のである。  もう一人の小女のおみよは、おきみを犯そうとする伊之助を引き離そうとして、泣きわめいたので、 「旦那が、撲り殺してしまったらしいぜ」  と、竹造が蒼《あお》ざめた顔になってささやいた。 「よし、よし。心配《しんぺえ》するな。おれがうまくしてやる。若松屋の元締にたのんで、うまくはからってもらうから、安心しな。え、いいかい、安心をしていなよ。そ、そのかわり……そのかわり……」  板場の一隅《いちぐう》に薄縁《うすべり》を敷いた二坪ほどのところへ、おきみを抱きあげて運んだ竹造が、 「おらあな、前から、お前が好きだったんだよ。え、いいか、わかるか。だからよ、だから……」  竹造の両腕に抱きすくめられたとき、おきみはもう、逆らう気力も体力も消えつくしていた。  血のにおいがたちこめる板場で、おきみは竹造のするままになった。 「それがその、強盗が押し入って亭主と、もう一人の小女を殺し、有金を奪って逃げたということになったわけで?」  と、四谷の弥七。 「そうじゃよ。おきみは、すぐに気を失ったので殺されずにすんだというわけじゃ」 「その後、竹造がおきみと夫婦になり、若松屋の元締の後押しで、相模屋の亭主におさまったというわけでございますね」 「そのとおり」 「なるほど、こいつは……」 「弥七。いくらか読めてきたかえ」 「はい。それにしても大先生。その殺された相模屋の亭主というのは近辺でも評判のいいおやじだったらしいのに、いい年齢《とし》をして孫のようなおきみを手ごめにしかけたというのは、こいつ、どういうことなのでございましょうかね?」 「弥七……」 「はい?」 「耳の痛いことをいうではないか」 「え……?」 「わしだって……」  と、秋山小兵衛が、台所で庖丁の音をさせているおはるのほうへ顎《あご》をしゃくって見せ、 「わしも、あれ[#「あれ」に傍点]に手を出したとき、相模屋の亭主と同じ年ごろであったわえ」  弥七と傘徳が、あっ[#「あっ」に傍点]と口を開けたまま、返す言葉も出ない。 「お前たちは、若くていいのう」      五 「おきみ[#「おきみ」に傍点]の女《あま》、いってえ、何処《どこ》にいやがるんだ」 「お蔭《かげ》で、こっちは毎日毎晩、此処《ここ》に詰めていなけりゃあならねえ。たまったものではねえぜ」  相模屋《さがみや》の入れ込みで、無頼どもが二人、ぶつぶついいながら茶碗《ちゃわん》酒を呷《あお》っていた。  この二人は先日の無頼どもではない。あのときの二人よりは、もっと精悍《せいかん》な面《つら》がまえで、眼の光りも尋常ではない。  それに浪人が二人。これも入れ込みの一隅に火鉢《ひばち》を置き、寝そべって酒をのんでいる。  一人は先日の浪人で、いま一人はもっと若く、こやつも巨《おお》きな体躯《たいく》のもちぬしだ。  そしてもう一人、料理人の竹造が蒼《あお》い顔をして、板場から酒を運んだり、浪人たちへ酌をしたりしている。 「それにしても、奇妙な爺《じじ》いだ」  先日の浪人がつぶやいた。 「大場先生と拙者が、こうして此処におるときに、その老いぼれが出てくれば何のことはない。ただ一太刀で片づいてしまうのですがなあ」 「鈴木。そのとおりだ。だから若松屋の元締が、こうしておれたちを詰め切らせているのだろう」 「ですが、やって来ますかな?」 「ほかに手段《て》がないからな」  先日の無頼どもは、二人とも若松屋文五郎のいいつけで、毎日、血眼《ちまなこ》になって深川から本所《ほんじょ》・浅草一帯を探しまわっている。小兵衛とおきみを探しているのだ。 「爺いを見つけたら、今度こそ、見失うな。それでねえと、てめえたちの首が胴につながっていねえとおもえ」  と、若松屋は二人を威《おど》した。 「おきみが、うまく、逃げて来てくれるといいんですが……」  竹造が大場浪人へ酌をしながら、そういうのへ、 「きさま。ほんとうに見おぼえがないのか、その爺いに……」 「ござんせんよ、ほんとうなんで……」 「妙なこともあるものだ。まさか、きさまがやってのけたことが外へ洩《も》れることもないはずだが……」 「へい。おきみだって、てめえの手で、ここの亭主《おやじ》を突っ殺したと、いまだにおもい込んでいるんですから……」 「ともかくも、きさまが間抜けだから、こんなことになるのだ」 「へ……」 「ま、元締はびく[#「びく」に傍点]ともしていなさらぬから、よいようなものだが……」  そのとき、裏口から外へ小用をしに出て、もどって来た男が、 「先生。雪が降って来ましたぜ」 「そうか。初雪だな」  と、大場が鈴木へ、 「どうも冷え込みが強《きつ》いとおもった」  こういってから、竹造に、 「おい。熱い酒《の》を持って来い」 「へい」  腰をあげた竹造が、板場へ入ったとたんに、 「う……」  竦《すく》みあがった。  板場の土間に、秋山小兵衛がしゃがみ込んでいて、入って来た竹造へにやり[#「にやり」に傍点]と笑いかけたのである。  小兵衛は小用をしに裏手へ出て来た男のうしろへぴたり[#「ぴたり」に傍点]とついて、音もなく中へ入った。  男が裏の戸を閉めたときには、小さな小兵衛の躰《からだ》は土間の暗がりに伏せていたのだ。その素早い身のこなしには音もなく気配もなかったので、男はすこしも気づかず入れ込みへもどって、初雪が降りはじめたことを大場浪人へ告げたのであった。  竹造の手から二本の徳利が土間へ落ちて音を立てた。 「どうした、竹造」  大場の声がしたとき、小兵衛が颯《さっ》と立った。 「むうん……」  小兵衛の当身《あてみ》をくらって、竹造は其処《そこ》へ崩れ倒れた。 「おい、どうしたのだ?」 「竹造……」  入れ込みの四人が、板場の異常な物音に気づき、いっせいに立ちあがった。  その瞬間、竹造にはかまわずに板場から疾《はし》り出た小兵衛が、物もいわずに二人の無頼どもを峰打ちに叩《たた》き伏せ、 「ばかものめ」  大場と鈴木へ、ぺろりと舌を出して見せたかとおもうと、今度は表の戸を引き開け、外へ走り出た。 「おのれ!!」 「老いぼれ、待てい!!」  逆上し、激怒した二人の浪人は大刀を引き抜きざま、小兵衛の後を追った。  そのすぐ後で、裏口から入って来た四谷《よつや》の弥七《やしち》と傘《かさ》屋の徳次郎が、気絶している竹造を担《かつ》ぎあげ、裏手の闇《やみ》へ消え去った。  小道から仙台堀《せんだいぼり》沿いの道へ出た秋山小兵衛は、大刀をひっさげたまま悠々《ゆうゆう》として西へ歩んでいる。 「待てい!!」  猛然と追いすがった鈴木浪人が、小兵衛の背中へ大刀を叩きつけた。  鈴木は、 (やったぞ!!)  と、おもったろう。  ところが鈴木の大刀は闇と雪片《せっぺん》を切り払ったのみで、 「あっ……」  たたら[#「たたら」に傍点]を踏んで向き直ったときには、もう遅い。  小兵衛の峰打ちを腹に受け、鈴木は転倒し、気絶した。 「うぬ!!」  すかさず迫って大場浪人が切りつけるのを、ふわりふわりと躱《かわ》しつつ、秋山小兵衛は仙台堀へ架かる海辺橋のたもとまで後退し、 「おのれは、あの世[#「あの世」に傍点]へ送ったほうがよさそうじゃな」  と、いった。  夜ふけの雪の道には、通る人影もない。  大場も、いざ切りかかってみて、 (なるほど、この老爺《おやじ》、徒者《ただもの》ではない)  と、看《み》て取ったが、さりとて負けるつもりはない。  大刀を晴眼《せいがん》に構え、気力をこめて迫ると、相手はじりじりと橋の上へ退って行くではないか。  腰を落し、刀を右脇《みぎわき》へ側《そば》め、後退して行く小さな老人は、完全に、自分に威圧されたと大場浪人はおもった。 (よし。斬《き》れる!!)  必殺の一刀を、ついに大場は上段に振りかぶった。よほどの自信がなければ、このまね[#「まね」に傍点]はできぬ。  大場が振りかぶった、そのとたんに、秋山小兵衛が、 「それでは、斬れぬよ」  と、声をかけたものだ。  大場浪人は間髪を入れぬ小兵衛の声に、 「ぬ!!」  かっ[#「かっ」に傍点]と頭へ血がのぼり、 「たあっ!!」  必殺の一刀を打ち込んだ。  燕《つばめ》のごとく、小兵衛の躰が斜めに飛び、橋の欄干を背にすっく[#「すっく」に傍点]と立った。  小兵衛に躱された大場の一刀は、反転して小兵衛の胴を薙《な》ぎはらった。  ぱっと、小兵衛の躰が宙へ飛びあがった。  大場の一刀は闇を薙ぎはらったのみだ。  視点を失った大場の頭を、飛び下りざまに小兵衛が蹴《け》った。 「うわ……」  よろめいた大場の頸《くび》すじの急所が小兵衛の一刀に、ざっくりと切り裂かれた。 「う、うう……」  ぐったりと、欄干にもたれた大場の手から、刀が落ちた。  しずかに、それを見やりつつ、小兵衛が懐紙で刀にぬぐい[#「ぬぐい」に傍点]をかけ、鞘《さや》へおさめた。  微《かす》かに呻《うめ》きつつ、大場浪人が橋板へ片膝《かたひざ》をついた。  秋山小兵衛は大場に背を向け、ゆっくりと海辺橋を北へわたって行く。  降りしきる雪の中に倒れ伏した大場浪人の息は、すでに絶えている。      六  四谷《よつや》の弥七《やしち》に捕えられた料理人・竹造は、翌日の夜になって、すべてを白状におよんだ。  当夜……。  いったん、自分の長屋へ帰った竹造は、博奕《ばくち》で負けた金の工面をするため、相模屋《さがみや》へもどって来た。  亭主の伊之助《いのすけ》が、 (小金《こがね》を貯《た》めこんでいる……)  と、看《み》ていたからだ。 (せめて十両、貸してくれるといいのだが……)  若松屋の元締の息がかかっている博奕場での借金だけに、返さぬことには、手指の二本や三本は切られてしまうことになる。 (そうなったら、お終《しめ》えだ。庖丁《ほうちょう》が持てなくなる……)  そこで、相模屋の裏口から入って行くと、板場の隅《すみ》で、伊之助が気を失ったおきみ[#「おきみ」に傍点]を犯そうとしているではないか。  入れ込みでは、おみよ[#「おみよ」に傍点]がしくしく[#「しくしく」に傍点]泣いている。  とっさに、竹造の脳裡《のうり》へ好計《かんけい》が浮かんだ。  それは竹造自身、おもいもかけぬことであったが、前にも人を二人も殺《あや》めて、それを若松屋文五郎が匿《かくま》ってくれたという過去をもつ竹造だけに、 (よし。いまだ!!)  とっさに出刃庖丁をつかみ、伊之助を刺し殺し、おどろいて逃げようとするおみよの脳天を樫《かし》の心張棒で撲《なぐ》りつけ、これも殺害してしまった。  そうしておいて竹造は、おきみの手に出刃庖丁をつかませ、介抱にかかったのである。 「その後で、竹造は若松屋の元締へ相談に出かけたのだそうで」  と、四谷の弥七が秋山小兵衛へ報告をした。 「相談……何の?」 「ですから大先生。泥棒《どろぼう》が入って、これこれ[#「これこれ」に傍点]だと……」 「あきれたやつじゃな、竹造というやつは……」 「まったくで」  若松屋文五郎は、それを聞いて笑い出し、 「それなら、何故《なぜ》、お上《かみ》へ届けねえのだ」 「へ……」  竹造の顔色が一変した。 「おれに嘘《うそ》はつけねえぞ、竹造。相模屋の亭主を殺めて、小女《こおんな》を撲り殺したのはてめえだろう。よくわかったよ」  ずばり[#「ずばり」に傍点]と極めつけられ、竹造は震え出した。 「やい、竹。相模屋の亭主は、いくら貯めこんでいたのだ?」 「も、も、元締……」 「その金を持って来い」 「へ……」  蛇《へび》に見込まれた蛙《かえる》のような竹造だったにちがいない。 「なんと大《おお》先生。相模屋の亭主は、二階の仏壇の底に百七十五両も貯めこんでいたそうでございます」 「ほう……」  その金は若松屋のふところへ入ってしまったが、そのかわりに、 「おれがうまくしてやる。お前は相模屋の跡をついだらよかろう」  元締にそういわれて、竹造は、うなずくよりほかに仕方がなかった。 「お上のお調べも、かたちばかりのものだったようでございますよ、大先生」 「これは何とかせぬといけないぞ、弥七」 「はい。竹造が、すっかり吐きましたので、町奉行所《おまち》のほうでも捨ててはおけなくなりましたようで……」 「じゃが、若松屋は、なかなかに手強《てごわ》そうだのう」 「すぐに引っ括《くく》るというわけにもまいりますまいが……いずれ、息の根がとまりましょう」 「そうなるとよいが……ところで、竹造は?」 「とても島送りなぞではすみません。間もなく……」  いいさした弥七へ、小兵衛が手で首をはねる仕ぐさをして見せ、 「これか?」 「はい」  はなしは、ずっと後のことになるが、若松屋文五郎が召し捕えられ、島送りになったのは、翌年の秋のことだ。  その悪事の証拠をつかむまでの探索は大変に骨が折れたそうな。  このときに、深川の御用聞きのうち、五人が十手《じって》を取りあげられ、しかるべく処罰を受けたという。      ○  料理人の竹造が刑場で首を斬《き》られたのは、師走《しわす》の七日であった。  そのことを、おきみ[#「おきみ」に傍点]は知らないままに、大治郎宅で日を送っていた。  日に日に、おきみは落ちつきを取りもどしつつあるように見えた。 「もう、大丈夫でございます」  と、三冬が鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へあらわれ、小兵衛に告げたほどである。  依然として、おきみは無口で、 「相模屋の亭主や、お前といっしょにはたらいていた小女を殺したのは竹造だったのじゃ。お上のお調べがすっかりついて、お前は、もう大手《おおで》を振って道を歩けるのだよ。よかったのう」  小兵衛から、そう聞かされたときも、さしておどろく様子もなく、目を伏せたまま、微《かす》かにうなずいたのみだ。  おきみにとっては衝撃につぐ衝撃で、むしろ茫然《ぼうぜん》としていたのやも知れぬ……と、小兵衛たちはそうおもいやっていた。 「しばらくは、そっと[#「そっと」に傍点]しておいてやれ。そのうちに、わしが、おきみの身性《みじょう》なぞを尋ねた上で、これからのことを考えてやろう」  小兵衛は、竹造が処刑されたことも、 「おきみには洩《も》らすなよ」  大治郎夫婦や、おはる[#「おはる」に傍点]に念を入れておいた。  おきみは、掃除から洗濯《せんたく》、水汲《みずく》みなどに黙々として立ちはたらくようになっていた。  いつであったか三冬が、台所で夕餉《ゆうげ》の仕度をしながら、傍で手つだっていたおきみへ、何気もなく、 「お前の両親《ふたおや》は達者でいますか?」  尋ねたとき、おきみは、かぶり[#「かぶり」に傍点]を振ったという。  これは、両親ともに死亡していることを意味するとみてよいだろう。  ついで三冬は、 「では、兄弟は?」  と、問うた。  すると、おきみは、またしてもかぶりを振った。 「故郷《くに》は何処《どこ》?」  この三冬の問いかけに、おきみはこたえなかった。 「そっとしておけ、そっとな……」  女は……ことに、おきみのような若い女は、現在の環境の充実によって、過去を振り返らなくなる。  しぶとい女の躰《からだ》の仕組みが、そうさせることを、小兵衛はよくわきまえていた。 「いますこしのことじゃ。来年の春にでもなったら、おきみは三年前のおきみにもどるであろうよ」  ところが、竹造が処刑されて八日後の夕暮れどきに、おきみの姿が消えた。  そのとき、三冬は夕餉の仕度にかかってい、おきみは外の石井戸へ水を汲みに出て行った。  そのまま、おきみは失踪《しっそう》したのである。 「私としたことが、迂闊《うかつ》でございました」  夜に入って、田沼屋敷から帰宅した大治郎と共に隠宅へ駆けつけて来た三冬が、うなだれて、 「申しわけもございませぬ」 「そうかえ、ふうむ……いやなに、わしだとて、手がまわらなかったろうよ。何故といって、ちかごろのおきみを見ていれば、まさかに姿を暗ますとはおもえなかったものなあ」  それでも小兵衛は、翌日、深川へ出かけてみた。  相模屋の裏表の戸は板を打ちつけて、外から入れぬようになっていた。  小兵衛は近くの家々をまわって、もしや、おきみの顔を見かけなかったかと尋ねてみたが、徒労であった。  おきみの水死体が、大川《おおかわ》の両国橋の近くの、矢ノ倉にある本多|隠岐守《おきのかみ》・中屋敷前の河岸《かし》へながれついたのは、それから五日後の朝であった。 「おきみはなあ……」  と、秋山小兵衛が大治郎夫婦へ憮然《ぶぜん》としていった。 「おきみは、竹造のことが忘れきれなかったのじゃ。おきみにとっては初めての男で、ともかくも、いったんは夫婦であったのだものな。捕えられた竹造の安否が知りたくて、逃げたのじゃ。そして……そして、どこかで、竹造が打ち首になったことを耳にしたのであろうよ。わしらが知らぬ、どこかに……おそらくは深川のどこかに、おきみと竹造の知り人《びと》がいたのでもあろうか、な……」 「では、竹造の後を追って大川へ身を投げたと申されますか?」 「まあ、な……」 「ですが父上、竹造のような男に、さほどの未練があったのでしょうか?」  小兵衛は哀《かな》しげな微笑を浮かべて、 「大治郎。お前には、わからぬことさ」 「何がです?」 「わしだとて、いままでは、さほどにはおもわなんだわえ」 「ははあ……?」 「竹造というやつ、おきみにとっては、ただ一人の男だったのであろう」 「そうしたものですかな……?」 「はじめての男に、おのが躰へきざみつけられた刻印は、おきみにとって、よほど深かったに相違ない」  三冬が顔を赤らめ、うつむいてしまった。  大治郎は傍《わき》を向いて、咳払《せきばら》いをした。 「ああ……」  深い吐息と共に立ちあがった秋山小兵衛は、 「おきみは、わしの、よけいな手出しを恨んでいたやも知れぬ……」  そうつぶやいて、大治郎の家から出て行った。  夕闇《ゆうやみ》の冬木立の中へ溶け込んで行く小兵衛の、さびしげな後姿に、見送っている大治郎と三冬は声もなく顔を見合せた。     剣の命脈 (到底、この冬は越せまい……)  志村又四郎は、そうおもった。  初夏のころから今日まで、この病間ですごす時間《とき》が何日つづいたことであろう。  病みおとろえ、窶《やつ》れきった躰《からだ》なのだが、そこは剣術の修行で鍛えに鍛えてあるだけに、 (いま一息というところで、病魔のやつめ、この躰を攻めあぐねているらしい)  今朝は苦笑が浮かぶほど、ふしぎに気分がよい。  しかし、死病が又四郎に取り憑《つ》いていることはまぎれもない。  右の胸下、肝ノ臓のあたりがふくれあがり、その異常な凝《しこ》りは、いかに医薬の手をつくしても除《と》れなかった。  そのほかにも、又四郎の躰の諸方が病痾《びょうあ》に侵されているらしい。  老父・志村|又右衛門為康《またえもんためやす》と親しい医師の小柴安道《こしばあんどう》が、又四郎の面倒をみてくれている。  小柴安道は、幕府から二百俵の扶持《ふち》を受けている表御番《おもてごばん》医師だ。 「わしにだけは、まことのことを聞かせていただきたい」  という父の声や、 「なれば、申しあげましょう。これは、もはや、おあきらめ下さるがよいと存じます」  こたえる小柴安道の声が、我が耳に聞かずとも、又四郎の脳裡《のうり》に聞こえてくる。 「さようか……」  と、上辺《うわべ》には悲痛の様子を見せたであろうが、父の胸の底には、一種の安堵《あんど》が在るにちがいない。  跡つぎの自分が死んだところで、 (父上が、目に入れても痛くない……)  ほどの弟・小三郎《こさぶろう》がいる。  小三郎は妾腹《しょうふく》の子で、当年十一歳。又四郎とは二十近くも年齢《とし》がはなれていたが、いま又四郎が死んだところで、父の又右衛門は、まだ元気でもあり、八百石の旗本の家の行末に何の心配もないといってよい。  この日の朝は風も絶え、あたたかに晴れわたっていたが、時折、病間の障子へ、奥庭の木立から落ちた葉が吹きながれてきて微《かす》かに音をたてた。 (さて、おれは間もなく死ぬる……)  この一事が、今朝は水のように又四郎の肚《はら》へ沁《し》みわたってくる。 (二十九年の生涯《しょうがい》だったか……)  このことである。  躰が弱かった妻は又四郎の子をもうけぬまま、去年の春に病死してしまった。 (おもい残すことは、何もない……)  おのれの胸にいいきかせたとき、又四郎の両眼《りょうめ》が活と見ひらかれた。 (そうだ。一つ、ある)  痩《こ》けた又四郎の顔《おもて》に、血がのぼってきた。  熱いものが、胸にこみあげてくる。 (そうだ。秋山大治郎殿と真剣を把《と》っての立ち合いができぬことのみが、こころ残りだ)  又四郎は瞑目《めいもく》した。  用人の足音が、廊下を近づいて来て、 「お目ざめでございましょうや?」 「おお……」 「小柴安道先生が、お見えになりました」 「うむ。お通ししてくれ」  その又四郎の声に、ちから[#「ちから」に傍点]がこもっているのを用人は感じた。  だが、用人・増見九兵衛《ますみくへえ》は、それをよろこぶ様子でもなく、廊下を引き返して行った。  志村又四郎が、肥前忠吉《ひぜんただよし》二尺三寸三分の愛刀と共に、芝・愛宕《あたご》下の屋敷から姿を消したのは、翌日の空が白《しら》みはじめるころであった。  屋敷を出た又四郎を見かけたものは、だれもいなかった。  塀《へい》を乗り越えて出たものらしい。  屋敷の人びとが又四郎の失踪《しっそう》に気づいたのは、朝になってからのことだ。 「探せ。早《はよ》う探し出すのじゃ」  父の又右衛門為康が狼狽《ろうばい》して、家来たちに命じた。  又四郎の身を案じてというよりも、重病の又四郎が失踪したことに不安を抱いたのだ。  その不安は、八百石の家名に傷がつくような結果をまねきはせぬか……という怖《おそ》れにむすびついている。  発病前の志村又四郎は、湯島に大道場を構える金子孫十郎|信任《のぶとう》の十傑などとよばれた剣士であり、八百石の家柄《いえがら》を重んじるよりも、剣一筋の生きざまに徹していたからだ。 (又四郎は、死にのぞんで何を考え、何をしようとしているのか? あの躰で、何を……)  又四郎と共に、その愛刀が消えていると知ったとき、志村又右衛門の不安は募るばかりとなった。      一  その朝……。  浅草・橋場《はしば》の秋山大治郎宅へ、おはる[#「おはる」に傍点]があらわれて、 「若先生。ちょいと鐘《かね》ヶ淵《ふち》まで来て下さいよう」 「父上の御用事ですか?」 「へえ。どこかへ、お使いに行ってもらいたいらしいのですよう」  この日、田沼屋敷の稽古日《けいこび》ではなかった。  大治郎が、おはるの舟で大川(隅田《すみだ》川)をわたり、父の隠宅へ行ってみると、秋山|小兵衛《こへえ》は奥の間で臥《ふせ》っていた。 「どうなさいました?」 「ちょ[#「ちょ」に傍点]と、風邪を引いてな」 「それは、いけませぬな」 「三冬どのに、変りはないかえ?」 「おかげさまにて」 「三冬どのの腹の中には、わしの孫が入っているのだから、くれぐれも気をつけておくれ」 「心得ました」 「ときに……昨日、北大門町の文蔵が、向島へ用たしに来たついでに立ち寄ってくれてな」  上野の北大門町に住む御用聞きの文蔵は、四谷《よつや》の弥七《やしち》と親しく、秋山|父子《おやこ》とも面識の間柄《あいだがら》だ。  その文蔵が、 「昨日、通りがかりに同朋町《どうぼうちょう》へ寄ってみましたら、植村先生が寝込んでおいでになりました」  と、小兵衛に告げた。  湯島天神下の同朋町にある亡《な》き浅野|幸右衛門《こうえもん》の旧宅には、いまも、小兵衛の愛弟子《まなでし》だった植村|友之助《とものすけ》が下男の為七《ためしち》と共に暮している。  病身だった友之助は、ちかごろ、すっかり元気になり、近辺の子供たちをあつめ、読み書きを教えたりしていた。 「何でございますか、二、三日前の朝、急に、お倒れになったそうで……」  と、文蔵が、 「それでもまだ、医者に診せていないとおっしゃるものですから、差し出がましくは存じましたが、私の知り合いの医者に行ってもらいましたので」 「それはすまなかったのう。それで、容態は?」 「当分は、しずかに寝ていなさらぬといけないそうでございますよ」 「ふうむ……」 「ちょうど、こっちへ用たしがございましたので、大《おお》先生のお耳へ入れておきたいとおもいまして」 「いや、ありがとうよ。すっかり面倒をかけてしまったのう」 「とんでもございません。何なりと、お申しつけ下さいまし」  植村友之助は、小兵衛にとって可愛《かわい》い門人のひとりである。 「様子を見に行ってやりたいが、わしも、熱が下らぬのでな。すまぬが大治郎、友之助の様子を見て来てはくれまいか」 「承知いたしました」  先ごろ、薄幸なおきみ[#「おきみ」に傍点]が大川に水死体となって浮きあがって以来、秋山小兵衛は鬱々《うつうつ》としてたのしまなかった。  あの事件に際して、自分の、おきみへ対するあつかい方[#「あつかい方」に傍点]が、 (間ちがっていたのではないか……?)  しきりに、そのことがおもわれる。  心が弱るときは、躰《からだ》も弱るのたとえどおり、小兵衛が、 「風邪に、つけ込まれた……」  ことになる。 「何かと金がいることになるやも知れぬ。これをとどけてやってくれ」  金二両を大治郎へわたした小兵衛が、 「ああ……わしも、もはや先が見えたのう」  妙に、こころ細いことをいったものだ。  おはるは、笑っている。  本当にしていないらしい。 「父上。では、これからすぐに行ってまいります」 「おお、たのむぞ」 「帰りに、また寄らせていただきます」 「待っている。待っているぞ」 「父上も、お大事に……」 「なあに若先生。明日になれば、けろり[#「けろり」に傍点]としますよう」  と、おはる。  苦笑して、大治郎は隠宅を出て行った。  ときに、四ツ(午前十時)ごろであったろう。  今日も晴れわたってい、春のようにあたたかい。  ちょうど、そのころ……。  志村又四郎が、湯島天神の境内へ姿をあらわしている。  羽織と馬乗袴《うまのりばかま》を身につけ、塗笠《ぬりがさ》をかぶった又四郎は竹の杖《つえ》をついていたが、足どりはしっかりしたものだ。  湯島天満宮は、かの太田|道灌《どうかん》が江戸城に在ったころ、夢の中で菅原道真《すがわらみちざね》の霊に謁見《えっけん》したのに感じて、ただちに城外の北方に祠堂《しどう》をいとなみ、神影《しんえい》を安置し、梅の木を数百も栽《う》えたのが、その起りといいつたえられる。  菅原道真は平安の時代《ころ》の公卿《くぎょう》で、藤原時平のために九州の太宰府《だざいふ》へながされ、逆境のうちに死去した。後世、道真は天満天神として、全国的に信仰されるようになったのは、当時、他に比肩《ひけん》するものがないほどの学者であり、政治家としても、その高潔な人格が後のちまで語りつたえられていたからであろう。  ところで……。  志村又四郎が、十八歳のころから通いつめて修行を積んだ金子道場は、湯島天神からも程近い湯島五丁目にあり、恩師・金子孫十郎は高齢に達して尚《なお》、矍鑠《かくしゃく》たるものがある。  又四郎は、道場での稽古を終えての帰るさに、雨でも降らぬかぎり、かならず湯島天神の社へ詣《まい》るのがならわし[#「ならわし」に傍点]となっていた。  菅神《かんじん》への信仰もさることながら、この社の境内のたたずまいが好きであった。  拝殿の裏へまわると、切り通しの坂をへだてて、彼方《かなた》に上野の森を背負った不忍池《しのばずのいけ》がひろがり、四季それぞれの景観がまことに趣きに富んでいる。  その風色《ふうしょく》をながめつつ、その日の稽古の反省をするのが、志村又四郎の日課の一つだったのである。  去年のちょうどいまごろ、金子道場へあらわれた秋山大治郎に、金子孫十郎が、 「ちょうどよい折じゃ。又四郎、稽古をつけていただきなさい」  と、すすめたので、又四郎は大治郎と立ち合った。  金子孫十郎信任といえば、江戸で屈指の剣客《けんかく》であり、門人は三百を超えよう。老中・田沼|意次《おきつぐ》にも、その人格を愛せられ、剣術を修行していたころの三冬も金子孫十郎には随分と面倒をかけたものだ。  いうまでもなく、秋山大治郎の妻・三冬は田沼意次の血をわけた女《むすめ》であり、いまも金子孫十郎に対して、三冬は師の礼をたもちつづけている。  こうしたわけで、大治郎も年に二、三度は金子道場を訪れ、孫十郎信任の剣話を聞くのが、うれしかった。  けれども、いつも掛けちがって、大治郎と志村又四郎が顔を合わせたのは、去年のその日がはじめてであった。  又四郎は、木太刀を把《と》って、 (秋山大治郎、何者ぞ!!)  とばかり、立ち向ったが、三本のうち、一本も大治郎を打ち込むことはできなかった。  大治郎も楽々と勝ったのではない。  帰宅してから、三冬に、大治郎はこう洩《も》らしている。 「さすがに金子先生が、お目をかけられておられるだけあって、志村又四郎殿はすぐれた剣士だ。私も久しぶりで、ちから[#「ちから」に傍点]のかぎりをつくしたようなおもいがした」  又四郎も又四郎で、例のごとく湯島天神社の木立から夕暮れの不忍池をながめながら、 (あれほどの剣士が、この江戸に何人いるであろうか……?)  大治郎の手練のほどに心をうたれたけれども、そのとき勃然《ぼつぜん》として、 (もしも……もしも、真剣を把っての立ち合いであったら、どうであろうか……)  と、想《おも》いたった。  又四郎は、真剣を把って数知れぬほどの決闘を体験している秋山大治郎を、まったく知っていない。  それだけに、 (真剣を把って、立ち合ってみたい)  その想いを押えかねた。  かねたが、しかし、これは命のやりとりである。  家名よりも、わが剣名を重んじる又四郎といえども、そこは八百石の家の跡をつぐ身であり、想いたったからといって、すぐさま実行に移せるものではなかった。  それに、金子孫十郎は、一門の真剣勝負を、きびしく禁じている。相手方から仕掛けられた場合は別である。  だが、その想いは又四郎の胸底《きょうてい》に揺動して消えることがなかった。  いま、死病を得て、その想いを達することができる。  勝敗は問わぬ。  真剣の立ち合いは、剣士にとって極限の体験であり、それこそが、剣士としての存在をしめすものといってよい。  天下《てんが》泰平のいまは知らず、むかしの剣士たちにとって、真剣の勝負は当然のことであったのだ。  これまでに志村又四郎は、真剣の勝負を一度もしたことがない。 (いまこそ……)  又四郎は、むしろ、よろこびに燃えている。  今日の未明に愛宕《あたご》下の屋敷をぬけ出し、しずかに呼吸をととのえつつ、ゆっくりと歩を運び、湯島天神社へあらわれた。  その途中で又四郎は、芝口《しばぐち》一丁目の、早朝から店を開けている飯屋へ立ち寄り、熱い味噌汁《みそしる》で飯を二|椀《わん》も食べた。  これは、自分でも信じられぬことであった。  剣士としての気魄《きはく》が、死を目前にした志村又四郎の肉体を奮い立たせているのやも知れなかった。  みずから道場の掟《おきて》を破ることへの反省は、きわめてうすいといってよい。  塗笠をぬぎ、拝殿に詣《もう》でた又四郎は、参詣《さんけい》の人びとの間を縫って、女坂へさしかかった。  湯島天神社から上野の山下へ出るには、男坂か女坂を下るのが便利で、男坂は急な石段。女坂はゆるやかにまわって下る。  女坂へかかった又四郎は、そこで塗笠をかぶったが、その直前に又四郎の横顔を見て、はっ[#「はっ」に傍点]と足をとめた二人づれの浪人があった。  二人とも、目塞笠《めせきがさ》に顔《おもて》を隠している。  志村又四郎は、この浪人たちを気にとめることもなく、しずやかに女坂を下って行く。  二人の浪人が何やら囁《ささや》き合ってから、又四郎の後を尾《つ》けはじめた。  浪人のひとりは、長さ五尺ほどの細長い包みを抱えている。      二  志村又四郎は、この浪人たちを懲《こ》らしめたことなど、すでに忘れていたろう。  だが、彼らの顔を見れば、わけもなくおもい出したにちがいない。  それは、去年の初夏の或《あ》る日のことで、いつもより遅くまで道場に残り、若い門人たちへ稽古《けいこ》をつけていた又四郎へ、折しも外出《そとで》からもどって来た金子孫十郎が、 「御苦労であったな。ま、奥へまいれ」  と、いい、久しぶりで又四郎に酒の相手をさせた。  道場を出たのは、夜に入ってからである。  初夏の宵《よい》のことで、このまま屋敷へ帰ってしまうには惜しい。又四郎は例のごとく、湯島天神へ詣《もう》でた。  半月が空に浮かんでいた。  月光をあびて、幻のごとくのぞまれる不忍池に見とれていたとき、かの二人の浪人が十六、七の少女を木立の中へ担《かつ》ぎ込んで来たものだ。  少女は当身《あてみ》をくらい、気をうしなっている。  それを木立の中へ運び込んで来て、二人して、さんざんに嬲《なぶ》りつくそうというのだ。  これを見た又四郎が、だまっているわけもない。  木蔭《こかげ》から出て、少女を救った。  浪人どもは、おどろきもしたが、白面《はくめん》の侍ひとりに「さっさと帰れ」といわれて、引き下るような奴《やつ》どもではない。 「こいつ、よくも邪魔を……」 「かまわん。ぶった斬《ぎ》れ!!」  抜刀して打ちかかってくるのを、又四郎は事もなげに立ち向い、追いはらった。  二人とも、逃げざるを得なかった。  一人は、又四郎に鼻を切られ、一人は右の耳を切り飛ばされてしまったのだ。  少女は無事であった。この近くの蕎麦《そば》屋の小女《こおんな》で、用事をいいつけられ、道を歩いていて、いきなり襲いかかられ、当て落されてしまったらしい。  ずいぶんと、乱暴なことをするものではないか。  鼻無しと耳無しの浪人ふたりは、以来、傷口が癒《い》えても外出のときは、笠《かさ》がはなせぬものとなった。  この逆恨みは、 「忘れようとて、忘れられるものではない……」  のである。  二人は今年に入ってから、復讐《ふくしゅう》をおもいたった。  そこで、三日に一度は上野山下から湯島一帯を歩きまわり、志村又四郎の姿を探しもとめていたのだ。  ところが、掛けちがったかして、なかなかに出合わぬ。  そのうちに又四郎は発病し、金子道場へもあらわれなくなったが、浪人どもの執念は消えなかった。  そして今日、ついに見た。 「急《せ》くな。今日でなくともよいのだ」  と、鼻無し浪人が笠の内からいった。  口をきくたびに、鼻から息がぬけるので妙な声なのだ。笠をぬいだら、何ともいえぬ奇妙な顔つきになってしまっている。まだしも片方の耳朶《みみたぶ》がないほうがまし[#「まし」に傍点]であった。細長い包みを抱えているのは、鼻無し浪人の岩瀬|伝吾《でんご》である。  初冬の、おだやかな日ざしを受けて、志村又四郎は上野から浅草へ向う大通りを、あくまでもしずやかに歩む。  人通りも多い日中のことだし、いますぐに、又四郎を襲うわけにはまいらぬ。 「ともかくも、行先だけを突きとめておくことだ」  と、耳無しの坂井慶蔵がいった。  志村又四郎が、東本願寺の境内をぬけ、裏門から浅草の広小路へ出ようとする直前に、秋山大治郎が本願寺裏門前を通りすぎた。  その差は、いまの三十秒ほどではなかったろうか……。  又四郎が裏門を出たとき、大治郎の後姿は、左側に連なる寺々の塀《へい》外に見えていたのだ。  しかし、又四郎は大治郎宅を目ざしていたので、傍目《わきめ》をふらぬ。  こうして、志村又四郎が大治郎宅へ姿をあらわしたのは、昼下りになってからだ。  呼吸をととのえつつ、ゆっくりと歩を運んで来た所為《せい》か、意外に疲れをおぼえぬ。  長い月日を病臥《びょうが》していた自分に、 (これだけのちから[#「ちから」に傍点]が残っていたのか……)  又四郎は、われながらおどろいていた。  もとより、大治郎に勝とうとはおもわぬ。また、負けようともおもわぬ。これまで鍛えぬいてきたおのれの剣を最後に試したい。その一事あるのみなのだ。  剣士であるからには、秋山大治郎も真剣の立ち合いを拒むことはできぬ。  燃えつきかけようとしている又四郎の生命《いのち》が、いまや、終焉《しゅうえん》直前の光芒《こうぼう》を放っているとしか、いいようがない。 「ま、志村殿ではありませぬか……」  訪ねて来た又四郎を迎えて、三冬が目をみはった。  三冬は、ずっと以前から又四郎を見知っているし、かつては金子道場で、稽古をつけてもらったことも何度かある。  又四郎が重い病患にかかっていることを、三冬は耳にしていたが、いま、目の前にあらわれた又四郎は、なるほど窶《やつ》れ果ててはいても、顔にはほんのりと血の色が浮かんでいるし、それに双眸《そうぼう》が生き生きと輝いているではないか。 「あの、御病気と……?」 「さよう。なれど、このように出歩けるようになりましてな」 「まあ……」  そのころ、志村屋敷からは八方へ探索の者が飛び、金子道場へも人が駆けつけていたが、まさかに、又四郎が秋山大治郎宅を訪れていようとはおもっていなかった。 「秋山大治郎殿は、御在宅か?」  と、又四郎が微笑していった。 「それがあの、義父《ちち》の用事にて、出ておりますが、遅くも日暮れまでにはもどりましょう。ま、おあがり下され」  と三冬も、つい、男装のころの口調になってしまう。 「さようか……」 「ともあれ、先《ま》ず……」  三冬は、又四郎を招じ入れ、茶菓を出してもてなした。  道場では、飯田粂太郎《いいだくめたろう》らが稽古にはげんでいる。  その木太刀の打ち合う音と気合声を、又四郎は目を細めて聞き入っていたが、やがて、 「これより他に所用もござれば……また、日暮れごろにお訪ねいたす」 「ま、さようで……」 「かならず、お訪ねいたすと、秋山殿におつたえ下さい」 「承知いたしました」 「では……」  志村又四郎は秋山家を出て、丘を下って行った。  その後を二人の浪人が尾行しているのを、又四郎も知らず、門口まで見送った三冬も気づかなかった。      三  秋山大治郎が下谷《したや》・同朋町《どうぼうちょう》の浅野旧宅へ着いたとき、ちょうど町医者の診察が終ったところであった。  北大門町の文蔵が差しむけてくれた、この町医者は吉田周庵《よしだしゅうあん》といい、六十年輩の、 「いかにも、たのもしげな……」  人物であって、 「これは何ですな、植村さんが病後の躰《からだ》なのに、子供たちへ読み書きを教えることに熱中されたので、その疲れがたまっていたのでしょう。なに、大丈夫。わしが、きっと癒《なお》してみせます。なれど当分は、しずかに寝ていてもらわぬと取り返しがつかぬことになる」  と、いった。 「何分にも、よろしゅう御願い致します」  大治郎は、吉田周庵に両手をついた。 「はい、はい」  周庵が帰った後、植村|友之助《とものすけ》は満面を泪《なみだ》にぬらして、 「若先生。まことにもって、申しわけもありませぬ」  老師のおもいやりの深さが、よほど身にしみたのであろう。 「近いうちに父上もまいられよう。ともかくも、周庵先生のいいつけにそむいてはなりません。よろしいか」 「はい」  為七《ためしち》に金二両をわたし、大治郎は、 (先《ま》ず、よかった……)  ほっ[#「ほっ」に傍点]としたおもいで、帰途についたのである。  大治郎が鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へもどって来たのは、八ツ半(午後三時)をまわっていたろう。 「どうであった?」  と、小兵衛が、大治郎の声を耳にするや、寝間から飛び出して来た。  後で、おはる[#「おはる」に傍点]がいうには、 「ちっとも落ちつかなくて、苛《い》ら苛《い》らしながら……」  大治郎がもどるのを、待ちかねていたそうな。  小兵衛が、植村友之助の病身を案ずるおもいは、 (これほどに深かったのか……)  いまさらに大治郎は、弟子おもいの父の姿を見たようにおもった。 「そうか、そうか……」  大治郎の報告を聞くや、たちまちに小兵衛が上機嫌《じょうきげん》となり、 「そのようなぐあい[#「ぐあい」に傍点]なら、先ず、よかったのう」  そして、しきりに、 「ま、ゆるりとして、わしの酒の相手をして行ってくれ」  といったが、大治郎は、 「酒ならば、寝しなの卵酒にしておきなさるがよいでしょう。さ、早く寝間へおもどり下さい」  相手にせず、間もなく隠宅を出て、帰途についた。おはるが舟を出し、大川《おおかわ》をわたってくれるという。  そのとき……。  志村又四郎は何処《どこ》にいたろうか。  大治郎宅からも遠くはない橋場《はしば》の船宿〔鯉屋《こいや》〕の二階座敷にいた。  あれから又四郎は、迷うことなく、この船宿に入り、酒肴《しゅこう》を命じ、 「すこし、やすませてくれ」  と、二階座敷へ入った。  以前、この船宿へ二、三度来て、舟を出してもらったことをおもい出したのだ。  浪人ふたりの姿は、何処にも見えなかった。  秋山大治郎を乗せ、おはるが操る小舟が大川をわたりつつあるとき、志村又四郎は船宿の二階で、うとうと[#「うとうと」に傍点]と微睡《まどろ》んでいた。  すこし前に、又四郎は船宿の女中をよび、たっぷりとこころづけ[#「こころづけ」に傍点]をわたし、 「いささか空腹なのだが、粥《かゆ》など、煮てくれぬか」 「はい。承知いたしました」  人を待っているというので、船宿では又四郎を怪しむこともない。  女あるじのお峰が、以前に来たときの又四郎を、おぼろげながら見おぼえていた所為《せい》もあって、 「どうも、御病気の後らしいから……」  すぐさま、炬燵《こたつ》の仕度をしてくれたし、粥の注文だと聞いて、 「そうかえ。よし、あたしがこしらえよう」  自分で立って行き、行平《ゆきひら》(土鍋《どなべ》)に粥を煮て、卵を二つ落し入れたのを運んで行くと、 「これは、うまい」  志村又四郎は、行平の中の粥の大半を腹へおさめてしまった。  いま、自分の体調が、このようによくなったのは、 「神仏の加護……」  としかおもわれぬ。 (天が、自分の剣士としての最後に、あわれみをかけて下された……)  このことである。  五体は、むろん衰えていたけれども、気力が充実してきて、 (これなら、おもうさま立ち合うことができよう)  晴れ晴れとなり、無念無想の境地へ入りつつあった。  ただ、おのれのすべてを一剣に托《たく》すのみだ。  又四郎は、おはるの舟が、この船宿の舟着きに着くことを、まったく知らぬ。  秋山小兵衛は、毎月、鯉屋にこころづけをわたし、その舟着きを利用させてもらっている。  ゆえに、鯉屋の人びとと、秋山|父子《おやこ》とおはるとは顔なじみの間柄《あいだがら》なのである。  満々と水をたたえた大川に、夕闇《ゆうやみ》がたちこめている。  いつの間にか空が曇りはじめていたし、初冬の夕暮れは、まことにあわただしい。  その夕闇の中を、おはるの舟がこちらの岸へ近づいて来る。  炬燵に下半身を入れたまま、志村又四郎は目ざめようともせぬ。  一陣の風が川面《かわも》をわたってきて、枯れ芦《あし》を鳴らした。      四 「このごろは父上も、いささか、お弱りになられたようだ」  舟の中で、大治郎がつぶやくようにいった。 「そうなんですよう、困ってしまう」 「長生きをしていただかぬと……」  いいさした大治郎へ、すかさず、おはる[#「おはる」に傍点]が、 「私が困ってしまいますよう」 「あは、はは……」 「あれま、笑いごとではねえよう、若先生」  このごろは大治郎も、おはるが「若先生」とよぶのにまかせている。  また、おはるが「母上……」とよばれることを嫌《いや》がるので、それも口にせぬ。 「さりとて、おはるさんともいえぬし……」  と、大治郎が三冬にこぼしたものだ。 「むかし……」  と、何をおもい出したのか、大治郎が微笑して、 「まだ私が小さかったころ、父上が何処かの屋敷へ招《よ》ばれて行き、その席上で、何とやらいう高名な易者に人相と手相を見てもらったことがあったといいます」 「へえ……?」 「そのとき、その易者が、こういったそうな。秋山さんは、九十まではかならず死なぬ。その後の養生しだいで、百までは生きると……」 「あれま、ほんとうかね、若先生」 「たしかに、そういっていましたよ」 「そんなこと、私には、ちっともはなしてくれませんよう」 「父上は、ほんとうにしていないらしい」 「じゃあ、若先生は?」 「私は、ほんとうにしている」 「ひゃあ……うれしいよう、若先生」 「ほれ、舟が着きます」 「あれ、ほんとうだ」  鯉屋《こいや》の舟着きへ舟を寄せると、そこにいた老船頭が、 「おいでなさいまし。大先生にお変りはございませんか?」 「おかげさまで、おとなしくしていますよう」 「へ……?」 「それじゃあ、若先生。帰りますよ」 「あ、父上をたのみましたよ。明日、田沼様からの帰りに寄ってみるつもりだが……」 「そうなせえ。そんなら明日、三冬さんをうち[#「うち」に傍点]へ連れて来ておくから、久しぶりに、みんなで何かうめえものを食べましょう」 「それは、たのしみな……」 「では明日、待っていますよう」  おはるの舟は、そのまま引き返して行く。  夕闇《ゆうやみ》の中に舟が溶け込み、見えなくなるまで、大治郎は見送っていた。  そして、鯉屋の裏口から中へ入って行った。  土間を通りぬけて、外の道へ出るのが、いつものならわし[#「ならわし」に傍点]である。 「おや、若先生。今日はあの、鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ?」  女あるじのお峰があらわれて挨拶《あいさつ》をするのへ、 「父が、風邪を引きましてな」 「まあ、めずらしいことでございます」 「鬼の何とやら[#「何とやら」に傍点]申すたとえのとおりで……」 「まあ、何をおっしゃいますことやら。さ、御一服なさいまし」 「いや、今日はこれにて」 「さようでございますか……」 「いつも、お世話になります」 「とんでもないことでございます」  と、お峰が若い者へ、 「おい、芳《よし》や。若先生へ提灯《ちょうちん》を……」 「いや、大丈夫。目をつむっても歩ける道です」  一礼して、大治郎は土間を通りぬけた。  外出《そとで》のときは、いつもかぶっている塗笠《ぬりがさ》は手に持ったままだ。  鯉屋の軒行燈《のきあんどん》にも、すでに灯《あか》りが入っている。  お峰に見送られて、秋山大治郎が二歩、三歩と外へ踏み出した、その瞬間であった。  夕闇を鋭く切り裂いて疾《はし》ってきた一条の矢が、大治郎の胸《むな》もとへ襲いかかった。  常人ならば完全に、その矢を胸に受けていたろう。いや、いまどきの侍でも、ひとたまりもなかったにちがいない。  相当に剣をつかう者であっても、この奇襲は避けきれなかったろう。  だが、そこは秋山大治郎だ。  身をひねりざま、腰に差しそえた藤原国次《ふじわらくにつぐ》一尺五寸の脇差《わきざし》を抜く手も見せずに矢を切りはらい、 「何者だ!!」  道をへだてた向うにうごめく二つの人影へ叫んだ。  このとき、何も脇差で矢を切りはらわなくとも、身を躱《かわ》せばすんだわけだが、それでは後方に飛んだ矢が、見送って出た鯉屋の女あるじを傷つけるやも知れぬ。そこで切りはらった。  思考がはたらく間とてない、一瞬のうち、大治郎はそれだけの行動がとれた。  これは、剣士としての修練が、本能的に、行動へ思慮をよぶからなのであろうか……。  道の向うの、民家と民家の間の細道から矢を射かけた曲者《くせもの》は、二の矢を番《つが》える間もなかった。  大治郎の躰《からだ》が突風のごとく、こちらへ駆け向って来たからである。 「に、逃げろ」  わめいたのは、矢を放った鼻無し浪人の岩瀬|伝吾《でんご》だ。  耳無しの坂井慶蔵も狼狽《ろうばい》し、細道を岩瀬と打《ぶ》つかり合うようにして逃げた。  このときも二人は、まだ、秋山大治郎を志村又四郎と見間ちがえていたのではないか。  あれから二人は、ずっと、鯉屋を見張っていた。  志村又四郎が入って行ったのちには、一人の客も鯉屋へは入らなかったし、暗い夕闇の中に中から出て来た大治郎を、岩瀬浪人は、とっさに又四郎と看《み》て半弓を引きしぼり、切って放ったのである。  顔は、まったく似ていないが、大治郎と又四郎は背丈が同じほどであったし、それに又四郎は病床についてから、医師が月代《さかやき》を剃《そ》ることを禁じていたので、大治郎と同じ総髪《そうがみ》にしてあった。しかも、同じような塗笠を手にしていた。  岩瀬浪人は夕暮れになってから、 「これなら、やってのけられる」  と、手にしていた包みから半弓と矢を取り出し、弦《つる》を張って、いつでも射かけられる体勢をととのえていたのだ。      五  二人の浪人は、志村又四郎の病患を知らぬ。  だから、尋常に立ち向ったところで、 「歯が立たぬ……」  ことは、充分に承知していた。  二人は逃げた。  裏手の木立を斜め横に走りぬけ、小川のほとりの道へ出たとき、このあたりの地形をわきまえつくしている秋山大治郎が迂回《うかい》して駆けあらわれ、二人の前へ立ちふさがった。  すでに大治郎は、国次の脇差《わきざし》を鞘《さや》へおさめている。 「ああっ……」  岩瀬浪人が悲鳴に似た叫びを発した。 「う……」  坂井浪人も、立ちすくんだ。  このときはじめて、二人は人ちがいをしたことに気づいたのであろう。 「おのれ、何者だ。名を名乗れ」  二人の浪人が、目と目を見かわした。  もはや、退《の》き引きもならぬ。  また、相手が別人ならば、 (何も怖《おそ》れることはない……)  と、あさはかにも思ったにちがいない。 「私を、秋山大治郎と知ってのことか?」  誰何《すいか》されたとき、二人の浪人がぱっ[#「ぱっ」に傍点]と飛びはなれ、はなれたかと見る間に、 「たあ!!」 「ぬ!!」  大治郎の両側から、抜き打ちに切りつけてきた。  大治郎の躰《からだ》が、前に一|間《けん》も飛んだ。  飛んで躱《かわ》して振りむきざまに大治郎は大刀を抜き合せ、岩瀬浪人が送り込んだ二の太刀をはらい退けている。 「あ……」  はらい退けられた、その衝撃に岩瀬はあわてた。  刀と共に、おのが躰もはね[#「はね」に傍点]飛ばされそうになったからだ。 (これは、いかん。手強《てごわ》い……)  そう感じて、のめるように小川のながれへ逃げたとき、 「うわあ……」  坂井浪人の、魂消《たまぎ》るような悲鳴があがった。  岩瀬の刀をはらいのけざま、息もつかせずに大治郎が坂井の右腕を切り飛ばしたのである。 「あっ、あっ……」  岩瀬は小川をわたり切って、追いせまる大治郎へ無我夢中で刀を振りまわした。  とても、逃げる余裕《ゆとり》がなかった。  たちまちに、岩瀬の大刀は大治郎に叩《たた》き落された。 「畜生、畜生……」  辛うじて脇差を引きぬいたのが、岩瀬|伝吾《でんご》の抵抗の最後であった。  大治郎の峰打ちを頸《くび》すじにくらって、岩瀬はくたくた[#「くたくた」に傍点]と倒れ伏した。  右腕を切り落された坂井慶蔵は、必死に、這《は》うようにして木立の中へ逃げ込んだが、大治郎は、これを追おうともせぬ。  気をうしなった岩瀬浪人の手足を、岩瀬の刀の下緒《さげお》を外して縛りつけた。  そこへ、鯉屋《こいや》の女あるじや、棍棒《こんぼう》などをつかんだ若い者たちが駆けつけて来た。  このとき、鯉屋の二階座敷では、志村又四郎がまだ眠っている。  食後の、うつらうつら[#「うつらうつら」に傍点]の眠りが、いまは深くなっている。  又四郎ともあろうものが、これはどうしたことか。  日暮れには秋山大治郎宅を訪れねばならぬ。ゆえに、このような眠りすごしがあってよいものではない。  食事というものは、人の躰に微妙な変化をもたらす。  まして、志村又四郎の場合は、衰弱しつくしている肉体が異常な精神の高揚によって、おもいがけなく、一時的に機能を回復したにすぎない。  呼吸をととのえつつ、しずかに歩んだといえども、それだけの消耗を強《し》いられたはずだ。  また、これまで食物をうけつけなかった躰へ、突然、二度の食事によって入った食物が、果して又四郎の滋養になったものか、どうか……。  いずれにせよ、粥を食べたのちの又四郎に強く深い疲労が襲いかかったことは、たしかなことであった。  で、志村又四郎が目ざめたのは、秋山大治郎が浪人どもの誤った襲撃を受けてから、半刻《はんとき》(一時間)ほど後になってからである。  すでに、土地《ところ》の御用聞きなどが出張って来て、大治郎が捕えた岩瀬浪人は、お上《かみ》へ引きわたされ、船宿の騒ぎもおさまっている。 「あ、二階のお客さまは?」  女あるじのお峰がおもい出した。 「あの、まだ、二階にやすんでいらっしゃいますが……」 「お待ち合せだというが、そのお客さまは、お見えになったのかえ?」 「いいえ」 「おかしいね。よし、あたしが様子を見てこよう。あ、いいよ、あたしが行くから……」  お峰が二階へあがって見ると、依然、又四郎は昏々《こんこん》と眠っている。  その顔には赤味がさしていたけれども、水を浴びたような寝汗にぬれていた。  何とはなしに、お峰は胸を衝《つ》かれて、 「もし……もし……」  傍へ寄って、よびかけた。 「あ……」  物憂《ものう》げに開いた又四郎の両眼《りょうめ》が、すぐに光りを帯びてきて、 「いま、何刻じゃ?」 「六ツ(午後六時)をまわりましてございますが……」 「何……」  ぱっと半身を起した志村又四郎が、 「これはいかぬ。寝すごしてしもうた……」 「あの、お待ち合せのお方は?」 「いや、よい。こちらから出向こう」 「さようでございますか」  お峰は、そこにぬいであった又四郎の袴《はかま》を手に取った。 「世話になった」  こういって立ちあがったとき、全身をぬらした寝汗の冷たさに、又四郎は身ぶるいをした。そして、意外にも、腰も足もちから[#「ちから」に傍点]が萎《な》えてしまっているのに気づき、 (どうしたことか……?)  足を踏みしめようとしたとき、急に、何やらむかむか[#「むかむか」に傍点]としたものが胸へこみあげてきたかとおもうと、前屈《まえかが》みになった志村又四郎の口から、おびただしい血汐《ちしお》があふれ出た。 「あっ……」  お峰が驚愕《きょうがく》の叫びをあげるのと、又四郎が前のめりに倒れ伏すのとが同時であった。  廊下へ飛び出したお峰は、 「だれか来ておくれ、だれか……」  と、叫んだ。  それが又四郎の耳へ入ったのであろう。 「さ、さわぐな。大丈夫だ……」  躰を起し、片膝《かたひざ》をつき、愛刀・肥前忠吉《ひぜんただよし》へ手をのばしたとき、またしても血を吐いた。 「うっ……」  血汐と共に、先刻、口にした粥《かゆ》も吐き出され、倒れた又四郎は気をうしなっていた。      六 「すぐに、近くのお医者さまが駆けつけて下さいましたが、そのときは、もう、すっかりいけなくおなりなすって……」  こういって、船宿の女あるじは、秋山大治郎の前で声をのんだ。  あれから、お峰は失神した志村又四郎を抱き起し、懸命によびつづけると、又四郎がうっすら[#「うっすら」に傍点]と眼をひらき、 「もはや、いかぬなあ……」 「しっかり……しっかりなすって下さいまし。いま、お医者さまが……」  かぶり[#「かぶり」に傍点]を振って見せた又四郎が、両眼を閉じ、 「秋山、大治郎……」 「えっ。何でございますって? 秋山先生を御存知なんでございますか?」 「う……」 「もし、もし、お客さま。それでは、あの、秋山先生を、およびしてまいりましょうか。秋山さまの若先生ならば、よく存じております。もし、もし……」 「すまぬ……その……そこの刀を……」 「は、はい」  わけがわからぬながらも、お峰が肥前忠吉の大刀を抱くようにして、又四郎の目の前へ差し出すと、 「む……」  微《かす》かにうなずいた志村又四郎が、右の人さし指を刀の柄《つか》へかけて、 「この刀、私の形見に……」 「な、何でございますって……」 「形見……秋山殿へ、さしあげて、くれ……」 「もし……もし……」  又四郎は、もう、こたえなかった。  お峰の腕の中へ、又四郎の顔が、頭が、ぐったりともたれ込んだ。  近くの医者が駆け込んで来たのは、このときである。  すでに、志村又四郎は息絶えていた。  船宿からの急報を受け、秋山大治郎と三冬が駆けつけて来たのは、それから間もなくのことであった。  おだやかに、まるで寝入っているかのような志村又四郎の端正な死顔に見入ったまま、大治郎と三冬は、言葉もない。  又四郎は愛刀・忠吉を、 (私へ形見にするために、この病体を、わざわざ、愛宕《あたご》下から此処《ここ》まで運んでまいられたのか……?)  そうとしか、おもわれぬ。  去年、金子道場で立ち合った後、大治郎は又四郎と親しく語り合っている。  金子孫十郎が酒の仕度をしてくれ、 「これよりは両人とも、仲よく修行にはげむよう」  との言葉に、又四郎は、 「はい」  うれしげに、うなずいていたのである。  それから二、三度、二人は手紙のやりとりをしていた。  大治郎は熟考の後に、肥前忠吉の大刀を、 「こちらで、あずかっておいてもらいたい。そして、志村又四郎殿の遺体と共に、志村家へ引きわたしていただきたい」  と、いった。  明け方になって、知らせを受けた志村家から、用人や家来たちが、又四郎の遺体を引き取りに来た。  大治郎と三冬は、そのときまで遺体の側《そば》につきそっていたが、志村家の用人・増見|九兵衛《くへえ》の態度や応対ぶりは、まことに事務的なものであって、 「ふしぎなことだ……」  大治郎は三冬へ、憮然《ぶぜん》として、 「私は、何をおいても、又四郎殿の父御《ててご》が駆けつけて来るとおもっていたが……」  と、洩《も》らしたのである。  翌日の午後になって……。  捕えられた浪人・岩瀬|伝吾《でんご》の自白により、二人の浪人と志村又四郎との関係と、当日の状況とが判明した。  その知らせをもって、大治郎宅へ駆けつけて来たのは、四谷《よつや》の弥七《やしち》と傘《かさ》屋の徳次郎であった。  この日、大治郎は田沼屋敷へ出かけなかった。  町奉行所から朝のうちに、 「曲者《くせもの》の取り調べがすむまでは、外出《そとで》をさしひかえるように……」  との達しがあったからだ。 「では、もう外へ出てもよいのか?」 「はい。かまいませんでございます」  弥七がそういったので、大治郎は、弥七と傘徳をつれて父の隠宅へ向った。 「ふうむ……昨夜は、そんなことがあったのかえ」  さすがの秋山小兵衛も、目をみはった。 「父上。志村又四郎殿は、あれほどに病みおとろえた躰《からだ》で、わざわざ、刀を形見にするため、私を訪れたのでしょうか?」 「ふうむ……」 「いかがでしょう?」 「そうであったやも知れぬ」 「はあ……?」 「なれど……」 「なれど?」 「そのほかにも……」 「え……?」 「いや……」  小兵衛が、ちらり[#「ちらり」に傍点]と鋭い眼《まな》ざしを大治郎に向けたけれども、わずかにかぶり[#「かぶり」に傍点]を振って、 「わしの、おもいすごしやも知れぬ」 「おもいすごしとは?」 「いや、おもいすごしであろうよ」  大治郎の胸へ染《し》み透《とお》るような微笑を送ってよこした小兵衛が、こういった。 「いや何、こちらのことじゃ。気にすまい、気にすまい」  気にすまいといわれても、 「どうも、父上のお言葉が、気にかかってならぬ」  と、帰宅してから、大治郎が不快げに、三冬へいった。  船宿の女あるじは、遺体を引き取りに来た志村家の用人へ、又四郎が肥前忠吉の大刀を秋山大治郎へ形見にといい遺《のこ》した言葉を、そのままにつたえたそうな。  しかし、志村家からは、秋山大治郎の許《もと》へ忠吉の一刀が送りとどけられなかったし、大治郎と三冬が遺体をまもっていたことについても、何の挨拶《あいさつ》もなかった。     解説 [#地から2字上げ]常盤新平  池波さんが『剣客《けんかく》商売』を書きはじめたのはいつだったのか、九巻目のこの『待ち伏せ』を読みながら、気になっていた。『剣客商売全集』の「付録」に出ている年譜を見ると、「小説新潮」の昭和四十七年(一九七二年)一月号から『剣客商売』の連載がはじまっている。  池波さんが四十九歳のときだ。『鬼平犯科帳』をはじめてから四年たっている。  この昭和四十七年は、池波さんが作家としてゆるぎない地位を築かれた一年であったと思う。この年に『鬼平犯科帳』を「オール讀物《よみもの》」に毎号書きつづけたことはいうまでもないが、『仕掛人・藤枝梅安』の連作を「小説現代」ではじめている。  こうして、池波さんの代表作となる三大シリーズが出そろった。『鬼平犯科帳』の読者は『仕掛人・藤枝梅安』や『剣客商売』にとびつくことになったのである。  しかも、のちに食べもののエッセーの名作となる『食卓の情景』を「週刊朝日」に一月からはじめて、翌年の夏までつづけた。さらに、ピカレスク小説のおもしろさを堪能《たんのう》させてくれた『雲霧|仁左衛門《にざえもん》』の三年近い連載が「週刊新潮」で開始されている。  翌四十八年(一九七三年)には一月に『剣客商売㈰』が、三月に『仕掛人・藤枝梅安——殺しの四人』が、五月に『剣客商売㈪辻斬《つじぎ》り』が、六月に『食卓の情景』が、そして十二月には『剣客商売㈫陽炎《かげろう》の男』と『鬼平犯科帳——追跡』が出版された。池波さん五十歳である。若さに溢《あふ》れていた。  それから十年後に『池波正太郎の銀座日記』を「銀座百点」に連載するようになったときも、池波さんはすこぶるお元気だった。還暦を迎えられて、ようやく秋山小兵衛《あきやまこへえ》の年齢に達したのである。  本書『待ち伏せ』は昭和五十三年の四月に刊行されている。この年には『剣客商売』シリーズで初の長編『春の嵐《あらし》』が十月に出ていて、旺盛《おうせい》な作家活動を見せた。その前年には『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』を中心とした作家活動によって、第十一回|吉川英治《よしかわえいじ》文学賞を受賞している。  池波さんが健康に恵まれてお元気であったのは、この『待ち伏せ』からもうかがわれる。そして、秋山小兵衛も元気なのである。小兵衛が元気だからといって、作者もそうであったとは言いきれないのだが、『剣客商売』を通読すると、池波さんが老後の夢を老剣客・秋山小兵衛に託したように思われてならない。 『剣客商売』の第一話「女武芸者」の終りのほうに、作者は小兵衛の年齢をしるしている。 [#ここから2字下げ] 「年が明けて、安永七年(一七七八年)の正月。  秋山小兵衛は六十歳、息《そく》・大治郎《だいじろう》二十五歳となった」 [#ここで字下げ終わり] 『剣客商売』の物語はその前年からはじまっている。「付録」の筒井ガンコ堂編「〔剣客商売〕年表」によると、物語は天明五年(一七八五年)までつづく。『剣客商売』はざっと九年間の物語であって、小兵衛が五十九歳から六十七歳まで、息子の大治郎が二十四歳から三十二歳まで、おはる、佐々木|三冬《みふゆ》ともに十九歳から二十七歳までということになる。 『待ち伏せ』の七編は天明元年(一七八一年)の物語だ。大治郎はその前年に三冬と結婚していて、小兵衛はおはるがやきもちを焼くほどに元気で、じつによく江戸を歩いている。健脚である。  しかし、「剣の命脈」では、小兵衛は鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅の奥の間で臥《ふせ》っている。「ちょ[#「ちょ」に傍点]と、風邪を引い」たのだ。「冬木立」に登場する薄幸の女、おきみが大川に水死体となってあがって以来、小兵衛は鬱々《うつうつ》としてたのしまなかった。小兵衛の心も躰《からだ》も弱っていたので、風邪につけこまれたらしい。  おはるは小兵衛の病気を心配する。長生きしてもらいたいのだ。すると、大治郎は幼いころの話をする。小兵衛がどこかの屋敷に招かれて、その席上、高名な易者に人相と手相を見てもらったという話である。大治郎はおはるを安心させる。 [#ここから2字下げ] 「その易者が、こういったそうな。秋山さんは、九十まではかならず死なぬ。その後の養生しだいで、百までは生きると……」 [#ここで字下げ終わり]  おはるは大治郎を「若先生」と呼ぶが、大治郎に「母上」と呼ばれるのを嫌《きら》う。 「さりとて、おはるさんともいえぬし……」と大治郎は妻の三冬にこぼすが、おはるが好きなのである。読者である私もまたおはるが大好きだ。  年齢を考えれば、小兵衛とおはるは世のつねならぬ夫婦であり、小兵衛と大治郎もまた世のつねならぬ父子《おやこ》だ。義理の母は大治郎よりも若く、三冬と同年齢である。  けれども、私などはそのような関係を不思議とは思わない。小兵衛とおはるは似合いの夫婦であり、大治郎、三冬の夫婦にとって、おはるはおおらかな母親なのである。  小兵衛とおはるのやりとりを聞いていると、心がなごんでくる。『剣客商売』を読むたびに、おはるが好きになってきて、このシリーズにあふれる春風駘蕩《しゅんぷうたいとう》とした雰囲気《ふんいき》は、おはるによってもまたかもしだされているのではないかと思う。おはるは小兵衛にとってばかりでなく、読者にとっても気のやすまる女なのである。  そのくせ、小兵衛はおはるとの関係を冷静に見てもいる。「討たれ庄三郎《しょうざぶろう》」の一編で大治郎に正直に語っている。 [#ここから2字下げ] 「剣術遣いなぞというものはな、きびしい修行をつづけ、堪えぬいてきているだけに、世間には疎《うと》いものよ。ことに男女の事となると、おもわぬ失敗《しくじり》をしてのける。それが証拠に、このわしを見よ。いい年をして、孫のような女に居据《いす》わられてしもうて……」 [#ここで字下げ終わり]  こういう父親が江戸時代にはいたのだろうかと思う。しかし、大治郎のような息子になら、父親もこのような告白ができるような気がする。大治郎は世間知らずであるが、それ故《ゆえ》にときどき小兵衛を苦笑させるようなことを言う。 [#ここから2字下げ] 「父上……」 「む?」 「孫のような女も、悪くはないようですな」 [#ここで字下げ終わり]  老剣客の秋山小兵衛が女に強いとは思われない。たとえば、小兵衛のつぎの言葉。 [#ここから2字下げ] 「女なぞという生きものの正体は、着物の上からではわかるものではない」 [#ここで字下げ終わり]  いや、まったく、小兵衛の言うとおりだとしみじみ思うのは、右の言葉が小兵衛の体験から出たものであるからだ。それはまた作者が小兵衛に託したメッセージではないかと想像する。小兵衛と作者がどうしても重なって見えるのである。  四十も年齢のはなれた夫婦、そして共に剣客の夫婦という主要人物の設定は奇想天外であるが、作者は読者にそうは思わせない。それは池波さんが彼らの日常生活を丁寧に、そして克明に描いているからだろう。その一つが食べものである。『待ち伏せ』にもさまざまな食べものが出てくる。  作者は読者が食べてみたいと思うように食べものを書いている。「秘密」の一編では、秋山大治郎が目黒不動の参詣《さんけい》をすませたあと、門前の〔桐屋《きりや》〕で名物の〔目黒飴《めぐろあめ》〕を二包み買いもとめている。妻の三冬と義母おはるへの手みやげだ。 「待ち伏せ」では、鰻売《うなぎう》りの又六の母親、おみねは、訪ねてきた大治郎にまず「冷酒《ひやざけ》を湯のみ茶碗《ぢゃわん》へいれて出した」のち、夕餉《ゆうげ》の仕度にかかり、たちまちのうちに膳《ぜん》を出す。 [#ここから2字下げ] 「いまが旬《しゅん》の浅蜊《あさり》の剥身《むきみ》と葱《ねぎ》の五分切を、薄味の出汁《だし》もたっぷりと煮て、これを土鍋《どなべ》ごと持ち出して来たおみねは、汁もろともに炊《た》きたての飯へかけて、大治郎へ出した」 [#ここで字下げ終わり]  深川の人はこれを「ぶっかけ[#「ぶっかけ」に傍点]」と呼んでいる。それに大根の浅漬《あさづけ》のみの夕餉であったが、大治郎は四杯も食べてしまう。  読んでいて食べたくなってくる。そして、実際に食べてみれば、うまいにちがいないのである。このぶっかけだけで、秋山父子の世界を信じてしまう。  小兵衛が着ているものについても、作者は簡潔ながら、「軽袗《かるさん》ふうの袴《はかま》をつけ、短袖《みじかそで》の羽織を着て、竹の杖《つえ》を手にした小兵衛は塗笠《ぬりがさ》をかぶり、腰には脇差《わきざし》一つを帯びたのみで」といった具合に、目に見えるようである。  池波さんは小兵衛の日々の営みを丹念に書くことによって、小兵衛の世界をつくりあげていった。凝りに凝って話をおもしろくしながら、作者は自分の食べたいものも小説につけ加えることを忘れなかった。なぜなら、秋山小兵衛は十年後の作者自身でありたかったからだ。もちろん、池波さんは剣術遣いではない。しかし、食べものの好みや着るものの趣味を秋山小兵衛に仮託したのである。  池波さんはありうべからざる世界を、目の前にあるかのように描いた。それが『剣客商売』である。作者は秋山小兵衛やおはるを着るものや食べものや季節の花や鳥などで肉づけしたのだ。また、端倪《たんげい》すべからざる洞察力《どうさつりょく》を小兵衛にあたえて、しかもそれでもって小兵衛たらしめることに成功した。  小兵衛と大治郎の関係は男の夢だ。とくに中年を過ぎた人たちの。  読者にとって、秋山小兵衛は『剣客商売』のなかに生きている、江戸のスーパーマンなのである。けれども、このスーパーマンは老人で、じつに人間くさい。女房をときにもてあまし、妻の妊娠に気づかぬ息子の鈍感にいらだち、孫の名付け親になることをよろこび、食べすぎて胃をこわしたりする。身ぎれいな老人であって、いまだに男くさい。  秋山小兵衛が『剣客商売』に登場したとき、その作者の十歳年上だった。小兵衛五十九歳、池波さん四十九歳である。どちらも活力に溢れている。 [#地から2字上げ](平成五年五月、作家) [#地付き]この作品は昭和五十三年四月新潮社より刊行された。 底本:剣客商売九〈新装版〉 待ち伏せ 新潮社 平成15年1月20日 発行 平成16年2月5日 5刷 [#改ページ] (一般小説) [池波正太郎] 剣客商売 第09巻(ページ抜修正).zip 33,235,332 f1606b6caa1ff51a07b6b7645eef44a1 を元にe.Typist v11と読んde!!ココ v13でテキスト化し、両者をテキストエディタのテキスト比較機能を利用して差異を修正した後、簡単に目視校正したものです。 画像版の放流者に感謝。 3211行  大川をすべって行く船の艫《ろ》の音が、 艪・櫓・艫 「艪」と「櫓」は舟を漕ぐ道具という意味があるのですが、 「艫」自体にはそういう意味がありません(広辞苑調べ)。 なので、「艪」の間違いではないかと思われます。